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2008年12月23日火曜日

太郎ちゃんごめんちゃい

「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」
太郎ちゃん、私は好きで病気になったんじゃないのよ。
原因もわからない、治療法もない・・・・と病気の本質的なことをここで綴れば、とりとめもなく落ち込むから

漢字にルビを振ることは、誰かがやってくれるだろう。
病苦については、誰が教えることができるだろうか?
太郎の屋根に雪ふりつむ 次郎の屋根に雪ふりつむ

渋谷の太郎の豪邸の屋根にはいつも虹だから、わからないのね太郎ちゃん

達治の詩は、「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ 次郎を眠らせ・・・」だ。
「眠らせ」ないまでも「太郎を黙らせ」る何かが天から降ってこないものか。

2008年12月19日金曜日

井上君、井上君

 個室の空き待ちで数日間は地獄部屋のままだった。その間、耳を疑うような事実が明らかになった。朝、ドクター井上がうんこ以上にうんこな臭いのおしっこババのところにやってきた。井上君にしては珍しく慌てているように見えた。耳の遠いババに向かって大声で井上君はこう言った。「あのね。おっしっこに菌がいっぱいいるから、その菌を殺すお薬を出しますから飲んでください」
 井上君のその言葉に、すぐさまおしっこの悪臭の原因はそれだと思った私は、怒りで爆発しそうになった。この世の臭いとは思えないそれに、どれだけの人がどれだけ苦しんだことか。井上君は尿中の細菌が2+ぐらいは平気でスルーだ。故意なのか、ザル眼なのかわからないが、膀胱が痛いとか訴えないかぎりは何も言わない。その井上君が慌ててやってきたということは細菌が3+か、4+か。4+ってどんなんだぁ?どんなってこんな強烈なうんこ臭になるということかぁ・・・
 一体どれだけの間、細菌を放置したのだろうか?私が6人部屋に来る前から、すでにボス達に爆弾と呼ばれていた(地獄絵図5)。ボスは、ヘリで病院に運ばれてくるほど重体だったそうだから、2ヶ月はいたであろう。そしてボスが退院して2週間は過ぎたろうか?ババには、2ヶ月近く細菌がウヨウヨだったのかもしれない。
 口達者なババは「私の膀胱は大丈夫なんですか?」「どうりで私のおしっこは甘い臭いがするなぁと思ってました」と井上君に言っていた。
 甘いに・お・い???誰でも自分はかわいいものだ。ババは、わざわざ師長を呼び出して、年増の看護学生を大変良い学生だと言ったりしているぐらいの口達者なのだから、おしっこの臭いがおかしいと何故これまで言わなかったのか?マスクをかけて尿の始末にくる看護師達は、どうして医師に伝えなかったのか?そして、井上君、井上君、これまでの採尿検査はどうしていたんだ?ここは整形病棟でもない、消化器病棟でもない、血液から老廃物や余分な水分を排泄する機能を担う臓器の病棟だ。
 ピーピーうんこババの主治医は井上君だ。うんこ臭しっこババの主治医も井上君だったのだ。
 そして、私も井上君。(登場人物の名前は仮称です)

2008年12月16日火曜日

弱肉強食

娑婆も病室もこの世は弱肉強食だ。食うか食われるか。
うんこ以上にうんこな臭いのおしっこババの50になる金髪の息子はボルボに乗っているという。
私は車など持っていない。たぶん一生持てないであろう。
そんな私が何故個室に行かなければならないのか。
しかし、「病室の皆みな様にご迷惑をおかけしますので、わたくしが個室に移ります」などど殊勝なことを言う者などいない。
耐えられない奴が降参して出て行くしかないのだ。

2008年11月8日土曜日

非常に寂しく思う

筑紫哲也氏が亡くなってしまった。
元気で働いていた時、帰宅してテレビをつけるとそこに必ずいた。疲れていて見る気がなくても気が付くと引き込まれていた。
今、病んで社会と離れているせいかもしれないけれど、魅せられるニュースキャターがいないような気がする。

2008年10月28日火曜日

地獄絵図15

 真夜中の爆音は、まる4日続いた。爆音とともに真っ暗な病室は、赤や緑や黄色の色とりどりの光がピラピラ映って、ミラーボールが回るキャバレーの向かいの朽ちたビルの一室にいるような感じだ。時刻は、決まって午前2時。2日目にやってきたキャプテン(「おつかれナース3」)は、となりのババをゆすり起こしているようだった。ババの応答はない。キャプテンは、さとすように「うるさいよ。夜中なんだよ。テレビつけちゃ駄目だよ。みんなに迷惑だよ。」と言っていた。ババはわかった感じでもなく「夜中かぁ?」と一言だけ。

 3日目の爆音がやんだ時、私の耳にJR東海のCM『そうだ京都に行こう』の音楽が流れてきたような気がした。「そうだ個室に行こう」と決心した。堪えてこらえて、耐えてたえて、忍んでしのんできたけれど限界だ。もうラクになりたいと思った。
 4日目もキャプテンは夜勤だったらしく、爆音にやってきて同じように起こして、注意していた。そして朝、キャプテンは「夜中に寝ぼけるから、今日から眠剤やめよう」と言って部屋を出て行った。しかし、私の心は変わらず、その日個室病棟への移動希望を申し出た。

2008年10月21日火曜日

6人部屋の情景

 それは一言で言えば地獄絵図なのだけれど、その情景をおさらいしておくと、こんな具合だ。となりは、始終ピーピーうんこだ。最初にとなりだった、はす向かいの患者も相変わらず、この世の臭いとは思えないうんこ以上にうんこな臭いのおしっこを1日4回ベッドの上でする。先人達が爆弾と名付けていたそれだ。談話室に逃げ込まなければいられない。始末にくる看護師は用意周到にマスクと手袋でやってくることもあるが、取るモノもとりあえずやってきてしまった看護師は、かたづけると一目散に逃げるように帰っていく。
 そしてもう1人、向かいのねーちゃん。ねーちゃんは、ふらふら病室を出て行っては、どっかで倒れてストレッチャーで運ばれて帰ってくる。そんな晩は、医師数人と夜勤看護師3人が軍隊の行進のように『ドッ、ドッ、ドッ』と靴音高くやってきて、バイタルチェックを行う。1時間ごとに。
 私は全く眠れない。朝カーテンを閉めたまま、なんとか眠ろうとしていると、張り切り副師長がやってきてシャーッとカーテンを開けてしまう。「あんこさん、どうしたの暗い顔をして!アッサですよー」
『お願いだー寝かせてくれー』と言いたいけれど疲れて声も出ない。
副師長は昨夜の病室全体の様子はわからないのだ。なぜなら、この病棟では口頭での引き継ぎが全くない。看護師に1人1台のノートパソコンが支給されていて、各看護師は、その日の担当の患者のデータを見るという具合だ。しっかり見てるかどうかは確かではないけれど、その日担当する患者のことしかわからないのだ。
 あとの2床だが、1床は脳梗塞か何かの後遺症かと思われる婦人で、話すことも歩くこともできず、いつもベッドからずるっと下がったままじっと悪臭に耐えている。時々看護師に、「自分でベッドの柵を蹴って自分で(ベッドの上の方に)上がって!」と鬼のようなことを言われている。
 もう1床は検査入院の比較的若い患者が2日程度で回転している。皆口々に2日の辛抱と言いつつ鼻をつまみ、その日の検査が終わると外出許可をもらって、お出かけをしてしまう。
 私は、窓の向こうに見える個室病棟を懐かしく思い、切なくなるのだった。

