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2015年2月28日土曜日

川崎少年殺害事件で容疑者の少年ら逮捕される

今朝、逮捕された少年3人は、未だ容疑を否認しているという。
川崎市の多摩川の河川敷で中学1年生の上村遼太さんの遺体が発見されて1週間が経った。
刃物で刺された上村さんの首の傷は頚動脈まで達し、遺体には他にも刺し傷があり、現場付近では結束バンドが見つかるなど残虐かつ非道な事件だ。
また、上村さんがこれまでも犯行グループと思われる少年らから酷い暴力を受けていたことが明るみになって、多くの人が心を痛めていたと思う。
かかわった少年は3人だけではないようだし、今日逮捕された少年らも容疑者ではある。
のどかであろう島根県隠岐郡西ノ島から転校してきて、まさかこんな酷い目に会うことなど予想だにしなかったであろう上村さん。
可哀想でならない。

2015年2月26日木曜日

生徒を守り、闘っていた教師たち



川崎ではないけれど、地元では、人に言えないぐらいガラが悪いことで知られた公立中学校を卒業した。
中学の入学式で、校長先生の挨拶に「3年前から卒業式に警官が張り付くことがなくなりました・・・」というセリフがあった。
その時は、意味が良くはわからなかったけれど、中学1年の夏が過ぎると、なんとなくわかってきた。
そして、 凄い中学なんだと痛感したのは、2年生の丁度今ごろだった。
まともに授業ができないのだ。
同級生に『裏番長』の次期候補がいたので、大変だったのだ。
なんでも裏番長は表番長よりも、禊?とでも言うのか、卒業していく番長らの激しい暴力に合うというのが習わしとなっているらしかった。
裏番長の候補者となってしまった同級生K君は、バスケット部で活躍していて、同級生を絶えず笑わせる人気者、ムードメーカーだった。外見もいわゆる不良というほどの感じはなく、短く刈られた髪の前髪だけがほんの少し立っていただけだった。
何故彼が裏番長の次期候補になってしまったのか今だにわからない。生徒の間で投票があったわけでもないし、本人は、毎日怖い怖いと怯えていたのだから、本人が望んだわけでもないのだ。
裏番長が、その素質を勝手に見込んで指名したのだろうか。
 2月のある日の国語の授業中、廊下にただならぬ気配が押し寄せてきた。木の廊下が重い音でしなっている感じだ。1人や2人の足音ではない。間もなくガラスが入った朽ちた木の重い扉が勢い良く開けられて、入ってきたのは見上げるほど大柄な3年生と思われる男子生徒が6人はいた。授業中だから、出て行けという若い男性教諭の言うことなど、全く無視して、ずかずかと教室に入り、K君を連れ出そうとK君を掴み上げた。男性教諭も体格が良かったけれど、その制止はなんのその、多勢に無勢だった。大柄な上級生達は、見たこともない連中だった。何せ、全校生徒1500人近くはいる中学だったから。髪が黄色いわけでもなく、特別な学ランを着ているわけでもなかったけれど、その勢いというか雰囲気が震え上がるほど怖かった。
引きずり出されてしまったK君と強面の連中を追うように国語の教諭が慌てて教室を 飛び出して、下の階の職員室に応援を求めに行ったようだった。
その日は、河原でなにやらあったらしい。若い新任の理科の教諭が顔に怪我を負ったと後から聞いた。暴力行為というか決着をつける場所はだいたい決まっているようで、度々、若い男性教諭達がそこに向かっていた。イニシアチブをとっていたのは、生活指導歴20年というベテランのこれまた強面のO教諭だった。鬼軍曹という感じの教師だった。
 結局、K君を守るため、登校はK君の父親が、車で学校まで送り届け、授業が終わると、K君は職員室に匿われ、母親が迎えにくるまで待ち、母親とタクシーで帰宅するということが卒業式まで続いた。
中学校では時に、骨折して腕を釣っている男性教諭もいた。卒業式までは、いろいろな事件が起きて、その都度、担任の女性教諭が事情を聞き出し、教師間で情報が共有され、男性教諭達は夜の街に出ていくことも多々あったらしい。
劇場のような毎日に、その時は、懸命に取り組む教師達のありように、特段の敬意もなかった。今、しみじみと、「教育者」という言葉をかみしめている。


2015年2月25日水曜日

ACL、三冠王のガンバ大阪ホームで敗れた?

