過去 1 週間のページビュー

2015年5月31日日曜日

青春を断捨離



FC東京の武藤選手がPKを蹴ろうとした、まさにその時、揺れた。
揺れたと言うより揺れ始めて、サッカーの試合中継は、放送局の取り込んだ音さえも拾われる地震速報に変わった。
各地の地震や火山の噴火、噴火の懸念となんだか物々しく5月が終わる。
どうあれ、月に一つの断捨離ノルマがある。
今月は、ときめかない物は捨てるという加藤麻理恵さんのときめきの片付け術の話を聞いて、即実践しようと意気込んだ。
そうだ、そうだそのとおり、かつてのスーツのほとんどはときめかない!
しかし、クローゼットを開けて、クリーニング屋さんのタグを見たら、できなかった。我ながら信じられないけれど、クリーニング代に千円近くかかっているのだから、秋まで待って古着屋で売ろうと思ってしまったのだ。
たった一つ、されど一つを捨てることができない。
キッチンキャビネットの隅にずっとある一本の炭酸水、永くあるけれど、寝かせればいい味になるだろうという感覚だった。見れば消費期限は2000年9月8日だ。年季が入って15年ものになっている。金曜の夜に先輩と二人で宴会をした時のものだ。仕事帰りの深夜に、コンビニでお新香やら焼き鳥を買って、とめどもなく飲む先輩とひたすら食べる私の青春の残像が蘇った。捨てるのに胸が痛んだ。今も、先輩は定年退職の日を指折り数えて働いている。
断捨離って、青春を捨てることなんだな。
また揺れるかもしれないと、耐震構造と思われる近くのビルの中の居酒屋で食事をした。ほたての塩焼きそばは、かなり塩気が強く、メニュー写真の3分の一ほどに小さく縮まったホタテが寂しかった。

2015年5月30日土曜日

ドラキュラの徘徊



就眠がちょっと遅れた昨日、
飛び込んできたのは、屋久島の西にある
口永良部(くちのえらぶ)島の噴火のニュースだった。
既に火砕流の一部は海岸まで達して、熱風で火傷を負った人もいると報道された。
午後5時半には、島民の方々約130人が屋久島に避難されたようだけれど、不安な夜を迎えたことだろう。
遠く離れた東京の午前1時は、雨も上がって久々に涼やかな風が吹いていた。

ちりーん、ちりーんという音の誘われて進むと
軒下ならぬ雑居ビルに吊る下げられた風鈴。
1階と2階が食事処だからどちらかのだろう。 
窓を完全に塞いだ暮らしで、夜とて外の様子はわからない。暗く狭い部屋に篭っているせいか視力が、かなり低下してしまった。
身体は重いけれど、視力の低下を防ぐためにも外出せねばと、ぶらぶら。
カウンターに光が施されていないマックで、うつぶせた人や、互いに「お疲れ」と言い合って、落ち合っている男女を一通り眺めた。

午前1時半を回ってシャッターの降りた駅の改札すぐ近くのお花に吸い寄せられれば、
焼肉屋、しかも立ち食いのが開業したようだ。昨日、29日(肉の日)にちなんだのだろう。
駅の通路には、どこから連れてきたのか、スパーのカートがポツンだ。
最後に、24時間のスーパーマーケットへ。
かっぱえびせん紀州の梅は消えて(出たぁ〜花びらかっぱえびせん)、変わって韓国のりが登場していた。ちなみに、紀州の梅かっぱえびせんは、 その後6袋食べましたが、花びらはついに現れませんでした。
人生そんなものです。
スーパーで、冷えた甘酒を買って帰宅し、朝まで生テレビを聞きながらブログに臨んだ次第です。
今日の東京はまた真夏日、最高気温30度、最低気温18度、曇りのち晴れの予報です。
ドラキュラみたいな人も、健康な人も、良い週末をお過ごしください。

