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2009年12月16日水曜日

棺と遺影

 ついに日の入りが1日1日と延びてきてしまった。日の入りが1分ごとに短くなっていた時は、毎日踊りたいほどわくわくしたけれど、今は「あーあ」とため息をついている。
 今年も病に明け、病に暮れていくけれど、特に光線過敏が辛かった。光線過敏になって初めての6月は、一年のうちで一番紫外線が強いということを身を持って知った。遮光一級のカーテンを通り抜けて入り込む紫外線が、足の皮膚もぼろぼろにした。朝4時に日焼け止めを塗るがため、昼夜全く逆の生活となった。カーテンを完全遮光のものに替え、隙間という隙間を塞いだけれど、ほんの小さな、点のような隙間からも光が漏れ入り、やられてしまう。結局、完全遮光傘を2本広げて、傘が転がらないように押さえて眠る。実際はよく眠れない。12月の今でもそうやって暮らしている。
 紫外線を完璧に防いで眠るには、遮光棺桶に入るしかないのだ。寝返りのできる大きめの棺桶。日が落ちて真っ暗になったら蓋を開けて、生きかえるという感じだ。来年は少し早いかもしれないけれど、そんな棺桶を用意するしかないだろうと真面目に考えている。
 それより、遡って2月、絶望的な病名を医師に告げられ、何ヶ月か心の整理がつかなかった中で、遺影を用意しておかなければと思った。勿論そんなもの撮りに行けるわけもないが、今の写真なんかご免だ!10年、いや15年前の写真の中で気に入ったものにしようと思った。親分(「おもしろ話7となりの患者」)に遺影のことをメールに記すと、
「昔の写真は駄目よ!おばあさんが亡くなって、遺影が若い時の写真で、お焼香にきた人が間違えたと思って帰ってしまったという実話があるのよ」と。かく言う親分は、4年前にそれ用に撮影したという。昔の写真の是非はともかくも、長く患っている親分もやはり死ぬことを覚悟しているのだなぁと思った。
 しかし、遺影は、実物の何倍も綺麗な写真にしたい!となると若くて元気はつらつだった頃のという事になる。一応ピックアップはした。約10年前のを。少し後ろめたいような・・・・歳を鯖読んでいるような。
 そんな事を考え続けていて、好きだった女優の大原麗子さんが亡くなった。遺影は42歳の時のということだった。20年以上前の写真だ!私の遺影、白いコーヒーカップを持ち、白い帽子にお気に入りだったジョルジュレッシュの紺色のワンピースを着て笑っている。今から10年前の写真。これでいいのだ!
 

2009年11月23日月曜日

患者心得

 
大学病院の教授や准教授は、
『我こそが日本一』と皆思っている。

2009年11月5日木曜日

となりの患者2

 これまた正確には、となりのとなりの患者だ。山田さんは、60歳近い明るい婦人で、小さな不動産会社の女社長だった。若々しいのに、耳が遠かった。入院初日の夜、医師が病の状況を説明に来た。医師は、周囲に聞こえないようにとの配慮もあったろう、小さい声で話し始めた。山田さんは、「えっ!」「えっ!」と大きな声で聞き直す。山田さんが聞き直す度に、医師の声は1トーンずつ大きくなって、ついに3人部屋の病室じゅうに、説明がなされたようになった。「私、そんなに悪いんですかぁ〜」
 聞きたくない話が否応なく耳に入ってくる。そして、山田さんの号泣する声。病室に重い空気が流れた。その夜、隣の慧子さんと私はいつもの会話もなく、2人とも無言だった。私は胸がしめつけられる思いで、ただただベッドの枠の格子を見つめていた。
 立ち直りが早いと自ら言う山田さんは、翌日には、大きな声で、苺の白ワイン煮、○○ェのおはぎの美味さについて語った。私の声は、山田さんには届かないので、真ん中のベッドの慧子さんがいつも通訳をした。
 ある日、通訳の慧子さんが、入浴に行ってしまった時だった。山田さんが「あんこさーん、教授回診は何曜日だっけ?」と聞いてきた。私はおなかに力を入れて大きな声で「カー(火曜)、キン!(金曜)」と答えた。
 そして、山田さんは言った「ありがとう。ゲツ!モク!ね」と。
(登場人物の名前はすべて仮名です)

2009年10月25日日曜日

入院心得2

 入浴は朝一番にすべし
 病室が、浴室の正面だったことがある。ある時、浴室から、ナースの悲鳴ともとれる大声が聞こえてきた。「きゃー、なんで、うんこしちゃったのー」間もなく、浴室から飛び出てきたナースのズブッ、ズブッ、ズブッと長靴で走って行く足音が聞こえてきた。
 ナースの介助で患者が入浴していたのだ。どうやら、その患者が入浴中にうんこをしてしまったらしい。どこでやっちまったのだろう。脱衣所か、風呂場の洗い場に置いてある椅子の上か、はたまた浴槽の中か?
 いずれにしても、これで向こう一ヶ月は入浴できないな、と思った。入浴は朝9時から開始で、1人30分以内。入浴希望者は、当日、浴室ドアのボードに、各自、入浴時間と名前を書くことになっている。清掃は朝8時半ぐらいに行われている。入浴は、だいたいどこの病院もこんな手続きだ。そして清掃は、入浴開始前の朝だ。
 私はあまり入浴することができなかったが、入浴する時は、午前中の身体の調子をみてから、午後に入浴していた。愚かだった。顧みると、入院の達人たちは、朝一番にこだわって、「行ってきまーす!」と言って、浴室に出かけていた。

