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2021年5月31日月曜日

延長、また延長


 

雨の夜の木曜日、お蕎麦屋さんにたどり着くと既に暖簾が下りていた。
明くる晩の金曜日はお蕎麦屋さんには灯りが点っていた。
やれやれ。
下戸で蕎麦アレルギーの私は、鶏の塩焼きをおかずに白飯を食べようと考えていた。
ところが、店主が鶏の塩焼きはやめたと言う。
酒類が提供できずに、メニューを絞ってしまったからだと言うのだ。
以前のように金曜日の夜を感じる客数はなく、ぽつんぽつんとお蕎麦やお丼を食する人が座っていた。
店主の機嫌は悪かった。

 
迎えた木曜日はまたもや雨の夜で、足を運ばずに諦めた。
そして金曜日、既に暖簾は下ろされていた。
店内の奥に灯りはあったようだから、
客が入らずに早じまいとしてしまったのだろう。

 

緊急事態宣言が6月20日まで再延長されることとなった。
飲食店の営業は夜8時まで、酒類提供の停止も継続される。
東京では、今年2度目の緊急事態宣言が発出された1月から、半年もこの状況が続いている。
遡れば、昨年から1年余り続いているのだ。この間にもいつくもの飲食店が閉店に追い込まれていった。


今日の東京の最高気温は24度、最低気温は17度、晴れ時々雨の予報です。
日が延びているところに、緊急事態宣言で暮らしがますます不自由になるドラキュラです。
今週もお互いになんとかやってまいりましょう。
本日も当ブログにご来訪いただきまして有難うございました。
 

2021年5月29日土曜日

安心安全が信じられない


 つい3日前、三重県が公表したある事例では、2月下旬に帰国した男性がインド株に感染していたことが、5月25日に明らかになった。男性は入国時の検査(抗原検査)では陰性で、その後自主的に行った検査で陽性が明らかになったのが3月中旬から4月上旬と言う。陽性判明まではホテルに滞在していたので県は感染の広がりはないとしている。

ここで驚くのは、国の検査によってインド株であることが判明するまでに2ヶ月以上を有していることだ。


 
さて、五輪開催都市のトップ小池都知事は、 
「インドで流行しているL452Rの変異株について、これまでの2倍の感染力だという計算になろうかと思います」
と言いながら、インド株の検査を開始したのは先月末のこと。
検査件数は、1ヶ月で僅か300件たらず、確認されたインド株は14人だ。東京都の人口は1396万人だ。
 
既に1年以上もコロナと戦っている中で、あまりにも対応が遅くお粗末だ。
 
つい先日、東京医科歯科大学では、インド株の市中感染事例を確認したことを発表している。
 
さらに、何故か相変わらず都としては積極的なPCR検査は行わないので、無症状の感染者数の把握はできていないままだ。
無症状者にもスーパースプレッダーがいることが世田谷区や鳥取県の調査で明らかになっている。
東京都の新規感染者数は、直近で614人、高止まりの状態と見ることもできるけれど、潜在的な感染者数は未知数で、実態がつかめていないのが現状だ。
 

 
イギリスでは既に新規感染者の最大で75%がインド株に置き換わっていると推測され、ワクチン接種が進んでいながら新規感染者数が増加して来ているという。 
これを受けて、欧州ではイギリスからの渡航者を2週間隔離するなど 入国制限を厳しくする措置を次々決めている。

日本では現在、イギリスからの入国制限は従来どおりのままだ。
インド、パキスタン及びネパールからの入国制限も遅れ、5月に入ってからだった。


 総理が繰り返し言う、「安心安全な五輪の開催」が信じられない。

オリパラで、入国する関係者は7万8千人に上ると言う。

関係者の行動制限を徹底するのは不可能であろう。
選手はバブルの中に留めると言っても、ボランティアを始め人の出入りがある。バブルの中でクラスターが発生する可能性も完全には排除できないのだ。 

そして、東京オリパラでコロナのさらなる感染拡大が国内外で起きたとしても誰も責任を取らないことだけは確かであろう。

2021年5月27日木曜日

Super flower・ Blood moon

 