2015年5月29日金曜日

ドラキュラに明日はあるか



ありません。
経営不振にあえぐマクドナルド、
陰ながらエールを送っていたけれど(ジョナ、ジョナ、マック
店舗の演出に力を入れて
カウンターが光り輝いた。
ドラキュラにこの仕打ちはなかろうに、
近寄れない。
アイスコーヒーを急いで持ち去っても
おちおち座って飲んでいられない。
 Lサイズのカップのごときに入れられた
メダカちゃんも
辛かろうが
夜が短くなって、
ドラキュラも大変だ。
夜の7時15分になってやっと外出だ。
用事をなんとか2つこなして自宅にもどれば、W杯を目前に控えたなでしこ達は、イタリアとの親善試合の前半を終えていた。
勝利を見届けて、慌ててさらに1つの用事のために飛び出す。
0時まであっという間だ。
午前3時には室内の点検作業だ。
太陽光が漏れてくる所はないか。
なんと言っても太陽光の紫外線は半端じゃない。
3時20分にゴミを出して急いで戻る。
冬のように3時半にコンビニに届く新聞を買いに行ったり、ポストに投函などに行くことは、もはやできない。
午前3時半、肉眼では、わかりにくい太陽光にも、やられるドラキュラです。


2015年5月28日木曜日

青春分けて



修学旅行で都内見物だろうか。
思わず気持ちが浮き立った。
先日の地震の日から、また股関節がしばしおかしくなったりもするもので、
身体不調、気分低調です。
とぼけて列に並んで一緒にバスに乗り込もうかなと考えたり、
無理なグループを組んで行った高校の修学旅行が本当におもしろくなかったことを思い出した。
その時のグループの面々とは卒業後一切交流がないのだから、やはり気が合ってなかったのだろう。
こちらは、くちなしの花も咲き始めて既に汗疹のとの格闘が始まっていると言うのに、北海道の友人が朝夕暖房をつけていると言うから驚いた。
今日の東京の最高気温は29度、最低気温は19度、曇り時々晴れの予報です。
本当に30度を下回るでしょうかね。





2015年5月26日火曜日

真夏日



まだ、イカれたままです。
今日の東京は、最高気温が30度を超えました。
明日の最高気温は31度、最低気温は18度、晴れの予報です。
まだ5月だと言うのに。
健康に自信満々の方も、どうぞお身体をおいといください。

2015年5月25日月曜日

ポンポン



不調のままで
寝たり起きたりを繰り返しています。
先日の通院時の紫外線がやはり強かったのだろうなと考えたりしています。
皆様も、あーあまた月曜日か、という感じだと思います。
ともあれ、皐月最後の月曜日となりました。
激励すべく、チアガールのボンボン風の紅い芍薬をお贈りします。
でもボンボンではなく、ぽんぽんと言うそうです。
今日の東京の最高気温は25度、最低気温は16度、曇り後晴れの予報です。
置地廣場
当方は、こんな感じですみません。

2015年5月24日日曜日

1stステージ、残り5試合

Francfranc
山雅のホームアルウィンで行われた試合は、ゴールドのユニフォームのマリノスが無失点で3得点の圧勝だった。
山雅が1点でも返してくれたら、少し元気になれたかも。
同時刻に名古屋対FC東京の試合が味スタで行われていたけれど、こちらは、名古屋がオウンゴールで1対0で勝利した。ちょっとしょっぱい試合。
未だに回復しない体力に、気力も上がってこないので、スタミナ食で打開しようとした。
狙いはジョナサンの季節メニュー国産牛の赤身ステーキ。
しかし、あと5分で午後10時 という時刻で、既に売り切れ御免!
で、がっくり。
結局、きびなごサラダ、広島産牡蠣のクリーミードリア、クリームあんみつを食すことに。

ドリンクで、発見あり。
ダージリンのファーストフラッシュだ。
美味しかった。
ドリンクのレギュラーメンバーに武藤選手のような、ルーキーが。
しかし、武藤選手がやがてJの舞台から去ってしまう?ように今だけのお楽しみだな。