白いユニフォームの広州富力が2得点
信じられない〜
試合は観ていないのだけれど。
Jリーグ開幕前とは言え、ホームでまさかの2失点、無得点で敗れたとは。
しかも相手は、プレーオフで勝ち上がった初出場の広州富力(中国)だったそうで。
Jの王者(三冠、ガンバ大阪おめでとう!)がホームで敗れたとなると、今年も日本チームのACLでの躍進というか復活は期待できそうにないなぁ。
誰かのブログにあったけれど、ゼロックス杯を先にした方が、試合感が多少は戻って良かったのではないだろうか。
とにかくがっかりだ。
少し前につぶやいた後、突如掃除機が壊れて、大分動揺したけれど、飛び込んできたガンバ敗北の方がずしっと心に堪えた。

2015年2月24日火曜日

ドラキュラのつぶやき

昨日は、日中19.2度まで気温が上がったと夜のニュースで聞いて驚いた。
ドラキュラは、そんな昼間の恩恵には与れない。

2015年2月23日月曜日

部屋着でどこまでも



先週からパジャマのような部屋着にコートを着て、出かけている。光線過敏の症状が重いので、勿論夜だけれど。
先ほど午前3時半にも雨の中、部屋着にコートで郵便物を投函して、コンビニ、スーパーと巡って来た。
始まりは、先週の土曜日、午前2時のコンビニに行った時からだ。店内に、素足にサンダル、パジャマにダウンコートというおじさんがいた。これでいいのだと、気が大きくなった。その後、おじさんと大差のない格好だった私は、線路の向こうのファミレスにも入ってしまった。
 深夜のファミレスは、ひたすら紙をハサミで切り続けている老女や、除菌アルコールボトルをテーブルに置いて、ファミレスの椅子や自分の持ち物をふき続けている人などが占拠していて、人の格好なんてわかりゃしないと思った。
しかし、その夜に限っては、仕事や将来について語り合う男女や、勉強をしている女性など、皆風体もまともだったので、小っ恥ずかしかった。
あくる日の午後11時にも、ずるずるの部屋着にコートで出た。すると残業が終わってオフィスから溢れ出てきたスーツにコートのサラリーマンの群れに出くわして、きまり悪かった。
気分的には、高校時代、パジャマの上に学ランを着て登校していた男子学生と同じなのだけれど、その場合パジャマはズボンをめくらなければ見えないわけで、コートから出たずるずるのスエットが見えているのとは違うのだ。
午後7時は、オフィスから出てくる人々とこの地に帰ってきた人やら、老若男女入り乱れて、紛れるので、案外わからないものだ。
何しろラクだ〜。いちいち着替えないで、上着を羽織るだけで家を出て、上着を脱いでそのままこたつに入るというのは。
病気になって仕事を失い、スーツを着て行く先がなくなった寂しさからか、以前は、徒歩1分のコンビニやスーパーに、ばっちりメイクをしてスーツを着て行ったこともあったし、スーツを着て車椅子に乗り込んで車椅子を押してもらって、歯医者に行ったこともあった。
今日は月曜日、
東京は、朝のうちは雨が残るようです。
今週もなるべくラクな体制でまいりましょう。

