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2013年1月31日木曜日

入院心得5

冬、病室内は極めて乾燥しています。ベッドサイドに濡れたタオルをかけてしのぐか、許されるかどうかわかりませんが、自宅から加湿器を持参するしかありません。(「インフルエンザ」にも記しましたが。)

2013年1月30日水曜日

日本柔道曲がり道

お家芸である柔道によせる国民の期待は大きい。ロンドン五輪では、手に汗握り応援し、史上で初めて男子金メダル無しに嘆いた人も多いと思う。
 光線過敏症で昼夜逆転の生活を余儀なくされている私には、ロンドン五輪の放送時間は、生活時間にぴったりとはまり放送される柔道の全試合を技やルールもわからぬままに夢中で見た。そして、現日本女子柔道監督らの暴力が、国内女子柔道トップクラスの選手達により告発されていた事が昨日になって明るみに出た。しかも、この事実は昨秋に日本柔道連盟が把握していたという。女子柔道選手たちは並々ならぬ決断をして、選手生命をかけて告発に踏み切ったと思う。今日の連盟の役員会見で「見守り」という言葉が使われた。見守りとは、美しくて優しい言葉だけれど、このままということであろう。選手の将来を考えて、告発した15人を調べるつもりもないという。選手の事を真に考えているのだろうか。組織のことだけを考えているようにしか聞こえなかった。寒風に打たれ続けて咲く寒椿のように、女三四郎達も、打たれ続けるのだろうか。

2013年1月28日月曜日

愛想も勘定のうち

ファミレスで、いつも無愛想な店員が、土曜の夜はとても愛想が良かった。この人はこんな顔ができるんだぁと思ったくらいだ。何かいいことでもあったのかしらんと。
 帰宅後レシートを見て、なーるであーる。ドリンクバーの割引を餌に顧客に満足度調査のアンケートを実施していたのだ。『店員のサービスに満足でしたか?』愛想も勘定のうちなら、今のうちがそのファミレスに「行き時」だ。

2013年1月27日日曜日

暴食

たまごかけごはん、天丼、カツ丼。たまごかけごはん、天丼、カツ丼。たまごかけごはん、天丼・・・・・。毎日こんな食事をしたいと熱望している。天丼やカツ丼は上等なものでなくていいのだ。それこそコンビニのでも。あと、たまにマグロのにぎり、カップのソース焼きそばという具合で。天丼、カツ丼を牛丼に替えれば、それこそ西村賢太さんのケダモノの舌と変わらない。卵、こってり油、甘辛醤油味がとことん好きなのだ。
 しかし、最低でも2月に1回の血液検査があるし、野菜を食べないのは現代人じゃないというような風潮があって、私はそれらに負けている。声を大にして言えないけれど、正直なところ野菜は嫌いだ。少なくとも血液検査の1ヶ月前から、卵、生クリームは食らわない。天丼、カツ丼などは近所に提供してくれる店もないせいか、1年に1度食べるか食べないかという状況だ。結局のところコンビニ弁当のカツ丼や天丼はあれこれ考えて躊躇している。
 そして血液検査の後は、決まって暴食だ。年の瀬ぎりぎりの通院を終えて後、年明けの通院が重しのようになっていた。来る日もくる日も、食らい続けたキャベツ、キャベツ、大根、大根、トマト、トマト、人参、時々ごぼうと小松菜、インゲン。今週の通院を終えたら、おしるこ10杯と決めていた。けれど、日が高くなってしまった病院からの帰路が厳しいものとなり、いまだ疲労がとれず、疲労回復効果を狙って牡蠣のパスタとおしるこ1杯と今回は控えめになってしまった。