私の夜空では、天体ショーは開かれなかった。
視界不良、我が人生の如し。


いつかのように赤胴色の月を捕まえるつもりは、はなからなくて(Blood Moon)、皆既が終わって少しずつ膨らんで行く月を収めるつもりだった。

既に皆既であったからか、雲がしゃしゃり出ているせいかいつかの交差点に人影はなかった。
ところが、20時28分を回ると一人二人と人が湧いて来た。
一人一人の見る方向は微妙に違っていた。
私は、3月には全く動かせなかった首が、ぐるぐる回るようになったこともあって、信じる方向を見失って気がつくと空の穴を探していた。
諦めが早いのか、忙しいのか、人はどんどんと去って行った。
中には、真北を指して「あっちが南だ!」と言い放って消えた三人組もいた。
その言葉に吊られたわけではないけれど、ビルの陰のもう少し東がその方向かと思って私も歩き始めてしまった。
やがて雲には隙間が一つもなくなって、私は犬のように下を向いて、黒い夜に冴えるどくだみの白い花などを撮っていた。
はっと我に返って、クチナシの季節だと思い出して、街路の植え込みを覗きに歩くと、花を待たなかったのか、綺麗に刈られたクチナシの低木からは新芽が一斉に吹き出して、街灯の光に葉だけが艶々と光っていた。
これまた無念。

飛んで来た被子が根付いたのか、アカシアの葉がツツジ植え込みの間からにょきっと伸びていた。面白いように、葉を合わせている。これは夜になると葉を閉じるネムノキと同じだ。

諦めの悪い私は、再び交差点へと戻った。

21:18撮影
 

すると、月のかけらを見つけた。
細い月は、撮影すると土の中から出て来た古代の勾玉のように膨らんでしまうのが残念だ。


 

今日の東京の最高気温は20度、最低気温は15度、雨時々曇りの予報です。
本日も当ブログにご来訪いただきまして有難うございました。

2021年5月26日水曜日

That's life.


昨日は、まあまあだったのに。
今日は、また左側の顔が少し腫れて、涙も出ないし、唾液も出ない。
通院の後、10日ぐらいは身体のダメージが取れないから、そのせいもあるか。
だるさが取れた頃には、また通院で、その後にまたダウンだ。
こうやって私の場合、1年が過ぎて行く。

 

今日の東京の最高気温は25度、最低気温は18度、晴れ後曇りの予報です。
今夜は24年ぶりにスーパームーンで皆既月食だそうです。
その時だけでも上を向きましょうかね。

2021年5月24日月曜日

返す言葉もむなしき月曜日


 緊急事態宣言下でも
「YES」

緊急事態宣言下でも東京オリパラは開催するかと質問されて、「Yes」と答えたのは、国際オリンピック委員会(IOC)副会長のコーツ調整委員長だ。

「 五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わないといけない」

続いてこれは、IOC会長のバッハ氏の発言だ。 国際ホッケー連盟のオンライン総会でバッハ氏が発言したと報じられている。

これから、五輪開催に手を挙げる国は続くだろうか。


「もうそうゆうね、そのいろいろ幹事長も発言しているんだから、あまり根掘り葉掘り、党内部のことまで踏み込まないで欲しい。」

これは、公職選挙法違反で有罪判決が確定した河井案里氏による大規模巨額買収事件で、自民党本部が提供した1億5千万円について、自民党の誰が関与したかという記者の質問に、林幹雄幹事長代理が発言したもの。自民党の幹事長である二階氏は自らの関与を否定している。

この林氏の発言、党内部のことと言うけれど、河井氏の会計担当者は、自民党から提供された1億5千万円が買収資金に当てられたと供述している。1億5千万円のうち1億2千万円の原資は政党交付金であり、国民の血税だ。
明らかにする責任があり、交付金は国庫に返納して税金を返して欲しい。

 

「国に頼るなんて沖縄県民らしくない」
「なんで168人(18日の感染者)も出るんだって。バカじゃないか」

こちらは自民党最大派閥細田派のトップ細田博之氏の発言である。

沖縄では、沖縄戦で犠牲になった戦没者の遺骨が混ざる土が、米軍基地の建設に使われようとしている。これにハンガーストライキで抗議する県民までいる。今尚、沖縄県民が犠牲になっていることをどう理解しているのだろうか。