2015年5月22日金曜日

私の通院7



どこの誰だか知らないけれど
こういう事、困っちゃうんだな。
光線過敏の症状の重いドラキュラの通院日
こなせばしばらく夏休みとなる通院だった。



午前3時の雷鳴が嘘のように
カラッと晴れた午前7時半の出陣は、誠に気の重いものとなった。

そして、なんとか帰宅したものの15時間近く経った今も疲労でぼやっとしている。
こなした夜には、ザッハトルテを3個食べて、ドラキュラの祝杯をと夢描いていたけれど、そんな体力も削がれてしまった。
通院スタートの、行きのタクシーは初めて笑い転げた。
闘病10年、おそらくお世話になったドライバーは延べ300人を優に超えるだろう。
昨日は、コメディアンドライバーだった。
いつも乗り込む時に、差し込める太陽光を防ぐのにタクシー会社の名前など見る余裕はない。
乗ってから会社名を尋ねると、地元のタクシー会社のうちの一つのS社だと言う。
「S社ってO社と同じ経営者なんだってね。よくテレビに出てくる社長よね。」と言うと
コメディアンドライバーは、
「そうそう、O社もだけどM社もそうなんだよ。ヒェー、ヒェー、ヒェー」と笑って教えてくれる。
「太陽に当たれないんじゃ、昼間は外出れないの?
 ヒェー、ヒェー、ヒェー」とまた笑う。
年の頃は70歳近いだろうか?
林家パー子さんのように、ヒェー、ヒェー、ヒェーと笑いが入るのだ。
大学病院の場所は 、わかっているけれど、行く先の建物は不確かだと言う。
なぜなら普段のテリトリーは丸の内界隈なのだと。
タクシー会社のS社とO社が経営者が同じなのは、規制緩和でタクシー台数が増えて逆に経営困難となって合併したのだろうと勝手に推測していた。
「違うよ。旦那が偉くなっちゃって、二足の草鞋が禁止されていて、奥さんが3社全ての社長になったのよ、 ヒェー、ヒェー、ヒェー」
それを聞いて、じゃ代議士にでもなったのね、と尋ねると
「違うよ、 ヒェー、ヒェー、ヒェー、公的なところヒェー、ヒェー、ヒェー」とまた笑うタクシードライバーだった。
国交省か経産省の独立行政法人かと思ったら、どうやら厚労省らしい。
社長の名前を尋ねると
「社長の名前は知らねぇんだ、 ヒェー、ヒェー、ヒェー」
「社長の名前知っていても、給料上がるわけじゃないもんね。」と言うと
「そうだよ! ヒェー、ヒェー、ヒェー」
「お客さん、今日はステップアップしたね、M社も同じ経営者だって知ってさ、経営者(の配偶者)は堅い職業だって知ってさ〜 ヒェー、ヒェー、ヒェー、」
「うちの会社に安心したろ、ヒェー、ヒェー、ヒェー、」
「いつも丸の内のビジネスマンを、こう やって笑わせているの?コメデイィアンになれるわよ。吉本興業の。」
「よくお客さんに言われるよ、運転手さん、道を間違えたねって!」
「 ヒェー、ヒェー、ヒェー、」
最後は『落ち』までついていた。
首がそっくり変えるほどの大きな保冷剤も行きは効果的に働いて滑り出しは好調だった。
眼科の受診も一番で、9時には診察も終了していた。しかし、皮膚科で待った1時間が長かった。
帰りは、乗り心地に救いがあった。個人タクシーだったので、ちょっといいクラウン。
まあ、体力が回復すれば、しばしの通院苦からの解放の喜びが湧いてくるだろう。