2013年1月26日土曜日

寒月


雲を伴ってもなお、寒々と光る月。
今日から大寒波が押し寄せてくるらしい。
もう昨晩になるけれど、給料日だというのに、飲食店が入るビルは閑散としていた。

2013年1月24日木曜日

アルジェリア人質事件、犠牲者を悼む

先ほど、アルジェリア人質事件で残る1人のご遺体が確認されたという。邦人犠牲者は10人に及んだ。企業戦士の命が、惨く奪われてしまったのだ。彼らの使命は、プラントの建設、円滑なオペレーションだったはずだ。武装勢力との闘いであったわけではない。誇りも、情熱も、これまでの苦労も命あってのこと。ご家族の悲しみは、計り知れない。
 グローバル化という言葉は、もはや言い古されて、海外で働く日本人は、24万人に及ぶと言われている。多かれ少なかれ、家族が、友人が、出張し、赴任している状況がある。誰しもが、決して人ごとではないのだ。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り致します。

2013年1月21日月曜日

言葉なく

アルジェリアの人質事件で、安否のわからなかった日本人10人のうち7人の死亡が確認されたと、菅官房長官から発表がなされた。 過酷な環境の中で、誇りをもって仕事をしていたであろう人達の命が奪われてしまったのだ。誰しもが、『生きていて欲しい』と祈っていた。外国人の死亡も多数確認されている。あまりにも痛ましく、言葉がない。

2013年1月18日金曜日

世界を知らず歴史を知らず、宗教を知らず

アルジェリアで日本のプラント建設大手会社の駐在員らが、イスラム武装勢力に拘束されたと知り、当たり前のように人命最優先で慎重に交渉が進められるものと思っていた。交渉は長期戦になるであろうと。
 だが、アルジェリア政府は早々に武力行使に出た。そこには、アルジェリアの事情があるという。これまでのテロの活発化による国内の混乱等からイスラム過激派とは交渉せずの姿勢を取っているらしい。そして、大事な収入源である天然ガスのプラント破壊のダメージなども影響しているとも言われている。
 戦場で生まれて戦場で育ち生きてきた人や人の苦しみは、とても理解できない。しかし、「人命最優先」が平和ぼけした人の戯言であっては欲しくない。
今日は、久々爆発話を記すつもりだったけれど、蚤糞のような事に思えてきて記せなくなりました。

2013年1月17日木曜日

時代は787?

東京でも一昨日の雪がまだ残っている。植木に綿帽子が載ったようでもあって、雲が載っているようでもある。今日も、ボーイング787でトラブルがあった。重い光線過敏が治る気配は全くなく、飛行機なんぞにはすっかり無縁だ。蛍光灯が駄目なのに、太陽に近づけるはずもない。雲を眼下に見下ろすことができるのは、天に召された時だけだろう。
 しかし、787はこのところずっとトラブルが続いている。先週あたりは、専門家が初期導入時には良くあること。こうやって、完成されていくものと言うような事を言っていた。そんなものかと聞き流していたけれど、今日は、航空各社が787の当面運航中止を決定した。多くの人の命を乗せて試運航はなかろう。かつて、頻繁に利用していたのは747だったと思う。時代は変わっている。利用といっても仕事であって残念ながら、プライベートでは、1度か2度だ。今の地に住まうようになった理由も、羽田に近いことと上野に近いからだった。皮肉なことに今や飛行機、新幹線ともに無縁となった。あっ、悲しいな。

2013年1月16日水曜日

ハンバーガーショップにて

大雪の明日で、足下が不安だ。活動時刻の夜は、雪を取り払った道路の真ん中でも、べっこう飴が張り付いているようになっている。自宅の目と鼻の先に、お茶やが経営する珈琲ショップがあるけれど、私はどうもその珈琲もカップも馴染めず、少し先のハンバーガーショップでカフェオレを飲んだ。カップならば、ここだって、紙だけど、やはり味なのかな?普通の珈琲も美味しい、万人が美味しいと感じるであろう癖のない味なのだ。
 カフェオレも美味しかった!有機栽培の豆らしい。ここ数年、有機栽培とか無農薬とかには、有機栽培=無農薬じゃないんだよなと思いながらもコロッといくようになっている。
 大雪と書いたけれど、8センチだの10センチの積雪は都会では大雪だ。朝の番組でコメンテーターの三屋裕子さん(福井県出身)が「8センチでニュースになるなんて」と発言していた。雪国に暮らす人たちは、都会のパニックが滑稽に映るかもしれない。

2013年1月14日月曜日

どんな夢を見ますか?