今日の東京の最高気温は27度、最低気温は16度、晴れ夕方から曇りの予報です。

東京の新型コロナ感染者の数値はほぼ横ばいとなって来ていますが、全国的には感染者が急増する地域もあり、今なお入院できずに亡くなる方がおられます。

不安の中の日々の暮らしですが、お互いに気をつけてまいりましょう。
コロナを患う方やそのご家族様には心よりご回復をお祈りいたします。


2021年5月22日土曜日

通院辛苦


行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。行きたくない。
夜の間じゅう念仏を唱えるように言い続けて、とうとう夜が終わってしまった。
5時を迎える前のゴーちゃん占いでは 、健康運がナンバー1だと言う。
そんな馬鹿な。難病たかりに健康運ナンバー1なんてあり得ないだろ!「ば」に思い切り力を込めてバーカと呟いた。
 

 
 
 新たに罹患した難病がほぼ確定するのだ。すっぽかすこともできるけれど、長く患っている難病認定の毎年の更新の時を迎えて、診断書作成の依頼手続きのためにも病院に行かないわけにはいかなかったのだ。
タクシーの無線センターではあんこと言えば、自宅前にピタリと車をつけなければいけないことを承知してくれている。 
そうして乗り込んだタクシーの運転手さんは、白髪の物腰の柔らかな人だった。重い曇りが、運転席をちらりと見ることを許してくれたのだ。
丁度一ヶ月前、初めて診てもらった医師は、3月半ばからの奇怪な症状や、長く患う難病の特徴的な症状のキーワードを注意深く聞いていることがコンピューターに向うその背中でも十分にわかった。
若き教授であった。
その時すでに医師には南の海に浮かぶ島の名前のようなその病名が頭にあったに違いない。
私は、語るに尽くせない16年の長い病歴、それは様々な症状がもぐらたたきのように現れて来たことを、A4用紙1枚にまとめている。
誇れるはずもない私の履歴書だ。それと、今の難病を確定したT病院での血液検査データを渡すと、医師は素早くコピーした。
そして、医師は首と顎の間にできたコブを躊躇せずに直ちに触診した。
コロナを心配してか、皮膚科医も腎臓科医も私の訴えにも触診はしなかったのであった。皮膚科医が触診したのは、2回目の受診の時で、なおりゅうとしてあると言ったコブに流石に疑問を抱いたのであろう。
初めての医師は、リンパ節の腫れではなく、顎下腺であると言った。
私が顎下腺?と頭で復唱しているうちに、ズキリとそこに針が刺された。針は重く2回突き刺された。
あっという間に生検が行われていたのであった。
「ちょっと細胞を採りましたからね。」と、それは生検だろうがと私は心の準備もなく行われたことと強い痛みに不満も持ったけれど、「ごめん、ごめん」と言う医師が稀なるダイヤモンド級の医師(患者心得2)であるに違いないと思った。
そして、南の海の島のような病名が告げられた。
確定するには、血液検査と首をぐるりと切らねばならないと言う。
 既に抱える難病と同じ自己免疫疾患であるその疾患が残念ながらその医師の専門外であり、×××科であることは私にもわかった。今様に言えば、かつてひどいドクハラを受けた科である。
「治らない病気は診たってしょうがないだろ、治らないんだから」と私は切って捨てられたのであった。
その教授は退官後も相変わらず大学病院に君臨している。

 
空耳か、幻聴か、微かに音楽が聞こえてきた。
近頃のタクシーの座席の目の前のスクリーンは光がダメな私にとって天敵だから、乗り込むや否や、消している。
「クラッシックかけていますか?」と運転手さんに尋ねると、
そうだと言う。「クラッシックが一番心が休まるからね。」と。
かかっていたモーツアルトの交響曲を大きくしてもらった。
どの楽団もコロナで苦労していることなどと話して、音色に耳を傾けていると病院までは一瞬だった。
16年、通院は歩行が困難であった時代も含めてタクシーで通う以外にないものだから、タクシーを優に300回は利用しているだろう。
けれど、タクシーでクラッシックを楽しめたのは初めてのことだった。つりはいらないと言ったのが僅か40円ばかりのプータローであった。