2015年5月18日月曜日

大阪都構想消える

一歩が重い月曜日です。
昨夜の大阪都構想の投票結果は
賛成が69万4844票
反対が70万 5585票
投票率は、66.83%だった。
1万票の差は僅かと言えるのじゃないかな。
それでも多数決だから、反対が多数ということで大阪都構想は消滅することになった。
よその府とは言え、二重行政の無駄には共感していた。
保育所待機児童0で、実行力ある行政のように言われる、お隣の県のY市では、こと介護分野では、東京より行政の動きが鈍い。
一例だけれど、痛感したのは、3年前だ。
毎年厚生労働省は主管課長会議を3月に行っている。各都道府県の担当部署の職員が一同に集められて、法律ではうたいきれない、細かな指導方針が通知されるのだ。残念ながら、この各県あての通知は、一般紙には掲載されないので、容易に市民にはわからない。
東京の少なくとも私の居住地では既に4月に 小さなNPO法人の介護事業者にも周知されて、厚労省の新たな指導方針に従ってサービスを提供していたと言う。
しかしY市では担当部署の職員自体が知らなかった。県に問い合わせると、「Y市職員とつい先日もすり合わせをした。たまたま不勉強な職員が電話に出たのではないか。」とのことだった。5月のこと。
しかし、業界大手で東京にも事業所を置く会社に問い合わせると行政からはまだ指導がないが、指導方針(変更)は知っている。その対応を どうするか検討中で、遅くとも6月中ごろまでには対応したいとのコメントだった。
くどいけれど、東京では介護事業者が4月に新たな指導に従ってサービスを開始しているのにだ。
国のあくまでも指導だから、各県が必ずしも従う必要はないけれど、Y市は従うなら速やかに事業者に促すべきだろう。
その2ヶ月のタイムラグは、介護保険が適用されれば、自己負担額は少額で済むところ、自費で任意で事業者に支払うと何倍もの費用負担が生じるのだ。
この時、納税者、介護保険を支払っている住民が、2重行政によって不利益を被っていると痛感した。
この他、故意なのか単なる間違いなのか、サービス回数が実際と違っていたり、提供されるべきサービスが提供されていなかったり、10倍の料金請求がきたり、滅茶苦茶だ。本来指導すべき地域包括センターは管理者が天下りだから、苦情の言いようもない現実だ。
橋下氏は、政界引退を表明した。
弁護士でやっていけるわけだからな。
今日の東京の最高気温は25度、最低気温は17度、曇り、夜には雨が降る予報です。
変わるって、変えるって、大変だな。




2015年5月17日日曜日

前田選手、今季初ゴール

青山フラワーマーケット
埼玉スタジアムでの浦和レッズ対FC東京戦、4対1で勝利を収めたのは、真っ赤なユニフォームの浦和だった。
しかし、後半途中出場の前田選手が初ゴールを決めたので、ほっとした。15年間磐田で活躍し続けた前田選手は、今季FC東京に移籍してからゴールがなかった。
今日もアナウンサーが、FC東京の交代要員には前田選手もいますがと言うと、早野さんが、「ずっと結果出していないでしょ!」と切り捨てるように言っていた。
浦和の勝利への情熱は、からまわりすることなく得点に結びついて、4対1と大差がついたけれど、前田選手の久々のゴールは、うれしかった。
それと、これまで、良い働きをしながら得点がなかった浦和の李選手の初ゴールもおめでとう。
しかし、今季の浦和は選手層の厚さが半端ではないなぁとつくづく感じる今日この頃です。


Jリーグタイムは見ないで、自宅近くの居酒屋で食事をした。3年前の改装で、灯りがでれーっと垂れ下がって、ドラキュラが入れなくなったお店だ。
それから時が流れて、土日は禁煙と喫煙の部屋がチェンジすることになって、高い天井に埋め込まれた一粒のLEDのところのテーブルが利用できるようになっていた。
腹9分目を誓って、腹11分目となった。いつもは腹15分目だから大幅に改善だ。
常にげーっとなる寸前まで食べないと満腹感がないのだ。
まだ食べられる感じだった。
普通の人はこの程度の感覚で、食事を終えるのだろうなと思った。
続けたい。
良人は、釜揚げしらすのこぼれ寿司を食していた。
しらすは、コレステロールが高いので食せないし、きゅうりは光線過敏の症状がぐっと重くなるので、食せず、残念ながら撮影のみとなった。
鉄火巻きや、カンパチのお刺身、ラーメンサラダ、ぞうり大のコロッケは、一応衣はむしり取って食した。
出かける前に、洋服が入らずに、それでもなんとか着ようとして転がったドラキュラでした。

