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2012年12月31日月曜日

反省

晦日、私の活動時間の夕刻以降は、どしゃぶりの雨となった。
年賀状の作成は、プリンターの故障で今夜、大晦日の勝負となる。
紙袋いっぱいの紙をなんとか惜しみなく捨てることができた。
ほとんどが領収書だ。友人は、一層、断捨離ブログにしてしまえと言う。エディターだった友人の助言は素直に聞くべきと思いつつ、踏み切れない。
 今年は、不満と嘆きばかりだったことを今日になって反省している。
歩けるようになった去年の感謝の気持ちはどこかにすっとび(希望の翼)、夜しか活動できない暮らしの不満が募るばかりだった。来年は、どうしたい、こうしたいは今は考えられないのが正直なところ。心底、ひたすら光線過敏が軽減されることを願っているのだけれど、叶わぬことを思い続けてもむなしさとストレスで押しつぶされそうだから。
今年も、このブログを読んで下さった皆様には本当に感謝いたします。
皆様も良いお年をお迎え下さい。そして、来年もよろしくお願いします。


2012年12月27日木曜日

ひな壇に並ぶシクラメン

入閣した新閣僚のようだ。
国民の視線はともかく、ご本人達の心中は、華やいでいることだろう。

2012年12月26日水曜日

クリスマス

小田和正の恒例番組『クリスマスの約束』を見ながら、過ごしている。小田和正の透き通る声、賞味期限の切れた透き通った珈琲を堪能した。小田和正の曲だけでいいと思いつつも夏の歌の選曲は良かった。大貫妙子の『夏に恋する女たち』が懐かしかった。この番組も12回目だそうだ。子供の頃、母に手をひかれて通った小田薬局が小田和正の実家だと知ったのは、ほんの数年前のこと。サンスターのグリーン歯磨き(正確な名前は忘れたけれどペパーミント色のペーストだった)を小田薬局で買っていた。毎日ブログを更新して、迫り来る通院の憂鬱をごまかしている。

2012年12月25日火曜日

29歳のクリスマス

『29歳のクリスマス』再放送が終わってしまった。
クリスマスイブなのに、グリーンピースご飯と鮭、湯豆腐というディナーより悲しい。北川悦吏子育ちという人がいる。北川悦吏子さん脚本のドラマを見て育った(成長してきた)ということだろうけど、そういう言い方をすれば、私の場合は鎌田敏夫育ちだ。29歳のクリスマスが再放送されるたびに、29歳の時の自分に戻れる。一層、夏でも再放送してくれ!と言いたくなるぐらいこのドラマが好きだ。『俺たちの旅』と永遠に交互に再放送してくれたならどんなにハッピーだろう。セリフがたまらない。キャストの山口智子が、松下由樹が柳葉敏郎が上手い!
本放送の時、一緒に楽しみに観ていた友人に、「今日が最終回よ!見て」とメールすると、「子供は、まだ学校が休みじゃないのよ。見たら明日起きられない」と返事が来た。あの頃、ドラマが終わると電話で熱く語ったのに。子供は勝手にランドセルを背負って、パンでも食べて学校に行くものじゃないのか?ないのかぁ。現実は、29歳からはるかに遠い。

2012年12月24日月曜日

昨日、サッカー天皇杯準々決勝4試合をテレビ観戦した。うち2試合は録画放映だったけれど、見終わった夜10時過ぎ、外出すると寒空に張り付いた月がサッカーボールに見えた。
 昼間の試合は、ほとんど夢の中だった。普段は寝ている時間だから。ガンバとセレッソ戦は延長戦に突入したまでは記憶があるけれど、延長戦でガンバが得点した折り、これでガンバの試合が最低でも1試合観られると思った安堵からか、その後のことはわからない。鹿島と千葉の試合は、さっぱりだ。馬がフィールドを悠々と走り、それとは無関係にサッカー選手が必死にボールをつないでいる夢を見た。気が付くと、テレビ画面は競馬中継になっていた。夜の録画放映は楽しめた。連勝続きの大宮が、試合を決めるように思われたが、昨年のJリーグ王者の意地を見せた柏が追い上げ、ロスタイムにストライカーの工藤が決勝点を決め、これぞサッカーと思わせてくれた。マリノスとグランパスの試合は、じれたけれどPK戦にもつれ、元日本代表同士、玉を置き玉の前に立った中澤とキーパー楢崎の画には息を飲んだ。