土曜日だけ朝日新聞を買っている。一昨日付録のbe読者とつくるの欄は「夢を気にしますか」だった。おしまいの方に読者から寄せられた具体的な夢の話が載っていて、それに笑った。『ウルトラの戦士たちが50人くらいで「だるまさんころんだ」をやっていて、キングギドラがこっそり参加していた』という話だ。
 夢はいつも沢山見るけれど、昨年末もとんでもない夢を見た。29歳のクリスマスの最終回を見終えて眠った日、すっかり29歳気分になってしまったのだろう。自由民主党総裁に口説かれている夢を見たのだ。私は、「いやですわぁ〜沢山女の方がいらっしゃるでしょうに。」とやんわり断っていた。目覚めてなお、まいったなぁ〜と思ったのだった。
写真は、昨年の春の銀座。新しいクラブの開店祝いに並んだ花々です。

2013年1月13日日曜日

おしるこ

ちびちびと断捨離は続けている。今夜も2冊の本を買い取ってもらおうと出かけた。しかし、買い取り価格は、予想よりはるかに安価で、今夜初めて「止めます!」と言ってしまった。2冊の本をぶら下げての徘徊は、のちにどっと疲れとなり、吸い込まれるようにいつものファミレスに入ってしまった。いつもなら、ハンバーグと野菜たっぷりタンメンぐらい、ラクに平らげるのに、今日は珍しく駄目そうだ。メニューを繰り返しめくって、時間だけが過ぎてしまった。こっそり、店を出ようかとメニューを閉じると、背表紙、いわゆる表4の上すみに『ぜんざい』を発見!
 毎日、夢や希望もなく生きていると綴っているけれど、この1ヶ月ほどずっと『おしるこ』が食べたいという思いがあった。『ぜんざい』と書いてあるが、汁があるようだから「おしるこ」だ。「これだ!」と注文。やや甘めだったけれど、ほっくりした北海道小豆が形のまま、ほどよい大きさのお餅を取り巻いて、心身ともに癒してくれて大満足でした。

2013年1月12日土曜日

となりの患者7

朝の5時だった。となりの病室で、まとめた荷物を横に置き、山高帽にジャケットを着た、年寄りがベッドに座って何やら看護師になだめられている。年寄りは、「今日は退院日だからウチに帰ります」と繰り返し言っているのだ。
 看護師は困り果てている。会計だってまだクローズだ。事務職員も来てはいない。退院後の薬だってできているはずもない。
 75、6歳ぐらいのお爺さんだ。その身なりは、なんと申しましょうか、オリンピックの選手団とともに、入場行進するJOCの役員のような出で立ちだった。夜にまとめたのか、ボストンバッグが一つお爺さんのとなりにある。パジャマがユニフォームである病棟で、その光景は、朝日の中、浮き立っていた。ぱりっとした身なりと裏腹に、お爺さんは一方的に「ウチに帰ります」をオオムのように繰り返している。
 私は、 下痢が続いていて毎朝5時頃に、外来病棟のキレイなトイレまで駆け込む日々だった。結末はいかに?と思いながらも、お尻に力を入れて競歩選手のような格好でトイレに向かった。そしてトイレから戻ると、病棟出入り口の自動ドアが、開かない。腐ったシジミが口を半開きにしているように、わずか10センチほど開いているだけだ。お爺さん対策だと、思った私は、ならば、手動で開けられるだろうと手で開けてなんとかにゅっと入った。すると、今度は廊下でボストンバッグを下げたお爺さんと看護師が「ウチに帰ります」「まだ駄目です」とやっていた。

2013年1月11日金曜日

カフェにて

ワインを傾ける女性達で賑わうカフェにて、本日のお勧めスープ、人参スープを飲んで帰宅する。昨年の夏から、たまに寄るようになった。広い店内と、ところどころにあるハロゲンライトで、くつろげる場所。2駅ほど電車を乗るので、頻繁には行けないのだ。目当ては、美味しい料理やケーキ?というより、お店の美しいおねえさんなのだ。スレンダーなショートヘアの人。しかし、この2回、今日も残念ながらいなかった。だんだん、おじさんに近づいていることを、今日改めて実感した。

2013年1月7日月曜日

何処へ行く?