2008年10月15日水曜日

地獄絵図13

 朝晩下剤を飲み、点滴にも下剤を入れているとなりの患者。1時間に10回近くのおむつ交換。いつまでつづくのだろうピーピーうんこは。その患者の右となりの患者は食事中のおむつ交換の時、「げっー」とむせていた。私も連鎖反応で「げっー」となった。
 その後少しして、ドクター井上がやってきたようだ。声だけ聞いていると井上君はオカマのようなしゃべりだ。「どうしちゃったのかしら、毎日どんどんクレアチニンが上がっているのだけど。」
 私は床の中で手に汗握ってそのセリフを聞いた。そして心の中で叫んだ『井上君、井上君、どんな理由で下剤を沢山使っているか知らないけれど、そして私は素人だけれど、始終ピーピーうんこなんだから、ごくごく単純に考えて脱水だろう!喉が渇いて夜中にビードロ遊びのようにコップをポッコンポッコン吸ったりしているし。カツオの刺身も腎臓を痛めたかもしれないけれど。』
 瞳を閉じると、灼熱の太陽の下、線路が果てしなく続いている光景が浮かんできた。決して列車が通ることがない線路。(登場人物の名前は仮名です)

2008年10月9日木曜日

地獄絵図12

 ある晩、始終ピーピーうんこのとなりの患者のところに息子がやってきた。晩といっても7時ごろで季節は初夏だったのでまだ明るかった。息子は「お袋!明日は、かつおの刺身持ってきてやるからな。」と言って帰って行った。私は気絶しそうになった。

2008年9月27日土曜日

地獄絵図ビードロを吹く老女

 ポッコン、ポッコン!聞こえてきたのは、夜中の2時だ。犯人は、下剤を飲んだ上、下剤を点滴から入れて24時間始終おむつ交換をしてもらっているとなりの患者だ。
 今度は、何だ、一体何事だ?『ぽっこん』という済んだ音が鳴っている間、私は一瞬考えた。夜中にビードロ遊びが始まったのか。退屈になったのか、気晴らしか、しかし、夜中の2時だ。時間を考えろ!いや6人部屋でビードロ遊びは昼間だって大迷惑だ。大体なんでビードロなんてモノがあるんだ?「退屈でしょうから、故郷のビードロを持ってきたわ」なんて見舞客でも持ってきたのか。
 よーく耳を澄ましていると、ストロー付きのプラスティックの飲み物の容器をちゅうちゅう吸って、その容器の底が上下してポッコン、ポッコン大きな音を立てているようだ。もう下剤漬けのピーピー状態も5日目になったろう。喉が渇くのも無理はない。しかし、夜中にこんな音を立てなくても。
 8分間隔のおむつ交換に文句は言えないけれど、切れかかっていた私は気が付いたら「うるさいぞー!いいかげんにしろ!」と怒鳴っていた。
 すると老女は、ポッコンを止めて「ちゅいません」と言った。歌麿のビードロを吹く女の色気とは対照的な老女の言葉と声になんだかおかしくなった。
 

2008年9月17日水曜日

病院食

 食事が美味しい病院は、今どきでも自前だなぁと思う。外注の食事とどう違うかと言うと、なんか根本的に違うように思う。自前の美味しい病院食は、「病院食」という感じではなく、お料理上手なお母さんが作った「おうちのごはん」という感じ。塩分や栄養制限などが多くある特別食でも感心するぐらいに上手にできている。
 一方、病院食の専門業者に委託しているところの病院食は「病院食」然としている。献立にはやたら凝った名前がつき○○のピカタだのなんなの、しかし、どれも名前負け。我慢して食べて3日だ。あとは鼻について、ふりかけでご飯を食べるのは、入院したことのある人なら経験があると思う。業者に言わせれば、病院からの受託費用に見合った食事を提供するしかないということだろうけど。
 そんなことを考えていたら、汚染米が最大手の病院給食受託会社から患者に提供されてしまったという。会社は知らずに購入したのかもしれず、被害者かもしれないけれど、一番の被害者は、患者や入所者だ。
 ここで20年前のように、食材調達から調理まで病院でやる「自前」に戻したらどうだろう。難しいかもしれないけれど、今またスローフーズの時代だ。

2008年9月9日火曜日

おつかれナース3

 早押しクイズのようにナースコールのボタンを押して、10分と空けずおむつ交換を頼むとなりの老女。そんな事を知ってか知らずか、ある朝、若い男性看護師が「僕なんかにおむつ交換させてもらえるなんて、うれしいな。」と。言わなきゃいいのに歯の浮くような事をわざわざ言って、まずは1回目の交換!
 交換が済んで、男性看護師がおそらくナースステーションにたどりつく前だったろう、直ぐさま老女はナースコールのボタンを押した。やってきたのは、今出て行った男性看護師。「また?はーい、はーい」と2回目の交換。なんせ下剤を内服して、かつ末梢から、つまり点滴からも下剤を入れている老女。時には、おむつ交換している最中にもピーピィーと音がして看護師の「あーあー」という悲鳴が聞こえてくることもある。隣の私だって悲鳴を上げたい。
 2回目のおむつ交換が済んで直ぐまたナースコール。またまたやってきたのは同じ男性看護師。3回目に呼ばれた男性看護師の口から出た言葉は「今取り替えたばかりだから、取り替えなくてもいいでしょ」だった。男性看護師3回目にしてギブアップか。すると老女は「女は不潔にしておくと、膀胱炎になるから駄目なんだよ」と言った。私は『確かに。ばあさんはやはり呆けてはないなぁ』と思った。男性看護師は黙って3回目の交換をして部屋を出ていった。その後は、他の看護師がおむつ交換をしていた。
 その日の夜、私が密かにキャプテンと呼んでいる看護師が、0時から明け方6時近くまで64回黙々とおむつ交換をした。眠れない怒りよりも、看護師に敬服した。私だったらお尻の穴に栓をしてしまうに違いないと思った。


2008年9月3日水曜日

三拍子

 イケメンで性格が良くて頭が良い奴はいるか?うーん、いないなぁ。同じように病院で、設備(医療機器含)が良くて、スタッフ(医師、看護師等)が良くて、食事が美味しいと三拍子そろったところはあるか?うーん、これまたない。あったならば、その病院の台所事情は火の車だったりする。三拍子そろった男がいた!と思ったらプータ郎だったりするのと同じだ。
 私がお世話になっている病院の取り柄は、食事が美味しい事だ。一つ良いところがあれば、それで良しとするしかないのだ。