 
合理的に考える医師であろうと踏んだ私は、この一ヶ月ひたすら寛解を目指した。例え血液検査で黒であっても、症状が収まってきていれば、首をぐるりと切開するとは言わないのではないだろうか。
私は一ヶ月間、これま で以上に光を避けたのだ。夜のスーパーマーケットではやはり目の上のコブが大きくなった。スーパーでも人目をはばからずに通院用の巨大な完全遮光の帽子を被った。太陽光を完全にシャットアウトした室内では僅かな灯りも食事を摂る時以外は消灯して暮らし続けたのだ。
それこそ確かなエビデンスはないけれど、奇怪な症状の始まりは、美容室で強い光に2時間半も当たってしまった後であった。
美容室は、快くいつものように夜の施しを許してくれたけれど、4ヶ月ぶりの美容室は補助金も得てコロナ対策に内部改修をしていたのだ。白亜の殿堂となって天井も壁も 真っ白だった。
個別に区切られて白い壁は身に迫っており、ライトを天井に向けてもらったけれど、大胆に反射して眼はとりわけ辛かったのだ。
夜という特別な時間にお願いしている遠慮があった私は我慢してしまった。
翌日は起き上がれず、その次の日に起床すると眼の上に鶏卵大のコブができて瞼が押して視界も狭くなっていた。顔は提灯のように膨らんで、首の上部にもりゅうりゅうとコブができていたのだ。とりわけ白い壁が迫っていた左側の症状が重かった。
 

いざの受診は、予想どおりの展開となった。
血液検査は残念ながらの黒。生検はやや微妙。眼の上のコブはほとんどわからない位に収まって、顎の下のコブも一ヶ月前よりは小さくなっていたのだ。
首を切るには血管が透けて見えるほどに相当な光を当てて明るくしなければ危険であること、それを今、症状がおさまりつつある中で光線過敏の症状が重い私に行う必要があるかどうか。
首切りは今回は見合わせることとなった。私が一ヶ月前に難色を示した×××科へと言う話もなかった。

 
まずは、ギリギリのセーフを大喜びで帰宅した。
しかし起床するとまた眼の上が腫れている。
治療も確立していないこの度の難病は、極限られた 大学病院でしか実績もない。光線過敏の症状が重い私は、それらの病院にかかることは困難だ。太陽光はサングラスをしても眼にも危険が及ぶのだ。
綱渡りの綱を揺らされる暮らしが続いて行く。
とりあえず、この土日は、心と体を休めようと思う。
灯りを消して。

2021年5月18日火曜日

ここで深呼吸2


 
雨に打たれて一層美しいバラの写真を大阪土産と送っていただきました。
明治24年(1891年) 大阪で初めて誕生した公園だと言う中之島公園のバラだそうです。

 
写真を送ってくださったのは、こちらのマリリンモンローより魅力的なアレクサンダーテクニック講師の白井幸子さんです。大阪で出張レッスンだったようです。

 
 バラは優美な姿と甘い香りを備えているので、 眺めて、嗅いでと時を忘れて花に酔えますね。
マスクを外して香りを楽しめたでしょうかね。


 
雨の中の撮影は大変だったと思います。
美しい写真を有難うございました。


2021年5月17日月曜日

憂いて月曜日

 

コロナが全国に飛び火して、日本では休業多き月曜日を迎えました。
改めて休業要請を受けているところをみると、劇場、映画館、遊園地、美術館、博物館はもとより図書館や書店まである。
ドラキュラである私は、昼間の営みを見ることができなくなって13年となる。
もはや日常の昼間と言うのが思い出せませんが、活気があるのはパン屋さんぐらいでしょうか。
それでも外出は控えるように言われているので、客足はどんなものでしょう。


今日の東京の最高気温は26度、最低気温は19度、曇りの予報です。
明るい気持ちになれない日々が長く続いていますが、なんとかまた一週間やってまいりましょう。
本日も当ブログにご来訪いただきまして有難うございました。
 
 


2021年5月14日金曜日

マックにて


 太陽光を一切遮断した暗い密室で23時間以上過ごすドラキュラである私にとって、
夜、マックで喉を潤すことは、僅かな安らぎの時であった。
それが、3月のおしまいから少し窮屈な空間となっている。 

 

突如目の前に現れたチョコレートマン。(マックにて
男がテーブルに置いていった小さなチョコレートの箱の中には、
金紙に包まれたチョコレートが二つ並んで入っていた。
チョコレートマンは、甘いものが嫌いだったら誰かにあげて下さいと言ったけれど、そんなことができるわけもない。