2012年12月19日水曜日

13年ミート

それはまさに出会いだ。
13とは2013年なのか?だとしたら私への未来からの贈り物。
それはまた、冷凍庫から出てきたモノ。
牛挽肉の一塊。
13.7.7製造13.7.8消費期限のシールが付いている。
意味がわからずに、しばらく時間が止まったようになってしまった。
未来からの贈り物でもなんでもない。過去の遺産だ。
記憶をたどれば、平成13年7月7日に私はここに住んでいなかったか、引っ越して来た日だ。
この小さな塊を、線路の向こう側の木造アパートから、引っ越し屋さんのトラックに乗せて運んだのか。ため息がでるほどのしみったれぶりだ。さすがに今は、それを食べる勇気がない。
しかし、この負の遺産も、
引っ越し記念品だと思うとまた捨てられなくなる。引っ越しの並々ならぬ思い出が沸いてきて、もう捨てられない。職場の机の引き出しの中にはいつも胃薬の瓶が3つ並び、終電に駅の階段を駆け上がり、毎日毎日ゆで卵とウインナーだけのおかずの弁当を寝ぼけ眼で詰めて、気が付くと洗顔フォームで歯を磨いていた。妙な味とひどい泡に「げっ」となった。昨日と今日の区別がつかないくらい働いた。アパートの階段をころげるように降りたら、ヒールの高さが右足と左足で違っていておまけに靴自体の色まで違っていたり。飲めない酒を飲んでこらえて家でゲロを吐いて・・・涙涙のサラリーウーマン時代にやっと手に入れた今の住まい。
ここは思い切って決断しないと新しい年は迎えられないだろう。
今宵も、遅ればせながらの「断捨離」です。

2012年12月1日土曜日

限りなく黒に近いブルー

ブルーだから病気が悪くなるのか、病気が悪くなるからブルーになるのか、どっちやねん!
 ある朝起きたら、右手がグローブのようになっていて、こわばって思うように動かない。これは起こりうる症状だけれど初めてなので、ショックで少し呆然となった後、混乱した。光線過敏がなければ、直ぐに家を飛び出して、犬のようにはぁはぁしながら、自宅の周りを三回歩き回るのに。しばらくして治まって、原因を考えた。原因と言ったところで、そういう病気なんだから考えても仕方がないが、子供のころから考えても仕方のないことをぐるぐると止めどなく考える。前の晩、酉の市に行ったのだった。参拝客の列は蛇のとぐろのようにぐるぐるとうにゃうにゃと狭い境内の中を幾重にも重なってはみ出てやきそば屋台の脇を突き抜けて、さらに曲がって折り返していた。結局、1時間近く寒い思いをしたのだった。医師は、暑すぎるのもいけないし、寒いのもまた病気を悪くすると言っていた。この世に神も仏もないとはこのことだ。1時間待って、30秒間、ひたすら病魔撃退を祈念したのに。おまけに、小さいながら熊手まで買ったのに。
 翌晩、ブルー打開に、かねてより予約してあった美容院に髪を切りに行った。夏の間は、日が長く、髪を切りに行くこともできない。香里奈さんを目指していた髪は、いつしか椿鬼奴 さんになり、既に連獅子の獅子の髪のようになっていた。髪が濡れると頭がぐらつくようになっていた。髪を切って、頭が軽くなって、近くの東京タワーを見たら、気持ちが上向くかもしれないと思った。しかし、あまり効果はなかった。片田舎から上京して、東京タワーを間近に見ながら大都会東京で働く喜びに胸が躍った昔を思い出して、とてつもなく情けなくなって、気がつくとひたすら、下を向いて南に南に歩いていた。