2015年2月21日土曜日

となりの患者16

となりの患者は、場末のスナックのママだと言う。
重篤な状態で病院に運ばれて、命拾いしたらしい。
詳しくはわからないけれど、頸静脈からカテーテルを挿入してもらったらしい。
これには上手な医師とそうでない医師がいるようで、
となりの患者は、 上手くやってもらったようだ。となりの患者の退院が間近になったある日、その処置をした医師が他の患者を診に病室に来た。
すると、となりの患者は、大きな声で医師を呼び寄せた。
「センセェ〜、ちょっと〜」
「握手してぇ、お願い〜」
「あ〜ぁ、この手のおかげでアタシは命拾いしたのねぇ。」
「あったかい、いい手だわねぇ。」
「神の手だわ〜」
「ゴッドハンド!」
となりの患者は、男性医師の白い手を頬によせて、しばらくなでなでしていた。
となりの患者がスナックのママだと言うのは本当だろうと思った。

2015年2月19日木曜日

ゆるゆる組織3



昨年末、 STAP細胞は確認できず、検証実験は打ち切りとなった。そしてSTAP細胞と言われたものは、作製方法が確立されているES細胞であったという。合わせて論文実験の捏造やらも、認定された。昨年1月に華々しく世界に知れたことを覆す結果となったのだ。(吉報!万能細胞作製に成功
未だにもやっとしている。狐につままれたようだ。
 先週、問題のSTAP細胞の論文を世に送り出した理化学研究所の関係者への処分が発表された。その内容は、ゆるゆる処分だった。
 既に退職した当事者に懲戒解雇、元センター長に譴責処分、研究プロジェクリーダーに文書による厳重注意、既に退職している共著者に出勤停止処分という内容だった。譴責処分とはいわば始末書のようなものだ。
頭のよろしい方々が考えた、技のあり、形だけの処分という感じだ。
他方、八百長問題の検察告発が裁判所に受理されて、日本代表監督を解任とした日本サッカー協会は、関係者へのおとがめは一切なしだった。かつてともに汗を流した者同士、よろしくやっている感じだ。組織は組織を守るためにあって、自浄作用など期待できそうにない。御身大切なのだ。
理系の組織も、体育会系の組織も、心をこめて、お大事にどうぞ。

2015年2月18日水曜日

今、食べたいもの



先日、通院帰りの夜に食べた、珈琲館のホッとケーキです。
大雪山の麓で採れるという北海道朱鞠小豆と言うのを、100円で追加してみた。
小豆の粒が大きくて、甘さ控えめの予想以上の美味しさだった。
ホットケーキのサイズは手のひらサイズの小さめだったから、今度は2枚だな。
昨日から股関節が結構痛みますが、これから確定申告の医療費集計をやらなければぁ〜
今日も雨模様で、寒くなる予報です。
なんとか頑張ってまいりましょう。

2015年2月17日火曜日

光線過敏対策(サングラス)

実は光線過敏の症状が始まって、一番最初にぎょっとしたのは、ネットで調べて「失明」という文字が出てきたことでした。しかも、今振り返るとぞっとしますが、パソコン画面を裸眼で見て、ネット検索などしていたことです。
紫外線で皮膚、肌を傷めるということは、当然ながら眼も傷めるということなのです。後に、眼科医に言われたことは、「眼は、皮膚以上に傷む。瞳は黒いし、眼はそもそも光を集める仕組みになっているから。」とのことです。
 通院時にサングラス、帽子でプロテクトすることは勿論のこと、薄暗い室内でもサングラスをかけて、帽子を被るように指導されています。
さて、ここまで言われるには、紫外線からの眼のプロテクトで私は大失敗をしています。最初に光線過敏で「失明」の可能性をネットで知り得たのは良かったのですが、慌てて、手持ちのサングラスではなく、敢えて、パルシステム(生協)のカタログで、UVカットをうたったサングラスを購入しました。値段は、3800円程度でUVカット率は98%?、色は黒に近いブラウン系の濃い色でした。月に1回の通院で、タクシー乗車時間は片道15分程度ですが、2回目の通院で、眼の炎症を指摘されました。アレルギー点眼薬を処方してもらいましたが、次の通院では、ついに「虹彩炎」の診断となり、眼圧まで上がってしまいました。虹彩炎は、悪化すると失明に至る重大な疾患です。
使用したサングラスとの因果関係は明確ではありませんが、遮光カーテン(光線過敏対策カーテン)、遮光服と同様で、98%、99.9%程度では、病的な光線過敏の場合プロテクトできないということだろうと思います。ちなみに、スポーツ用のUVカットサングラスのUVカット率もせいぜい99%程度です。
  このような事態になり、改めて、いわゆるブランド物の数万円のサングラスの説明書を読むと、UVカット率は99.999999・・%と記載されており、ほぼ100%ということです。
 また、色については、テレビの情報番組などで良く言われていますが、薄い色が良いそうです。理由は、濃い色ですと、瞳孔が開いてしまって、紫外線を取り込んでしまうからという事だそうです。
 以来、UVカット率99.999999・・・%、色の薄いサングラスに変えました。形も、顔にそった型にして、脇からの光をなるべくプロテクトできる物にしています。それ以降は、炎症、虹彩炎は起きていません。
  重い光線過敏症状の場合、限りなく100%に近いUVカット率で、薄い色の サングラスが良いと言えるのではと思います。
過去のブログ
光線過敏対策(日焼け止め)
光線過敏対策(室内灯)
光線過敏対策(食物) 
光線過敏対策(カーテン)