2008年8月25日月曜日

地獄絵図10

 ボスの後のはじのベッドに移れば、少しはマシになると思ったのは甘かった。それは、見通しが甘い私の人生そのもののようだ。
 ばあさんのうんこ以上にうんこな臭いのおしっこ臭からは全く逃れられなかった。が、考えてみれば当たり前だ。隣のベッドに優に手が届く、ベッドがひしめき合った狭い6人部屋だ。そもそも、前のこのベッドの住人(ボス)が臭いが辛くて脱走を繰り返していたわけだし。
 さらに環境は悪化した。引っ越した当初、隣だった手下は、わずか二日で退院し、後任は、これまた年がら年中、ぴーぴーうんこの、おむつのばあさんだった。今おむつを取り替えてもらったかと思うと、すぐさままたナースコールのボタンを押して、「おむつを取り替えて!」と言うおばあさんだった。
 認知症かと思ったが、そうではなかった。歳は60歳半ばぐらいの。どういうわけか、下剤を内服した上、点滴にも下剤を入れていた。カーテン一枚を隔てて「ピーピー」と天下を引き裂くような、けたたましい音が鳴る。臭いの方は既に空気だ。うんこ以上なうんこ臭をかいでいると、普通にうんこな臭いはもう感じない。
 来る日もくる日も、24時間、隣のピーピーは続き、その合間にバーンとシンバルのように向かいのはじで、うんこ以上にうんこな臭いの爆弾が投下される。そんなある夜、薬の時間になった時、夜勤の看護師が隣のばあさんに、「今日の昼間うんこ出た?」と尋ねた。私はついに神が来た!と思った。隣のベッドで横になっていた私は、大きく頷いた。『ピーピーでっぱなし!』と心の中で私は叫んだ。
 しかし、次の瞬間私は凍り付いた。ばあさんは「出てないよ。」と答えたのだ。「じゃあ、今夜も下剤飲もうね」と看護師。『う、うっそー!うそだぁ〜』涙が溢れ出てきて、天井やカーテンが滲んで見えなくなった。


2008年8月23日土曜日

ナースいろいろ3

ペラペラと患者にお世辞を言ったりする看護師は、仕事が手抜きだったりする。
 一方、無愛想でいつもふぐのようにぶーっとした看護師が労を惜しまず働き、採血の時の注射針もいつ刺したの?と蚊よりも感じないほど上手だったりする。こんな傾向は看護師の世界だけじゃないような。

2008年8月17日日曜日

北京五輪男子バレーベネズエラ戦

まさかのストレート負け。
予選敗退が決まってしまった。
放心、そして寂しい思いが込み上げてくる。
早くも秋風が吹いたような。
『切り替えて、いこー!』っていうのは私には無理だぁ

2008年8月15日金曜日

今、願を掛けるとしたら

バレーボールの北京五輪予選通過か?
いや、やっぱり自らの健康回復だ。
所詮、私はニワカ(ファン)かぁ。
しかし、男女ともハラハラする試合展開、そして大きな落胆は身体に障る。
ここでバレーの勝利を願掛けして、歓喜で免疫力をアップさせ、病撃沈という作戦に出ようか。

2008年8月14日木曜日

地獄絵図9

 私の秘策。それはボスが退院した後、窓側のボスのベッドに移動すること。ばあさんからは一番遠い部屋のはじで、サンドイッチ状態ではなくなる。連日のばあさんの大声での我が半生の語り、悪臭から逃れられると思った。願いは聞き入れられ、移動成功。睡眠不足続きの私は久々に眠った。
 ところが、一瞬にして夢は壊れた。午前三時に起こされたのだ。うんこ以上にうんこな激臭で。臭いで起こされるのは生まれて初めてだった。これまでも夜中に何度かあったが、眠ってはいなかった。今回は眠っていただけにいつも以上に悲劇だった。寝ぼけていて、なんだろう?とクンクンと臭いをかいでしまったのである。かがなくてもいい臭いを、かぐ必要のない臭いを。愚か者が、入院中で劣悪な環境下で生きていることがわからなくなっていたのだ。
 ベッド脇の10センチほど開く小窓を開けても全く意味はなかった。ほかの患者は眠剤でぐっすり眠っていた。私は、とるものもとりあえず、談話室に歩いた。靴下も膝掛けも持たず、椅子に横になると身体が冷え冷えした。病気が悪くならなければいいなぁと思いながら一時間半しのいだ。
 明くる日のお昼近くに、昨年同室だった知人が別部屋に緊急入院してきて、私の部屋に会いにきた。ところが、彼女は鼻に腕を充てたきり離さない。「臭くてこの部屋いられないよー」と一言だけ。爆弾は八時に放たれて、私は消臭したように感じていた。換気扇が設置されているわけでもない、室内はすでに年がら年中臭くなっているのだった。

2008年8月5日火曜日

おもしろナース5

 新人ナースの町子ちゃんは、その春まさにナースデビューしたてだった。笑った時、顔の皮がこわばるだろうなぁと思うぐらい、まんまるな顔はいつも厚化粧だった。丸いスポンジケーキにピーナツクリームを塗りたくったような。大きな丸い目には黒いアイラインがくっきりひかれている上、びゅんと長いつけまつ毛がつけられていた。
 朝、町子ちゃんに顔を覗かれると、びっくりして、重い瞼がかっと上がりこっちまで目を見開いてしまう。
 ある日、「マスカラじゃなくてつけまつ毛なの?」と町子ちゃんに尋ねると「あんこさん、マスカラなんて今は古いんですよ。今はみーんなつけまつ毛ですよ!」
 私は驚くと同時に寂しい気持ちになった。入院だの、退院しても通院だけの生活で、電車に乗れず、オフィス街をかっ歩できるわけでもなく、デパートにも行けず、娑婆の様子は全くわからない。『こうやって時代から、どんどん取り残されていくのだなぁ』と。
 しかし、数ヶ月してふと思った。少なくとも病院内のナースでつけまつ毛をしているのは町子ちゃんだけだ。本当につけまつ毛がメジャーなのだろうか?
(登場人物の名前は仮名です)

2008年7月30日水曜日

地獄絵図8

 マスク、耳栓を着けたままベッドから身体を起こした私を見て、ボスが大笑いした。ボスは、となりの手下まで起こして私を指さし、手下まで笑いだした。『大いに笑ってくれ』と私は思った。ボスは4日後に退院が決まり、手下もそろそろらしい。うんこ以上にうんこな臭いから解放されるとあれば、何を見てもおかしいだろう。ボスは「私は大抵のことに我慢できるけど、臭いだけには弱くてね。」が口癖だ。残される私はどうやってこの劣悪な環境で生き延びたら良いのだろう。
 ちなみに、入院環境対応必須アイテムは耳栓、マスクの他、眠剤、コロコロなどである。入退院を繰り返す中で、私以外に眠剤を常用しないのは後にも先にも地獄部屋のボスだけだった。
 また、子供の頃から入院を繰り返しているような達人達は、ベッドのホコリを取るのに、紙に粘着剤が着いたローラータイプのコロコロなんかも常備している。

