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2008年5月19日月曜日

地獄絵図7

 となりのばあさんには、悩ましい事がもう一つある。それは大声での自らの半生の語りだ。当初は見舞客相手に語っているのだと思っていたが、連日の大声に身体を起こして見ると、聞き役は、50歳を過ぎているであろう年増の看護学生だった。看護学生が実習として話し相手になっているのだ。耳が遠いばあさんは、耳がつんざけるほどの大声で語り、聞き手の年増の学生もまた素っ頓狂な大声で「ハイー、ハイー」と民謡で合いの手を入れるように相づちを打つ。
 話は長い時は3時間に及ぶ。よくもあんなにしゃべっていられる体力があるものだ。『亡くなった夫は、長谷川一夫のようにいい男だった。』『1人息子は50を超えているが子供の頃からできが悪かった』から始まる亡き夫、息子にまつわる苦労話は連日ブレがないが、事自分のことになると、ある日は、『下宿屋のおかみ』として下宿屋家業のおもしろさ、下宿人の様々な人間模様を語ったかと思うと、明くる日は『団地に住む主婦』だったという。
 年増の看護学生は整合性のないところに突っ込みは決して入れない。ただ返事だけして今日の夕飯のおかずでも考えているのだろう。

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