2015年5月14日木曜日

光線過敏対策(塗り薬)

置地廣場於
今日は、対策と言うより対策したけれど、皮膚に光を当ててしまった時の対処のお話です。
強烈な痒みが数日間続き、辛いものです。
私が今、使用しているのは「ムヒ」(池田模範堂)です。
「ムヒ」が、今ドラキュラにつける薬です。
最初はキンダーベートを塗っていました。
皮膚疾患を患う人ならご存知の、弱いステロイドです。
弱くても、ステロイドなので、だんだんと効かなくなってきますし、塗り続けていると患部の皮膚が硬くなってしまいます。
ステロイドを塗ると痒みは収まりますが、光線が当たってしまったところは、どうしてもシミができたり、皮膚が隆起して醜いイボになったりします。



ある日、蚊に刺されて使用していたムヒの効能の一つにかぶれが掲げられていることに気づき、試しに塗ってみました。目の近くは、滲みますが、痒みは収まります。
加えて光線過敏による発疹の跡は消えないと言われていますが、当たって直ぐにムヒを塗ると跡にならないような気がします。
「ムヒ」対処を医師に申告したところ、ムヒを持参せよと言われ、成分チェックを受けましたが、まあよかろうとのことでした。
光は太陽光はさることながら、家の中にも至るところにあります。私はてき面、家電の運転ランプがダメなので、完全に防ぎきれず、ついうっかりが起こります。
例えばインターホンの米粒大のランプですが、1メートル四方の完全遮光の布で覆っていますが、完全に覆うと、受話器が取れないので、手が入るように2枚の布を重ねています。その下に置いてある固定電話をとって、ついその場でそのまま話をするとアウトです。額に受けた光は、これまた猛烈に痛かゆいです。
また、しばし首のガードを怠り、パソコンの電源接続部分の光で、首がよくヤられてしまいます。
額はまた、電車内の照明や、室内の灯りでも距離が近くなるため、どうしても傷めてしまいます。
カフェでは、灯りから額や顔をうまくずらしたつもりでも、脚(すね外側)が隣のテーブル頭上の灯りに当たっていることに気づかず、ヤられてしまうこともしばしです。
光から皮膚を守るのは本当に大変です。
毎日、当ブログの光線過敏対策にアクセスがあります。同様の疾患でお悩みの方に少しでもお役に立てれば幸いです。
過去のブログ
光線過敏対策(日焼け止め)
光線過敏対策(室内灯)
光線過敏対策(食物) 
光線過敏対策(カーテン)
パソコン光対策
光線過敏対策(サングラス) 

光線過敏対策(室内灯2)   

 光線過敏対策(電化製品LED) 

光線過敏対策(着る日焼け止め) 