2008年7月28日月曜日

おもしろ話8(となりの患者)

 もはや私には肩書きなど何もない。今あるとすれば「病人」だ。昔の名刺は、お醤油をこぼしたように黄ばんでいることだろう。
 6人部屋で少しの間となりだったねーちゃんは親しくなった人に名刺を渡すらしいという噂があった。私は親しくなれなかったので、名刺はもらえなかった。従って、どんな名刺なのか本当に名刺があるのかわからない。
 しかし、ねーちゃんの名刺はどんなものだろう。肩書きは「病人」?それとも「患者」か。「○○○病患者」と病名明記か。彼女の疾患からすると、小学校、中学、高校とほとんど休み、常にぎりぎりの出席日数での昇級だったと想像される。仕事に就いたことはないであろう。だから、名刺が働いていた頃の社名や役職などが記載されたものであるはずはない。ねーちゃんは半年前も入院していたと言う人がいれば、いや一年前も、一昨年前も入院していたと言う人もいる。病院が定宿というか住みかのようだ。そうすると、名刺には病院の住所地が記されているのか。
 病棟には、20年来入退院を繰り返している人が何人かいて、20年とは言わずも古株がいっぱいいる。中には物見高く、私が新顔だと思うと、廊下を歩く私を呼び止めて「アンタ何の病気?」といきなり尋ねてくる。私は軽く会釈して、後ろを向いてしまう。
『病気の事なんかしゃべりたくはない』『年長とはいえ、失礼な奴だ』と思う。しかし、どんなもんだろう患者がパジャマの胸ポケットに名刺を入れていて、廊下で会った時などに、「どうも、どうも」と言って名刺交換をする。私なんぞは、病名が3つもついていて「ごりっぱですなぁ」なんて言われて、「いえいえまだ3年のキャリアですから若輩者です」と答える。こんなことを想像すればコメディーだ。

2008年7月26日土曜日

ぐーたらナース3

 個室病棟にいた水上さんは一見綺麗なナースだった。170センチ近くの身長で、すらりとした色白の25歳。おべんちゃらをちゃらちゃら言うのが癖になっている私が、「すごく綺麗!」と水上さんに言うと「両親に感謝してます」と水上さん。そんな水上さんはいつもマスクをしていた。ところがある日、マスクをしていないのを見てビックリ仰天した。ヒラメのようなエラ張り顔だったのである。
 その水上さんに一つ噂があった。それは、絶対に残業しない。5時きっかりに仕事を終えるというか止めるという話だった。
 ある朝、その日の私の担当ナースが林さんだと言うので、シャンプーを頼んだ。林さんは本来の私の担当ナースなのでお願いしやすい。林さんが日勤の日は原則林さんが私を看護してくれるのであるが、林さんは、しばし重篤な患者の看護に就くことがあってそういう時は別のナースが私を看護する。林さんは、水上さんと同期で、仕事熱心で勉強家の可愛い感じのナース。
 林さんは、シャンプーを頼んだその日もバタバタと忙しそうだった。午後にしてくれることになっていたが、何度か部屋に来て「もうちょっと待ってね」と言い、慌てて病室を出て行く。3時が過ぎ、4時を回った。5時10分前になったその時、林さんの大きな声が聞こえてきた「水上さーん、あんこさんのシャンプーお願い!」
 私はぎょっとした。5時まであと10分だ。よりによって5時女の水上さんに頼むなんて。私は考えた『頭の右半分だけか、いや後頭部だけか、泡だらけで終了か』いずれにしても最悪なことになりそうだ。
 水上さんは部屋にやってくると、私を車椅子に乗せて、洗い場までびゅんびゅんと押した。その時、私は噂は本当だと確信した。どんなふうにシャンプーをしたかというと、簡単だった。シャンプーの液をつけて流しておしまい。つまり、ごしごしと洗う行為は一切省略。ブローはいつも部屋で私自身がやるので、5時に終わった。
 お見事!と思った後で、一週間に一度洗ってもらえるかどうかという状況で私は苦々しい思いがこみ上げてきた。そして、なんで林さんは5時10分前に水上さんに頼んだのだろう・・・・(登場人物の名前は全て仮称です)

2008年6月6日金曜日

安堵

 五輪予選日本男子バレーが、イタリアにマッチポイント24ー17と大差でありながら負けた惜しい狂おしい一戦から、股関節の痛みと重なって毎夜眠れなかった。今日はやっと眠れそうだ。

2008年5月24日土曜日

ぐーたらナース2

 沐浴、清拭なし。「せめて足だけでも洗ってよん」というお願いに、ぐーたらナースは答えます「今度ね!」
 しかし、ぐーたらナースに今度などない。

2008年5月19日月曜日

地獄絵図7

 となりのばあさんには、悩ましい事がもう一つある。それは大声での自らの半生の語りだ。当初は見舞客相手に語っているのだと思っていたが、連日の大声に身体を起こして見ると、聞き役は、50歳を過ぎているであろう年増の看護学生だった。看護学生が実習として話し相手になっているのだ。耳が遠いばあさんは、耳がつんざけるほどの大声で語り、聞き手の年増の学生もまた素っ頓狂な大声で「ハイー、ハイー」と民謡で合いの手を入れるように相づちを打つ。
 話は長い時は3時間に及ぶ。よくもあんなにしゃべっていられる体力があるものだ。『亡くなった夫は、長谷川一夫のようにいい男だった。』『1人息子は50を超えているが子供の頃からできが悪かった』から始まる亡き夫、息子にまつわる苦労話は連日ブレがないが、事自分のことになると、ある日は、『下宿屋のおかみ』として下宿屋家業のおもしろさ、下宿人の様々な人間模様を語ったかと思うと、明くる日は『団地に住む主婦』だったという。
 年増の看護学生は整合性のないところに突っ込みは決して入れない。ただ返事だけして今日の夕飯のおかずでも考えているのだろう。

2008年5月14日水曜日

地獄絵図6

 ボスは手下のことを羨ましいと言う。それは手下が、夜になると酸素吸入のマスクを取り付けるからだ。そのため手下は、夜間は強烈な臭いをかがないですむのだった。
 しかし、私は知っている。手下が、昼間大口を開けて寝て、うんこ以上にうんこな臭いを思いっきり口から吸っていることを。

2008年5月9日金曜日

おもしろナース4

 個室病棟の鶴子ちゃんには困ったものだ。朝一番でドアをノックして入ってくるなり、ひどい咳を「ウッホ、ウッホ」としている。当然のようにマスクはかけていない。お決まりのポーズ(「おもしろナース3」)はどうか省略してくれ!と思った。風邪は命とりだと言われているのに・・・・私は、急いで布団で顔を覆った。
 次に思いもよらないことが起こった。それは検温の間、鶴子ちゃんは「ちょいと失礼」と言ったかと思うと、枕元にある私のティッシュ箱から、『シュッシュ、シュッシュ』とティッシュパーパーをひっぱり出した。それはまるで、手品師が旗をひっぱり出すように軽快だった。そして、鶴子ちゃんは、私の頭の上で「ちーん、ちーん」と豪快に鼻をかんで、検温結果を記録して部屋を出ていった。
 だれか、このナース2年目の鶴子ちゃんを正しく導いてくれ!
 個室には看護業務監視カメラを!