2009年10月1日木曜日

サッカー観戦

 3年前、見舞客が青いわっぱを持ってきた。これで病気が治るわけじゃなしと、はめもせず、薬の袋と一緒に引き出しの中にしまった。
 それより以前、女友達が、「一緒にサッカー見ようと、テレビまで買い換えたのに、奴は帰ってこない。絶対浮気している。奴がサッカー見ないわけないのよ!」と電話してきたことがあった。他の女とどこかでサッカーを見ているのに違いない言うのだ。私は仕事じゃないのかぁ?と思った。結局、女友達は、『奴』の居所をつきとめ、他の女とスナック菓子をほおばりながらサッカーを見ている現場に踏み込んだ、かどうかは定かではないけれど、浮気は事実だった。サッカーを見に帰ってこない、で浮気が占えるものなのだぁと感心したことは覚えている。
 会社を休んで、フランスにサッカー観戦に行った人もいたけれど、私の心に残っているのは、おみやげにもらったフォアグラの缶詰のことだけだった。
 しかし、そんなふうにサッカーに無関心だった私も、今やサッカーの虜になりつつある。独走してきた鹿島が失速してくれば、それはそれで残念に思う。先日の名古屋戦では、いつもファインセーブのキーパーの目を疑うようなミス。キーパーはさぞや責任を感じているだろうと思うと、こちらまで胸が痛む。しかし、また昨日のAFCチャンピオンズリーグ準々決勝での川崎の敗北もまた残念で、豪雨で中止になった鹿島との再試合では、頑張って欲しいと思ったりしている。

2009年9月15日火曜日

ぐーたらナース4

 入院初日の夜から喘息発作がでた。明くる日も。喘息で入院したわけではないので、呼吸器病棟ではない。深夜、当直医があわててやってきて、ネブライザー(液体薬剤を噴霧させて口から吸う装置)を始める。とうとう3日目の朝、病棟責任者であるという医師がやってきて、喘息発作に責任が持てないから、呼吸器科の診察を受けるようにと言われた。呼吸器科の医師には、朝晩の吸入薬とネブライザーをやるように言われた。
 ところがネブライザーがうまく作動しない。ネブライザーは、毎回看護師が薬剤を入れてセットしてガラガラと運んでくる。霧が出た!と思えばすぐ止まってしまう。その都度若い看護師が、薬剤や溶液を入れ替えたり、装置をいじってどうにかしてくれる。どうにもならないこともしばしあって、別の装置に変えて、修理の手続きをしていることもあった。
 ある日も、5分で霧が出なくなってしまった。ネブライザーから出る霧をチューブから吸うのだが、20分吸うように言われている。ナースコールを押したところで、たまたまドクターがやってきた。ベッド脇には、ネブライザー、主治医と研修医、そしてナースコールでやってきた年配のおそ松副師長。私は、おそ松副師長にネブライザーが途中で止まった旨を伝えた。するとおそ松副師長は「何分で止まったの?」と聞いてきた。「5分です」と答えると。おそ松師長は「5分もやればじゅーぶん、なんですよ!」と2人の医師の顔をなめるように見て言った。5分で十分なわけはない。
医師2人は唖然としている。研修医も呼吸器科の研修を終えたばかりなので5分では不十分なことはわかっているはずだ。
 しかし、口をはさむ間もなく、おそ松副師長は、ちゃっちゃとネブライザーをかたづけて、ガラガラと押して撤収してしまった。(登場人物の名前は仮名です)

2009年9月11日金曜日

入院心得

病棟を牛耳っているのは、看護師である。
ドクターではない。

2009年1月19日月曜日

インフルエンザ

 昨日から、ある病院でのインフルエンザの集団感染が報道されている。その中で、病院内の湿度が15%であったことが、感染を蔓延させたのではないかという憶測も言われている。湿度15%に、驚くかもしれないが、病院はどこもそんなものである。大部屋は勿論、個室でも私の知っている限りの病院病室には加湿器などが設置されていたところはない。
 冬は、家族がつきっきりで、びっしょりと濡れたタオルをベッドのパイプ、ロッカー脇のタオル掛けに掛けてせっせと交換しなければ、ひどい乾燥状態だ。タオルは20分ぐらいで乾いてしまい、タオル2本では、間に合わない。
 家族がいなければ、よっこらしょと起きて歩き、自分でタオルを濡らしに行き、タオルをぶらせげる。
 家族がいない、自らも動けない場合は、乾燥状況に甘んじるしかないのだ。
 一日10万円の個室はどうかわからないが、4万円程度までの個室にも加湿器が設置されていた病院は、これまでなかった。設置のための初期費用と水の補強、手入れなどの管理の問題もあろうかと思うが、インフルエンザ蔓延を助長したことが明らかになれば、今後は病院の湿度管理の改善が求められるであろう。

2009年1月12日月曜日

それは個室に移ったら、カサブランカの花の芯を思いっきり鼻の穴に突っ込むことだった

2009年1月7日水曜日

生かさず殺さず

神様は意地悪だ。
昨年もまた病がひとつ増えてしまった。
昨年、年初に「ハッピーじゃないNewYear」で毎年一つづつ病が増えると綴って、まさにまたそのとおりになったわけだ。
昨年の7月から、光線過敏症が加わり、ますます不自由になったというより、ストレスは絶頂にあるといった感じだ。
太陽光はもとより、蛍光灯もPCの光も駄目だ。
常に日焼け止めを塗っていなければならないのだ。
股関節に貼った湿布薬が原因のようで、遮光せよという注意書きに従わなかったためだ。
ただ、紫外線に当たらないと、股関節の方はだいぶラクだ。
喘息も入れると治らないと言われている病を4つ抱えて新しい年を迎えた。今年は、なんとか1つ減らしてもらえないだろうか。