2015年5月13日水曜日

嵐のあと

午前2時には、雨が上がっていた。
激しい雨音がうそのようだ。
昨日の台風6号は、午後6時ごろに温帯低気圧に変わったけれど、深夜の東京は雨風が強かった。
良く眠れなかった人も多いと思う。
夜中に徘徊するつもりはなかったのだけれど、
雨音の中、少し眠ったので気分転換に飛び出した。
夕方に、気が重くなる一本の電話があったのだ。
とてつもなく疲れ果てて、ドラキュラの起床時間の夕刻になっても起きられないでいた。
疲労の理由の一つには、クローゼットの中の衣類のほとんどにカビが生えていることが先週発覚したのだ。
太陽光を完全にシャットアウトするのに窓を全て塞いでいるので、通気性がないことが原因だろう。
クリーニングから戻ったばかりのだけがセーフという事態だ。衣類は、結構重いので1日おきに、夜のクリーニング屋さんに通い続けているドラキュラだ。
毎晩、クローゼットの処理と対策にも追われていた。
さて、電話の用件は、移送サービスで5年お世話になっているNPO法人の介護事業者が、今度から通常料金に加えて夜間料金をもらいたいと言うことだった。
ドラキュラだから利用するのは夜だ。
タクシーだって深夜料金がかかる。
しかし、痛い話だ。
実は、今年になって難病制度が大きく変わった。 これまで私の場合、検査料、診療費など病院に支払う費用は全額自己負担、調剤薬局での薬の支払いだけは無料だった。
しかし、今年から唯一無料だった薬剤費も自己負担となってしまったのだ。(ただし、2割)
これまで認められていなかった難治の病気がこの難病の制度の対象となったことによって、難病患者各自の負担が増加した次第だ。
一つのパイをより多くの人で分け合うので当然といえば当然だ。私自身、10年の闘病生活のうち難病制度が適用されたのは5年間だ。
入院中の病気の重い時は、申請に保健所に出向けなかったし、(後に、難病認定されても遡求適用はない。)股関節のトラブルで一番辛かった時は、医師におそらく今の難病だろうと言われながら、申請はできなかった。 だからこれまで、自費で医療費全てを工面しなければならなかった人の大変さも良くわかる。
加えて、新たにお掃除でお世話になり始めたNPO法人の料金は解散してしまったNPO法人の料金の2倍近い料金だ。
そして、今度は、移送サービスの事業者もか。
嵐は次つぎやってくる。
雨は朝まで降り続くという予報だったせいか、午前3時のオフィス には灯りがついていた。
待機者だろうか。
今日の東京の最高気温は30度、最低気温は18度と真夏のようですが、お互い頑張ってまいりましょうか。

2015年5月12日火曜日

ドラキュラにつける薬を



指輪は、今日あっけなく見つかった。
導いてくれたのは、占い師ではなくこのブログだった。
子供の時に買ってもらった、ブローチやらペンダントは未だに全部あるのに、どうして大人になって買ったものを失くしたのだろう。
悶々としながら、 昨日のブログ写真を変えようかと写真を探していて、大橋陶器の小物入れの写真に目が止まった。(ご褒美、二つ
小さなブーツは上部が開いて、指輪が2つ程度は入るのだった。
そして、ブーツには、ひっそりと2つの指輪が入っていた。
疲れた。
そして恥ずかしい。
どうかドラキュラにつける薬を下さいな。
狂ったように探したり、
記憶なのか、妄想なのか推理なのかわからなくなるまで頭を使ってみたりして。
過去最後の噴火が12世紀から13世紀ごろと言われる箱根の噴火の可能性の話も、台風も、それどころじゃないとう感じだった。
我が噴火活動中だった。
ただ、ブログに綴るだけの、ほんの少しの余裕があったのは、そう高いお品ではなかったからだ。
もし、少々高い物だったら見つかるまでブログはお休みだったろう。
そして、よく当たる占い師を検索したり、金属探知機のレンタル会社を検索したりしていたに違いない。
残念ながら、指輪を失くした深い悲しみと動揺を理解して、慰めてくれる友人はドラキュラにはいない。
「悪いけど、そういう物に興味ないから。」
と言うような友人ばかりだ。
でも、だからブログに綴っちゃって、見っともないことになってしまった。
お騒がせ致しまして、すみません。
輝く物への執着は、子供の頃からだ。
オブラートに包まった立方体の透明なメロン色のゼリーは、宝石に見えてうれしかった。
健康だった時の夢に、定年退職後ニュー新橋ビルでおでん屋を開くことをブログに記したけれど、もう一つには、重くて手が持ち上がらないほど、大きな輝く石がついた指輪をすることだった。
固形石鹸ほどの宝石だ。
夢は夢。

2015年5月11日月曜日

昨日の今日



Jリーグ観戦に燃える、いや萌えるはずだった。
しかし、それどころではなくなった。
昨日、カフェで見たお婆さん。
預金通帳のありかがわからなくなって占い師に占ってもらっていたお婆さんを、冷ややかに見ていた私。
それが今日は、 まさかの同様の事態が我が身に起きた。