2008年5月8日木曜日

地獄絵図5

 談話室に着くと、ボスと手下が窓側の椅子に座っている。2人は私よりずっと早くに部屋を出て行っていた。近づくとボスが振り向いて「いいこと教えてやろうか」という。あの部屋には一日4回爆弾が落ちるんだよ。」とボス。私は直ぐにうんこのことだと思った。「うんこの事でしょ」と私が言うとボスは、意味深にニヤリと笑い、説明してやれとばかりに手下を見やる。手下は、テレビドラマ『家政婦は見た』に出てくる家政婦紹介所の会長さんにそっくりだ。「それがね、違うのよ。おしっこなの」と手下。私には、もはや悪臭の正体がうんこであろうが、おしっこであろうが関係なく、ただ耐え難く、ひたすらに苦々しい思いで一杯いっぱいになっていた。しかし、つい「どうして?うんこ以上の匂いじゃない」と言葉が出てしまった。
 2人はこれまでに相当思案したのか、手下は「ウチラと全く同じ物を食べているのに不思議なのよ。4回きりのおしっこだから濃くなってああゆう匂いになるのか」
 正体がおしっこだという事には思い当たることがあった。ある時、問題の物の始末にやってきた、ふて腐れ看護師が、「うんこしちゃったの?」と何回も怒鳴っていたことがあった。それは、おしっこ用の器をベッドと身体の間に入れたのに、事が済んで、おしっこの始末にきたところが、うんこ臭なのでうんこをしてしまったのかということだったのだ。当然だ。私とて手下の話を聞くまではうんこ以上にうんこなモノだと思っていたのだから。
 真相を聞いても、病人に対する思いやりとかいたわりの気持ちは全く起きず、恨みはすでに大きなこちこちの塊になっていた。爆弾は毎日、朝食前に1回、昼食前に1回、3時頃か夕食前に1回、就眠前に1回。確かに一日4回投下されていた。

2008年4月18日金曜日

地獄絵図4

 こらえきれず、靴下をはき、とぽとぽと部屋を出て行った。うんこ以上にうんこな匂いは、耐え難かった。6人部屋の環境は、予想以上に過酷だった。悪臭、騒音、狭隘な病室・・・人間関係以前の問題だ。病気は良くなるはずはなく、しかし、また悪くもならなかったので、意を決して避難することにしたのだった。
 

2008年4月16日水曜日

地獄絵図3

 夜になって昼メロ「愛の劇場」が始まった。靴音がしてとなりのねーちゃんのベッドのカーテンを閉める音がシャーっと響いた。そして始まった。
 医師タケル「悪かった」
 ねーちゃん今日子「・・・・」
 医師タケル「悪かった」
 今日子「ひどい」
 医師タケル「許してくれ」
 今日子「わーん」と泣く。私は耳がダンボになった。
 医師タケル「この前も外出許可出したくなかった。その時から俺が不機嫌だったのはわかっているだろ。」
 今日子「わかってた」
 医師タケル「行かせたくなかったんだ。でも悪かった」
 今日子「お兄ちゃん(タケル)、怖かったんだもん」
 医師タケル「ごめん」
 勿論、医師タケルはとなりのねーちゃんの兄なんかではない。いつも医師タケルのことをお兄ちゃんと呼んでいるようだ。一体何が始まったんだぁー!昼間のねーちゃんの号泣と関係しているようだが。タケルは確か既婚者で子供もいるはずだ。現実は小説より奇なりだ。私は息を殺した。
 ねーちゃんは一向に泣きやまない。タケルはひたすら謝っている。2人は並んでベッドに座っているのか?それとも、ねーちゃんは座り、向かい合うように医師が立って、肩に手を掛けているのか?カーテンの上部50センチ程は、地引き網のようなネットになっている。私がベッドの上で立って編み目の穴から覗けば、2人が見えるはずだ。しかし、そんな体力は全くない。私は唇を噛んだ。『元気だったら、ベッドの上に立てるのに・・・元気だったらこんな場面に遭遇しないかぁ』『ばあさん、こんな時にうんこでナース呼ぶなよ』そんなことを考えていると、医師タケルが我に返ったのか、私が息を殺しすぎたのか医師は「ここではまずい。出よう!」と言って2人は病室を出て行ってしまった。
 こんな時は、いびきの一つでもかいた方が良かったのかもしれないと悔やまれた。(登場人物の名前は全て仮称です)

2008年4月14日月曜日

おもしろナース3

 鶴子ちゃんは、ナース2年目で個室病棟にいた。朝、扉を開けてやってくると、「今日の担当は鶴子でございまーす。」と言って右手を大きく弧を描いて上げ、左手は白衣の裾を持たないけれど、両膝を軽く曲げ、左足を右足の後ろにひいて頭を下げるのだった。
 そんな挨拶をするのは鶴子ちゃんだけだ。それはまるで宝塚のフィナーレでお姫様役が観客に向かって挨拶をするポーズのようだ。
ふざけているのか真剣なのか、今でもなんだったのだろうと思う。他の看護師は鶴子ちゃんがそんなポーズをきめていることを知らない。勿論師長も。(記載した名前は仮称です)

2008年4月12日土曜日

地獄絵図2

 うんこ以上にうんこな匂いに再び包まれた私は、身体を起こしてマスクをかけた。すると、向かいの手下のベッドはもぬけの殻で、当然ながらそのとなりのボスもいない。私の左となりのねーちゃんもいない。
『脱走かぁ』と思った。残されたのは、私と、はす向かいの動けないご婦人だけだ。私はトイレまでの歩行ですら危ういのに、それより遠い談話室まで行って余分な体力を消耗させるわけにはいかなかった。トイレに逃げても全く意味がないのだ。
 三度事が起きようとしたとき、注視していると、ボスは、私のとなりの患者がナースコールを押すと同時に、10センチほど開く窓を素早く開ける。次にボスは、手下の肩をポンとたたく。手下は何も答えず、直ぐさまスリッパを履く。そして2人は連れだってスタコラサッサと部屋を出て行く。2人が部屋を出るまでの一連の動作は、あうんの呼吸で慣れていた。それより少し遅れてねーちゃんが、サンダルを鳴らして出て行く。
『誰か、だれか私をかついで連れて行ってくれ!だれか、かついでぇーだれかー』私はこころの中で何度もなんども叫ぶのだった。