 
今夜のお話は、4月の半ばのことです。
その晩も私は大きな池の縁に並ぶ石のように座している人々を確かめるように見渡すことは控えて、
ぽつんと空いているテーブルを見つけるやいなや直ちに荷物を置いてまっしぐらにオーダーカウンターへ向かった。 
チョコレートマンに会ったりしたら、どう応じたら良いのやら。
あの晩私はチョコレートの箱を、仕方なしに家に持ち帰った。
4日ばかりテーブルに置いていたけれど、結局金紙を開いてチョコレートを口の中に放り込む勇気がなかったのだ。
知らない誰かにもらった明治のチョコレートを食って死んだってよ、という話には長い闘病生活の苦しみの影もなく、あっからかんと伝えられる気がした。

 
ツーっとアイスラテを飲み干して、
私は椅子の背もたれに寄りかかって腕をだらりと下ろした。
するとどこから出てきたのかチョコレートマンが突然現れた。
私は直ちにそうとわかったけれど、
「ああ、この前、チョコレートを下さった方? 」と言った。
チョコレートのお礼を言うのは明らかに違うと思って、選んだ言葉だった。
男は、「どうでしたか美味しかったですか?」と言い終えるや否や、あっという間に今度は大きなチョコレートの箱を傾けて、
みるみるうちにマックの小さなテーブルが金色に染まった。
小さな四角いチョコレートはどっさりと小判が積もったようだった。
「どうぞ、どうぞ」男は言った。
私は、その瞬間に、いろんなことを考えていた。
大きなチョコレートの箱をくるんでいた透明のセロファンのひらひらが、たった今開けたばかりと言う感じであること。この何十もの金の包み紙を解いて毒を盛って包み直すのは相当な時間がかかるだろうから、別の何処かでしか毒は仕込めないだろうと言うこと。


私ががっくりとしてそのうちの一つを取り上げると、男の話が始まった。
「いつもコーヒー飲んでらっしゃるでしょう。」
その時私は、チョコレートマンがこのマックの一見さんではないことを知った。
「良くないんじゃないかと思って。余計なお世話なんですけど。」
男のこの言葉には私は素直に耳を傾けながら、体調が悪くてこの頃はカフェラテにしていることを私は伝えた。
男は、 自分もカフェラテを飲んでいること、そして姉を亡くしたと話を始めた。その姉上が大のコーヒー好きで、毎日飲んでいたから、コーヒーが身体にどうなのかと考えるようになったと言うのだ。その姉上に私が似ているのだと言う。だから余計な事だけれど言いたかったと。
姉上を亡くしたという話はおそらく本当で、しかも亡くなったのは割と最近に違いないと私は察した。
チョコレートについて言えば、私は半年ほど前からカカオの農薬を気にして、明治のチョコレートを止めてドイツの有機カカオのチョコレート を食べるようになっていた。だからコーヒーの農薬も気にしていたので、男の話には一理あるとは思った。
けれど、そんな事を話して会話を長引かせたくなかった私はだんまりだった。
もし身体の具合が悪くなければ、私が妹ではなくて姉に似ているという言葉に嫌味の一つも言っていたかもしれない。それより、私に死相でも出ているのではないかと思ってますます暗い気持ちにもなった。
「今日は、お先に失礼します」
男は、隣のデスクで仕事をしている同僚のようなセリフを言ってマックを出て行った。
私は、3月半ばに始まった異様な症状の不安の上に余計なストレスをもらった気がして、やけになって金紙をむしり取ってチョコレートを真っ赤に爛れる口の中に入れた。



2021年5月12日水曜日

荒井裕子さん個展のご案内


イタリアの風景画家荒井裕子さんから個展のご案内が届きました。
この度は、昨年の3月と同じ新宿京王プラザホテルのロビーにて開催されるそうです。

ヴェネツィアの水路に、石畳の裏通りに溢れ出る初夏の輝き。街の日常的な風景を鮮やかな色彩で描く作者のイタリア愛を、アクリルガッシュの大作や水彩の小品でお楽しみくださいとのことです。

5月21日金曜日から5月30日日曜日まで
10:00a.m.〜5:00p.m.(最終日は3:00p.m.まで)
新宿京王プラザホテル本館3階ロビーギャラリーにて
入場無料
東京都新宿区西新宿2−2ー1
tel.03-3344-0111
京王プラザホテルロビーギャラリーhttps://www.keioplaza.co.jp/guide/lobby-gallery.html