指輪がないことに気がついた。
いつから失くなっていたのかわからない。
最後にはめたのは秋だったか。
いや、つい最近したような気もする。
いやいや、するっとどこかに落としてきたのか。
ガンバ対広島の試合は上の空になった。
サッカーより指輪なんだな、と改めて自分を知った。
断捨離ができない物欲の塊だからな。
ここぞと思うところは全て引っ掻き回して探した。
『やべっち』が始まる前に、ついに掃除機の紙パックを解体した。
アレルギーが重いので、マスクに手袋、衣類は終了と同時に脱ぎ捨てる手はずで。
しかし、なかった。
全くもってして笑えない、昨日の出来事が他人事ではなくなった。
行き着くところはカフェなのか。
見つめるのは、クロスの上のカードなのか。
外で落としたのでしょうか?
それとも家の中にありますか?
家の中のどこでしょうか?
今日の東京の最高気温は23度、最低気温は11度、晴れの予報です。
月曜日の今日のあなたは、頑張れば、
そこそこの1日になるでしょう。




2015年5月10日日曜日

カフェにて



ドラキュラの重い気分を払拭してくれるのはカフェだ。
となりのお姉さんは、
一生懸命勉強していた。
赤いセロファンを片手にそれをかざしたり、
書きなぐったり。
まつ毛は3センチ
とてもキュートで入浴中です、というような髪にまとめていた。
少しずつ分けた髪がくるくるとねじられて
リボン型のターバンの中に入っていた。
見とれていると、そこに小柄な占い師の女が入って来た。
「お母さん、ここに座って。 」
今夜は母親とコーヒーか?
小柄な女が占い師だと分かるのは、つい先日もこのカフェにいたから。(もう一度
カフェの小さなテーブルに持参したクロスを敷いて
カードを何度もなんどもならべては、流してまたならべていた。
その時の客は、
肉感的な熟女だった。
個人事業主と思われる熟女は
アプローチしている人々が金になる客かどうかを次々と占ってもらっていた。
前のめりになった時、むっちりとした背中のブラウスのボタンがパチンと弾けた。
占い師の女は、酒とタバコで声を潰したのか、ハスキーボイスだ。
今夜の実母かと思われたお婆さんも、客だった。
早々にクロスを敷き始めた。
おばあさんは「通帳をどこにしまったかわからなくなっちゃって。」「1階も2階もどこを探してもないのよ。」とお店に入るなり、繰り返し訴えていた。
まさかと思ったけれど、今夜の依頼内容は、『どこかにしまった銀行通帳が、どこにあるか。』だった。
回答は実に早かった。
カフェの店員が嫌味なのか「花札ですか?」と尋ね、
「そ・う・よ」と答えるやいなや、女は、おばあさんに向かって
「1階にあるけれど、探すのがとても大変なところにあるわ。」
「新しい通帳を作った方が早いとカードに出ているわ。」
おばあさんは、感心したように「そう〜。」と言って座り直した。
2階屋だったら、大事な物は1階にあるだろう。
そして散々探した末にないと言っているのだから、身分証明書を持って銀行に行き、新しい通帳を作るのが早いと誰しもが言うのじゃないかな。
私も導いてもらおうか。
「難病なんですけど、治りますか?」
答えは明白だ
「難しいですね。」
「上手く付き合っていくしかないでしょう。」
そりゃそうだ。
治らないから難病だ。

2015年5月9日土曜日

5月病

日比谷花壇


3月だって4月だって
6月だって
こっちは、12ヶ月病なのだけれど。
ただ1人、稼ぎに出ている良人が
GWから、ずっと超ブルーで、
そんな良人にヘコヘコ気を使っているうちに
なんだか疲れて
こちらもブルーになってきたこの頃です。
自ら稼いで、食っていた時には、経験だにしなかった虐げられた思いだ。
「あんこ」が本当に爆発、ブレイクしたら広告収入で食わせてやる、と冗談にも言えない雰囲気だ。






何せ、「車は何がお好きですか?」
「アルファロメオ!」
「おホッホッ、私が買ってあげますよ。」と口説いて結婚してもらったものだから。
ところが結婚後間もなく、難病を発病して、
ただの法螺吹きとなっている次第です。