2008年4月5日土曜日

地獄絵図

 6人部屋に移った。部屋に入った途端、女の囚人部屋はこんな感じかもと思った。部屋にはボスがいて、その手下がいる。凝視する者、関係ないとばかりに淡々としているねーちゃん。なんとも異様な雰囲気だ。
 個室にいて寛解の兆しが見えてくると、ベッドの中で左を向いても、上をむいても、右を向いてもかさむ室料代が気になって落ち着かなくなってきたのだ。6人部屋だと、部屋の外のトイレまで歩くことと、人間関係が病身に吉と出るか凶とでるか不安はあった。
 私のベッドは2つのベッドに挟まれた真ん中だ。向かいもベッドが3つ並んでいる。挨拶も早々に、早く横になりたいと思い、荷物はそのままに、カーテンを閉めようとしたが、ボスのいる左斜め前方だけは少し空けておくしかなかった。病室内は皆カーテンを開けていて、親分と手下の間などは全開状態だ。こんな中でぴったりと閉めると、いやみな感じになってしまう。そこには協調性がなくも小心な情けない自分があった。
 少し眠りたかった。しかし、環境が許さなかった。程なく左のねーちゃんが号泣し始めたかと思うと、右のおばあさんのところには、話相手がきたのか、おばあさんは耳もつんざけるほどの声で自らの半生を語り始めた。両隣ともベッドは手が届くほどの距離だ。向かいのボスはしゃがれ声で、なにやら手下にしゃべっていて、手下の「ウッヒヒ」「ウッヒヒ」という笑声が聞こえてくる。両隣の騒音で、もはやボスの話はよく聞こえない。まるで人が行き交うダウンタウンの路上で仰向けに倒れている感じだ。おばあさんの語りがぴたっと止むと、今度は、うんこ以上にうんこ臭い匂いがぷーんとしてきたのだった。つづく



2008年4月3日木曜日

ぐーたらナース

 見にきた時が取り時とばかりに、まだ3分の1は残っている点滴をむしり取ってしまう看護師。勿論、点滴の落ちる速度を計って終わるころを見計らってきたわけではない。近くの誰かがナースコールを押して、そのついでかなにかに違いない。まだ薬剤が残っていた場合、出直すのが普通だ、というか出直すのが当然のことだ。『また来ますね』とか言って。
 水に毛がはえたようなソリタならいざ知らず、保険点数で投与量が限られている、わずか80ミリの、しかも大事な薬剤がたっぷり残っていても容赦なく取ってい行く。その時はさすがに「あっ」と言った。すると看護師は「ない、ないバー」と言って、まだたっぷり残っている小瓶を後ろ手に隠してしまった。『ないないバー』?動じるどころか、たいした珠だ。二次、一次救急程度の病院によくあるタイプの君よ!

2008年4月1日火曜日

となりの患者

朝から深いため息が絶え間ない、となりの患者。10分と空けず次のため息が聞こえてくる。ベッド周りのカーテンは常にぴったりと閉まっているので、ベッドに座ってため息をついているのか、横になったままそうしているのかは、わからない。昼間一時だけため息が聞こえない時がある。どこかにふらっとタバコを吸いに行っているようだ。そんなとなりの患者は、40歳に届くかとどかないかという年格好で憂いのある色白の綺麗なヒト。演歌の歌詞に唱われているヒロインのような、場末のスナックでカウンターのテーブルを拭いてそうなそんなヒトだ。来る日も、くる日もため息は止まらない。

2008年3月29日土曜日

藪と占い師

 おかしいと感じて予約外で医師に診てもらう。すると「問題ないですよ。心配いりません。」と言われる。それで普通に暮らす。やはりおかしいと、数日後2度目の予約外の受診。「問題ないですよ。もっと悪くなったら来てください!」とヒステリックな医師。なんかやはりおかしいが、ぐっと我慢・・・。3度目は誰の目にも異常な症状、受付の看護師が同情するほどに。
 そして入院、悪化の一途に。後になって、冷静に注意深く最初の検査データを見ると既にいつもとは違い、2回目のデータはそれよりさらに悪い。そんなことが再び起こり、信じられるのは自分だけだと悟っている。
 そんな中、世に言う名医に出会った。もちろん信じてはいなかった。数ヶ月して、その医師の診断がズバリであった。2度目の受診の際、感動して思わず『占い師のようですね!』と言いそうになった。珍しく『当たった』と思った時、もはや医学者ではなく占術者に見えた。
 忘れていたが、始めに記した医師も学会ではかなり名の通った大御所らしい。
 

2008年2月20日水曜日

おつかれナース2

 のどが痛む朝、検温にきた新人ナース町子ちゃんに「のどが痛むので、イソジン出して欲しいと先生にお願いしてね」と私は言った。すると、町子ちゃんは目を丸くして「では皮膚科の先生を呼びましょう」私は『?????』話を早く切り上げたかったので「なにしろ私の主治医の先生に伝えてくれればいいから」と言った。
 なんでのどが痛くて皮膚科になるのだろう。新人ナース町子ちゃんは、のどが皮膚の一部と深く考えたのだろうか。私は容態が悪化の一途の時であったので、ぼーっとしてきて自分の常識がおかしいのかぁとわからなくなり、疲れるので考えるのを止めた。
 その日のうちに、妙な噂話が漏れ聞こえてきた。町子ちゃんが、とんでもないポカをやったらしいというのだ。それは、ある2人の患者のデータを取り違えて、入力していたというもの。患者Aさんと患者Bさんは、ともに皮膚科の患者で、Aさんは海外から帰国後に発病し、高熱を伴っていたが、一方Bさんは、渡航歴なく熱も全くなかった。最初に気が付いたのは、患者自身のBさんで、毎日変わるナースが連日「熱はどうですか」と執拗に聞くので、ついに「私は初めから熱はありませんけど」と言い、事件が発覚したというのだ。
 真相はわからないが、事実だとすれば大事件で町子ちゃんは、相当な注意を受けたに違いない。それが前日だったのか、その日の朝だったのかわからないが、町子ちゃんのアタマの中は皮膚科のことで一杯になっていて、朝の私への一声が皮膚科の先生を呼びましょうだったとしたら、わかる気がした。
 とかく新人ナースはおつかれだ。患者は、新人ナースのとんちんかんな発言は軽く聞き流しつつも、注意を払いながら看護されなければならないのだ。ウカウカ寝ていてはいけない。(記載された名前は仮名です)