荒井裕子さんのホームページhttp://home.att.ne.jp/gold/hirokoarai/info.htm
 

 
新宿京王プラザホテルのロビーギャラリーは開放感あるスペースのようです。
この度もロビー壁面と二つのギャラリースペースでの展示とのことですので、荒井さんのイタリアの様々なシーンが数多く展開されることと存じます。
静かに初夏のイタリアの景色を堪能した後は、ラウンジでイタリア産生ハムとロメインレタスのシーザーサラダ、スパゲティボンゴレなどをいただくと、すっかりイタリアを旅した気分になることでしょう。
残念ながら私は、5時のギャラリー閉館にはどうにも伺うことができません。
どうぞご都合のよろしい方はお訪ねいただいて、イタリアの初夏の風に癒されてください。

2021年5月11日火曜日

緊急事態宣言を延長


閉ざされたカフェ扉の前にぽつんと自転車があった。

明晩には、カフェには灯りがともって店内で香り高いコーヒーが飲めるはずだったのに。

東京、京都、大阪、兵庫に発出されていた緊急事態宣言の期限は11日の今日だった。
それが、新たに愛知、福岡を対象に加えて31日の月末まで延長されることとなった。
31日の解除の基準は相変わらず曖昧だ。

昨夜のニュース番組に出演したコロナ対策分科会のメンバーの小林慶一郎氏は、期日を目標にした方が国民が頑張れると発言していたけれど果たしてそうだろうか。


こちらは、4月末に撮影したある飲食店の張り紙。
4月25日の緊急事態宣言発出の日からの休業を知らせているけれど、再開の日にちは明記していない。
この度の延長を見越していたのだろうか。
緊急事態宣言延長に伴いIOCのバッハ会長の来日も見送られた。
何故に、延長に伴ったのかどうもすっきりしない。
バッハ会長の来日の「目的」も、「バッハ会長にご負担をおかけするから」と言う橋本オリパラ組織委員会会長の説明も釈然としない。
バッハ会長に同行する日本側の関係者、行先にコロナ対策で負担が大きいと言うことだろうか。
バッハ会長の感染リスクを心配してなのか。
バッハ会長が日本の医療逼迫の現状を見て心を痛めると言うのか。

 
もう一つ気になる話題がある。
総理と親しい国会議員がテレビ番組でミャンマー軍政府を擁護するかのような発言をしたと言うこと。
しかしこれにはなるほど、日本がミャンマーに太いパイプがあるから根気よく軍政府に働きかけると言い、明確に「ノー」を突きつけない理由を垣間見た気がしている。
 振り返れば、当初契約総額が466億円と言われたアベノマスク
 、後に260億円に縮小されたけれど、受注した企業のうち興和とマツオカコーポレーションはミャンマーで生産している。
 ミャンマーへの新規ODAを日本政府はとりあえず見送っている。しかしこれまでの支援にもどんな甘い蜜があっただろうと、過去の疑惑の説明責任を今だに果たさずにいる国会議員の発言だけについ色々と勘ぐってしまう。


2021年5月9日日曜日

母の日



お母さん、
ざっと計算すると私は16年間で20万回近くも呟いたり、叫んだり、呼んだりしている。


今年は、具合が悪いせいか一入寂しく思う母の日だ。
母が生きていたら、痛む患部をさすってくれたに違いない。
そうしていつまでも子供の私は母に心配をかけている申し訳なさもなく、病気が辛くて嫌だとおいおい泣くに違いない。
想像するととんでもない母の日が展開されていく。
 
 

 
リモートワークでオフィスから人が消えたせいであろう、
オフィスビルのお花屋さんの扉は定時で閉ざされた。コロナ前は、母の日を迎える金曜、土曜の夜は、お花屋さんの灯りが消えることなく夜通しの荷造り作業となっていたのに。
 
 
 
  コロナで母親の感染を案じたり、まさに母親が闘病中と言う人にとっては、祈る思いの母の日となっているであろう。
 母親が元気でも緊急事態宣言下では、移動の制限や感染リスクがあるので簡単には会いには行けないし、贈り物と言っても百貨店なども営業していないから、ネットで買って送るしかないんだな。
 

 
 良人(りょうじん)が、一人で暮らす高齢の義母を案じて帰ると、早くも遠方に暮らす義弟のところから、お花が届いたと言う。
例年胡蝶蘭が送られてくると聞いていたけれど、今年は赤いカーネーションが届いたらしい。
 

 

母の日の東京は晴れで、最高気温は27度、最低気温は18度の予報です。
美味しいものでも食べて、お互い安全に過ごしましょう。 
コロナウイルスで闘病中の方には心よりご回復をお祈り致します。