ふと、考える。新春早々、買ってしまった春物のワンピースを着て一体何処に行くのか?一度着たら、脱げないワンピース。脱げなかろうが、着たい!着てどこかに行きたい!しかし、春は、日が長くなり、行けるところなんかありゃしない。若者の街、渋谷なら夜は長かろう。今年から20歳、年を鯖読むのだから、丁度いいかもしれないけれど、その違いは明白だ。
 昨年、近所のスーパーマーケット西○に入った瞬間、大きく深呼吸している自分に気が付いた。デフレ時代を謳歌できる場所。安い品々は、緑の葉っぱ。広いスペースは、ジャングル。日のある間、光を防ぐべく目張りした狭い部屋に閉じこもっている私にとっては、のびのび空間だ。LEDのライトは、木の葉からこぼれる優しい光。そう、西○が、森林浴の場なのだ。
 夜しか活動できない私を、24時間営業のこのスーパーマーケットが救ってくれている。
春に、おにゅーのワンピースを着ていつもの森林浴に行けばいいじゃないか!
 

2013年1月6日日曜日

年賀状

『今年こそ仕事に就きたい』とか『昨年、痛風に・・・』とか『町田ゼルビアは頑張ります(サポーター)』(昨年J2に昇格するもJFLに戻ることになってしまった)などの年賀状に、正月から心底浮かれている奴などい・な・い・と思った。
 そして、今日ハッピーな年賀状だけが届くと、自分だけが幸せから置き去りにされている気がする。

2013年1月4日金曜日

患者心得10

病を憎んで、医師を憎まず。

2013年1月3日木曜日

お江戸の春

東京駅は、北に向かう人達でごった返していた。夜6時だと言うのに。
耐えかねて、家を飛び出したのだった。じっとしていた方が身体のためには良いとは、わかっちゃいるけどいられない。日の入りは既に延びていて5時半近くのスタートで、おしまいは、9時。
 日本橋の百貨店のディスプレイには新春らしい、あでやかで品格のある見事な振り袖が飾られていた。『ああ、今にも袖をとおして着たい!』と思ったのだった。

7時でクローズなので、そのまま近くのビルで赤いセーターを試着した。ほぼ予定どおりの行動だった。赤いセーターを着ると、まるで中華街の同○の店先につるされた焼豚のようになった。優しい店員さんのほめ言葉には乗りようがない。下調べが甘く、ビルのクローズが9時、店は8時クローズだった。焼豚のごとき私は、ヤケになり、Jean Paulなんとかというブランドのサキューラスカートの濃紺のワンピースを買ってしまった。お安くなっていたとは言っても、春物で、ほうきにまたがると魔法使いのようだ。しかも、ファスナーがなく、着脱に難ありだ。試着室で格闘中、このまま春まで着ているしかないかと真剣に思った。お金を払えば、それは許されるだろうと。気をとり直して、なんとかワンピースを身体からむしり取ったら、私自身がよれよれになった。
 帰途、座ることができた電車内は蛍光灯が荷物棚にうまく隠れていたので、いろいろな事を考えることができた。 向かいの席に「おばさん」が座ってきて、思わずニヤリ。ここにもまた、振り袖が遙か昔の人がいる!本人は「おばさん」と自覚していない格好にそぶりだ。それはまるで鏡を見ているようでもあった。私の口もとはマスクで隠れていて、ニヤリは「おばさん」には知られない。
 10年前は、歳を4つ鯖を読んでいた。5年前からは、10歳ほど鯖を読むようになった。今年は、いくつ鯖を読もうか、読むべきか。いや、読まなければならないのか。もう10歳では、どうにも間に合わない。15歳は、計算がやや面倒だ。「えーと」とつい言ってしまいそうだ。20歳だな。今年から。