2008年2月15日金曜日

ナースいろいろ2

 看護師3年目は分かれ道。看護学校を卒業して、国家試験に受かって3度目の春を迎えた時には、先輩カリスマ看護師を目指して、日々自らの未熟さを反省し、懸命に仕事に取り組む看護師と手抜をすることばかり考えている看護師に分かれている。
 後者の看護師が担当の日、私はやり場のない気持ちと失望感から、横を向いて、薬袋の裏に『今日ははずれの日』とシャーペンで書く。

2008年2月11日月曜日

おもしろ話7(となりの患者)

 極、ごく、たまにとなりの患者が気の合う人であることがある。その場合、対等な友人関係ではなく、必ず親分と子分といった感じなる。となりの患者が、大抵は私より年長ということに起因するだろうが、「へえへえ」とつい人にこびへつらう私の性格がそうさせてしまうのかもしれない。
 容態が良い時は、となりの患者に「売店に行くけど、何か買ってくるものある?」とご用聞きをし、200ミリの紙パックのジュース一つぶるさげてくるのはお安いご用。親分が「輪ゴムある?」と言えば「へいへい、ござんす」と手渡す。
 しかし、親分の命令でどうしてもそれはご勘弁をというのがある。最悪魔の看護師が誰か教えろというもの。「ワースト1、2、3を言え」という。親分には、早々に白衣の天使ベスト5はこっそり教えた。ベストを教えることはできてもワーストは、たとえ親分にも口にすることはできない。
 それは、人の悪口を言うことは自らを貶めるといった上等な理由からではない。単なる保身で、病棟で暮らすための掟だ。病棟という狭い社会の中、もし漏れたりしたら、ある日から食事が朝昼晩毎食パンになる?注射は悲鳴をあげるほどに針を刺される?想像はつきない。冷遇冷視は言わずもがなだ。
 私の退院の目処がついてきたある日、親分が私のパジャマの上着の裾をつかんで離さない。「私はまだまだ入院していなければならない、お願いだからワースト看護師を教えてくれ」と。「×××だろ!」親分の口から最初に出た名前は、まさにワースト1の最悪魔だった。患者が悪魔と思う看護師は皆同じなんだなぁと思った。私は、首を縦にも横にも振れず・・・しかし、それは是認したも同じだった。
 親分は、それよりも以前、看護師の名前を廊下に貼りだし、人気投票をやれ!と言ったこともある。高校生じゃあるまいし「そんなことできないよ」と私は答えた。親分は寝返りをすることもできず、起きることもできないので食事も自分でとれない。入院当初数日、介助がなく食事をとれずにいたこともあり、入院生活には苦労している。親分は、看護師人気投票結果を張り出して、悪魔をこらしめたいと思ったのだろう。私は、しばらくは病気が重かったので、せめて白衣の天使を教えて、その看護師にいろいろ頼むと良いと教えたのであった。
 たぶん遠くに住むとなりの患者(親分)は二度とこの病院には入院しないだろう。私は一体どうしたら良いのだろう・・・・途方にくれるのであった。

2008年2月8日金曜日

ナースいろいろ

 病棟の朝、今日その日の受け持ち患者の状態を把握して、回る患者と仕事の段取りを組んでくる看護師もいるし、行き当たりばったりで、ただはじから患者を回る看護師もいる。

2008年2月1日金曜日

中国産?

 気づいたら、仏様にお供えする佃煮の原料の原産国を問い合わせていた。待てよ!学校給食も中国産のものがあるというが、病院食はどうなんだ?・・・・それはとても怖くて聞けない。具合が一層悪くなりそうで。

2008年1月31日木曜日

さくら

病院の待合いで閑古鳥が鳴いている日がある。並んだ椅子にすわって待つ患者が誰もいない光景は、閑散として寂しいというか、幽霊が座っていそうな不気味な感じもする。本来、病院でお客(患者)がいないことは望ましいことだけれど。一方で患者が待合室からあふれかえっている医師の日もある。
 内科だの消化器科だのメジャーな科で閑古鳥は、民間の医療法人立等の病院なら、いや今や公立病院でも経営を揺るがす許されざる事で、首になってしまったりするだろう。
 私だったら、親兄弟、親戚一統、友人知人にかたっぱしから電話して言うだろう、受診までしてもらうかはともかくも、「頼む!病院の椅子に座わってくれないか」と。

2008年1月25日金曜日

おもしろ話6(となりの患者)

なんで入院しているかわからない、となりの患者「おもしろ話5(ドクターカバごんととなりの患者)」が栄養指導から帰ってきた。間もなくベテランの担当看護師がやってきて「栄養指導どうでしたか?難しかったでしょう」と尋ねた。となりの患者は「ハイ」と。ここまでは栄養指導後の台本どおりの典型的な看護師と患者の会話だった。看護師は続けて、おきまりの「どのへんが難しかったぁ?」と聞いた。
 すると、「たんぱく質と炭水化物がわからなくなっちゃって、こんがらかっちゃって」と明るく答えているとなりの患者。
 私は『こりゃ重傷だぁ』と思った。小学校は出てるのか?なんでたんぱく質とたんすいかぶつが、こんがらかるんだぁ?単にひらがなだと同じ「た」で始まるだけだ。栄養素の勉強というヤツは、小学校で中学校でそして高校でとイヤっというぐらいやらされた。同じようなことを3回も。
 となりの患者が元ヤンキーで、学校へはあまり行かなかったという感じなら納得できる。しかし、となりの患者は、服装はどちらかと言えば地味で、眼鏡をかけ、でも性格はすこぶる明るくて、ママ友達とスーパーでカートを押してそうな極フツーの主婦という感じなのである。
 看護師は少しの間「・・・・」だったが「難しく考えないで、家でも病院と同じような食事にすればいいんですよ」と、これまたおきまりの言葉を言うと、さっさと行ってしまった。となりの患者が、栄養指導のメインテーマであるたんぱく制限やそれでもカロリーを摂るにはどうするかということなどは理解できたはずもない。どこが悪くて入院になったかは、わかっただろうか。最もカバごんによれば良くなっているのだから、特に神経質になる必要もないのだ。炭水化物がなんであろうと、結婚して、どんなふうかはわからないけれど、子供も育てている。
 私も病気さえ治れば、生きていけるのではないかと、なんだか妙な自信が湧いてきたのだった。
 