2015年2月15日日曜日

私の仕事



酷寒でしたよ、21時は。
3度だったそうですが、強風注意報が出るほどの風で、体感温度は0度という感じでした。
こんな日もお仕事だった方は、お疲れさまでした。
喜多方らーめんをすすってからの私の仕事は、スーパーマーケットの投げ売りの品々を買うことだった。
 半年に一度の休館日だから、生鮮食品を中心に売り切るためのプライスダウンが見込めるのだ。
こういう事に闘志を燃やしているこの数年だ。
明朝の仕事の段取りを考えていた頃が嘘のよう。


稼げなくなったら、なんの取り柄もない人間だな、と無口な良人の、蜂の一刺しの言葉に、返せないまま月日が流れゆく。
気分は万年「紐」だ。
あーあ、たらの芽の天ぷら食べたいな。
ほろにがい、ふきのとうもいいな。
誰か、たらの芽の天ぷら揚げてくれないかなぁ〜
頭の毛が禿げるほど生きてきて、未だにゆで卵の殻をも剥いたことがない良人に「天ぷら揚げてみな!」とたまに言ってみることがある。
無口な良人は、勿論何も答えない。



喜多方らーめんのトイレが綺麗で、桃の節句モードのトイレだった。

画鋲で止めてあったお雛様のタペストリー。
今夜は和装の女性を二人ほど見かけた。


明日は月曜日、朝6時の気温は1度の予報と、明日も寒そうですが、なんとか乗り切りましょう!

2015年2月14日土曜日

続とんでも通院

1月の通院のこと。
皮膚科の手違いでいつもより1時間遅い帰りとなった。
その日は太陽がなく、雨が降ったり止んだたったので、まあ良しとするか。
上りきった、がんがんの太陽にやられるよりはマシだろうからと心を鎮めていた。
 小さな完全遮光傘を少し広げて、病院の案内係りの方の誘導で、他の患者を乗せてきたタクシーを止めてもらった。
乗り込んで、行く先を説明しようとすると
青山フラワーマーケット
「お客様、行き先はわかっています。」
?????どういう事?
「へ?」
「この前、からまれておられたでしょ?」
「病院だと言うのに、配慮もない人に。」