2008年1月19日土曜日

ドクターに喝はよしておこう

井上君、また「忘れちゃった」なのかい?忘れちゃったは、これで2回目。今回は専門外の検査方法のことだから仕方ないけれど。前回は、専門の分野で、「教科書に書いてあったけど忘れちゃった」だったね。
『忘れちゃった』はなかなか言えない言葉。私だったら、取り繕って、たとえデタラメでも最もらしく理屈を言ったりするだろう。
 以前教授に、2つの薬のうち1つの選択を迫られた。日頃も優柔不断な私は決めかねて、「効果が同じでも、臓器へのその働きかけに違いはあるのか?」と聞いた。答えはイエス。説明までに少し間があって、極めて早口で、熱くその相違について語ってくれた。後でその説明は違っていたことがわかった。さすがにデタラメではなかったが、その2つの薬の本来的な効果である血圧を降下させるためのメカニズムの説明であって、臓器への働きかけはそれとは違っていたのである。
 井上君が、組織に流されているようで流されていない一面を見たこともあった。それは、私が、教授が服用せよといった薬の量を守らなかった時のこと。私は、教授回診で教授にこっぴどく怒られた。研修医もまた怒られたが、それは研修医の指導医である井上君が怒られたも同じこと。しかし、その後も井上君は薬の量を強制しなかった。そして、一言「許してしまう私が本当にあんこさんのためになるのかと・・・」なんと正直な人間なんだろうと思った。
 決して見栄をはらない、おおらかに構えている井上君にはいつも勉強させられる。だから、喝と言いたいところだけど・・・今回はよしておこう(記載された名前は仮名です)

2008年1月9日水曜日

とんだボランティア

 病院の入口を入ると、数メートルのところに再診機が6台設置されている。再診の時は、カードをその再診機に差し込み、受診票を受け取らなければならない。入口と再診機の間の脇には、いつもボランティアが2人立っている。
 杖の私は片手で、バッグからカードを取り出し、再診機に差し込まなければならない。いつも難儀だ。せめてカードを再診機に差し込むだけでもボランティアがやってくれたらなぁと、恨めしそうに2人のボランティアを見ても、2人は全く気が付かない。黄色いエプロンを付けた2人は、決まっていつもぺちゃくちゃとおしゃべりをしている。2人は、40代後半から50代前半といった歳格好のいわゆるおばちゃんだ。時には盛り上がって、身体が左右に揺れて、笑って、はしゃいでいる。観客のウケを全く気にしない、開き直った漫才コンビのようだ。そばにいる総合案内の師長も加わってトリオになったりもする。
 別棟の入口にも再診機があって、そこに近い診療科の時は、そちらを利用する。そちらの棟では、再診機を曲がって少し行ったところの観葉植物の陰にボランティアが1人立っている。
患者が利用するエレベーターの正面だが、エレベーターからも離れている。だいたい普通に歩いていたら患者からは全く見えない、いわば死角といって良い場所がそのボランティアの立ち位置だ。若い青年で、これまたいつも昔の漫才師のようにモミ手で立っている。
 しかし、ある雨の日、別棟の入口を入ったところで、中年の女性が走りよってきた。その女性は私の傘をたたみ、ビニールに入れると、バッグの脇に差し込んでくれた。私は初めて受けたサービスに、仰天し、頭が真っ白になってしまった。エプロンを付けていたのでボランティアだっだのだと思う。たぶん。
 何年も通う病院でそんなサービスを受けたのはそれっきりだ。立っているだけのボランティアなら、カーネルサンダースのお爺さんやウルトラセブンの像を死角じゃないところに置いてくれたら、心が癒されたり楽しかったりするのになぁといつも思う。

2008年1月1日火曜日

ハッピーじゃないNew Year

 今年はついに誰にも年賀状を出さなかった。小学生の1年生の時から毎年書いていたから、それは私にとっては結構大きなこと。今年は、という気持ちがすっかり失せてしまった。逆に言えば、昨年までは、多少は希望を持っていたんだなぁと思う。毎年一つづつ病気が増えていく。病気のメリーゴーランドやぁ!病気の宝石箱やぁ!と自分で言ってしまうことがある。
 たかが年賀状、されど年賀状である。年賀状のやりとりで、長く会っていない友達ともいまだ友達であることが確認できた気持ちになる。年賀状1枚が仕事の潤滑油になったりもする。
 一昨年末に既に股関節が痛み始めていたが、昨年はぼちぼち仕事もできるようになるかもしれないと淡い期待をもっていた。しかし、また丸一年期待は裏切られてしまった。
 そして昨年も、また押し迫ってから口内が乾いてたまらない。昼間はひたすらガムをかんでいる。就眠時がつらい。口内は真っ赤で痛む。12月に入って2回目だ。年末、年始の救命センターは行かずとも想像がつく。インフルエンザで咳き込む人が溢れかえり、中にはノロウイルスの人もいるだろうなぁ。普通に病院が始業するまで我慢した方がたぶん得策だろう。
 年末に、暖かい日があったら私のウチのそばで、ランチでもとマダムKとメールでやりとりしていたが、それどころではなかった。マダムKとのこんなささやかな約束も、もう3年果たせていない。マダムKには病気のことは詳しく話していない。マダムKに限らず、周囲の人間に病気のことはあまり話したくないし、語れるほど体調の良い日は通院の日に充てるしかない。3年前にマダムKと約束をしていたランチをどたキャンしたことがあった。当日具合が悪くてどうにもならなかった、無理をすれば再発するので断るしかなかった。
 マダムKからお叱りのメールをもらった。怒りが文面からひしひしと伝わってきた。私達実業家の妻はプロミスがどんなに大事か・・・・・という下りで始まっていた。私達という表現にひっかかった。マダムKが実業家の妻のグループに属しているという意識が常にあるんだなと思った。
 マダムKは私よりはるかに年長だ。私の親の世代だ。よくランチをしていたお店で、私がナンパされたのである。マダムKはいわゆるセレブだ。格好はいつもぼろぼろで、破れたセーターに泥んこのジャージ、ホームレスと見間違うほどだ。駅ビルのお寿司屋であわびを頼んだら、板前さんが「お客さん高いけど大丈夫か?」と聞くのよ。おかしくて、おかしくて「なんとかなりますよって」言ってやったわ!無理もない話だ。誰が見ても公園に寝泊まりしてるヒトにしか見えないはずで某私大のゴルフ部OGだなんて誰が想像がつくだろうか。マダムKも人が悪いというか、それを楽しんでいるである。
 しかし、私は素性を知らないうちから、かなりの金持ちに違いないと思っていた。ランチのお店でオーナーシェフ夫妻の気の使い方が違った。店の経営者が気を使う客と言えば、お金を沢山落としていく客と金貸ししかないのである。
 最初にどんな言葉をかけられたか覚えていないが、私は気がつくとマダムKの自宅に招かれたり、別荘に招かれたりしていた。マダムKの家は、高級住宅街の一等地の大きな屋敷で、家の中はマダムKの格好と同じくめちゃくちゃだった。数百万はすると言われている愛犬が暴れた後だったせいもあるが。一番驚いたのは、帯のついた札束がリビングに落ちて転がっていた。山羊に似たその名犬が山羊のように札束を食べてしまっていたらどうなるのだろう・・・私は今思い返しても心臓がぎゅっとなる。愛犬は、まだ子供でなんでも噛みたい時期だったろうから札束をいくつか食らった残りの1束が落ちていたのかもしれない。
 そんなマダムKに、来年こそランチをなんて書いて、呆れられるとイヤなので、「あの世でいつかランチしましょう!」と暮れにメールした。