「・・・」
そう言えば、昨年の秋頃だったか、お天気なのに傘なんかさしやがってと、やくざな年配の男と、品性に欠ける28歳ぐらいの傘女が大声で遣り合っていたような気がしないでもない。(とんでも通院
運転手さんによれば、運転手仲間が驚くほど、同じ客を乗せることがあるのだと言う。
これまでにも3回ほどあったのだと。いつも大学病院にはりついているわけではない。この大東京を走っていて、偶然にも同じ客を乗せるのだという。行き先の自宅が同じなわけですよと。
この大学病院の1日当たりの外来患者数は2000人以上いる。私の方は、昨秋の通院の時より1時間以上遅い帰りで、運転手さんは、たまたままたこの病院に患者を運んで来て、同じ事件を目撃していた?同士が巡り合うなんて本当に奇遇だ。
私はだあれ?
貴方はだあれ?
心底、行き先を変えたかった。
雨模様でも紫外線はがんがんだから、違うところで降ろしてもらっても、歩いて帰ることはできないのだ。




2015年2月13日金曜日

忘れ物

工房ゆずりは
如月に入ってから、ぼやんとしている。
花粉は既に飛んでいるな。
毎日、喘息が起きる。
鬱陶しい。
友人を
若年性認知症だ!となじっていたら、自分が怪しくなってきている。


先週は、傘をどこぞに忘れてきた。
雨模様に愛用の傘がないと気がついた。
慌てるな、落ち込むなと自分に言い聞かせつつも、
喪失感に襲われた。
病人の行動範囲は限られている。
病人の行動パターンは同じだ。
よく立ち寄る所を何件か訪ねて歩いたら、コンビニが、保管してくれていた。
はぐれてしまった愛犬を見つけた飼い主の気分で、ほっとした。
やれやれ。
その先週末の午前4時に、コンビニのお兄さんとJリーガーの移籍話に花が咲いて、傘のことをすっかり忘れて鼻歌まじりで帰宅してしまったのだった。
ところが、一昨夜も再びだ。
今度は、スーパーマーケットの支払いの時に、ポイントカードがないのだ。
傘を忘れたばかりで、またしても。
病人の行動範囲は限られている。
病人の行動パターンは同じだ。
今度は、コンビニを最初に当たってみたけれど、なかった。
次に、失くしたであろう日に行ったカレー屋さんを訪ねると、待ってましたとばかりに、カードを出してくれた。
置地廣場於
さすがに、昨夜はやれやれと思わなかった。
やばし!だ。
行動範囲が限られていて、行動パターンが同じことに問題がありそうだ。
明日からは、気が重いけれど、確定申告の医療費集計作業を始めようか。
と言いつつ、昨夜もまた、一昨夜と同じお店で、一昨夜と同じパエリヤ を食した。
やっぱり、かなりやばい感じ。


2015年2月12日木曜日

春になると


クロネコヤマトのメール便がなくなるというじゃないか。
困ったな。
我が人生の頼りはビタミンH(ビオチン)とクロネコのメール便なのによ。
はっきり言って、JP日本郵便になってから誤配だらけだ。
昨年末も同窓会の往復葉書がついに届かなかった。
その他、領収書など数え切れないほど届かないのが、日本郵便だ。
先方はいづれも投函日や投函場所まで記録していた。
ウチにも違う住所の葉書やら封書やらが入っているのだから、いわゆる誤配だろう。
日本郵便にはフリーダイヤルがないので誤配を訴えるにも電話代は自腹だ。
ついに一昨年、電話代が納得いかず、交番に届けた。その時はひどかった。なんと集合住宅の前に未配達の封書が30通以上束になって置いてあったのだ。夜、建物を出る際に、ふと振り返り発見。 一番上が「あんこ様」という大きな角2封筒だったので仰天した。全部あんこあてかと思ったら、それぞれ違う宛名だった。
信書がどうのこうのって、日本郵便がこんな調子じゃ、それ以前の問題だよ。と結構腹が立っている。
結局、総務省が日本郵便を守るべく民間イジメをしているような、いやな感じ。
昨夜は、しばらくぶりで、雑居ビル3階のイタリアンへ。祝日のせいか満席で、カウンターでパエリアを食した。よく見ると、お店の冠にはイタリアン、南欧料理とあった。
 オーナーシェフは、1人でてんてこ舞い。
でもこんな混んだ日に来ないで!という感じじゃなくて、ほっ。エライ。