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2016年10月31日月曜日

かぼちゃの日



派手な写真を載せてみましたが、
かぼちゃの日の今日は、
月曜とあって、仮装した人に出会うこともなく
駅を行き交う人々は、皆月曜の憂鬱を背負って、
普通に歩いているだけ。

やはり、昨夜だったのだな。
用意された撮影用のスクリーンにも立ち寄る人もいません。
早くもクリスマス商戦も始まって、10月のおしまいです。
どなた様もお疲れさまでした。
めっきり寒くなってまいりました。
明日の東京は曇り時々雨、最高気温18度最低気温11度の予報です。
巷には、咳をしている人が多いようです。
風邪をもらうほど悔しいことはありません。
風邪で生活のリズムが、人生が狂ってしまいます。
ひいている人もひいていない人もマスクをしましょう。




2016年10月30日日曜日

第16節 浦和2ndステージ優勝決定

青山フラワーマーケット

残り1試合を残して、
2ndステージ優勝決定おめでとう。
引き分け以上で優勝が確定される昨日の磐田戦で、1対0で勝利した浦和は、ハローウィン前に祝杯に湧いていることでしょう。
ガンバが優勝争いに絡まないのと、
睡眠不足も重なっていて
熱き闘志を観られるという大一番に
気合が足りず、
川崎対鹿島戦を観たり名古屋対神戸戦を観たり、
落ち着きなくしているうちに、いつしか瞼を閉じてしまっていた。
白いユニフォームの川崎は 、鹿島を1対0で下して、今節では年間優勝を浦和に譲らなかった。
そして、夢の中、美容院に行く暇がないなら、髪を切ってあげると大久保選手に言われるも、大久保選手の頭とゴールを決めた森本選手の以前と同じマルコメ君頭に、躊躇していた。得点王の折角の言葉にどう対応していいやらと。


しかし、川崎の日本代表小林選手が負傷したことが気がかりだ。
お見舞いの花束を贈ります。
残留争いも最終節に持ち越された。
残留争いは、磐田、甲府、新潟、名古屋となっている。


カフェにて

青山フラワーマーケット

『スパルタ』
という言葉を思い出したのは二週間前の土曜の夜だった。
久しぶりとなったカフェに二人はまた座っていた。
同じ窓際の席にこの前と同じように並んでいた。
小学生の女の子とお父さんだ。
「やり直し!」
「書き直せよ!」
「分数で書け!」
女の子の、消しゴムに力を込めた手が忙しく動く。
女の子は、決して口答えはしない。
指導にくらいつこうと真剣だ。
柿色のセーターを着ていた父親と
紺色のパーカーを着ていた女の子、
二人は燃えていた。
秋は受験勉強でも山場なんだな。
宿題すらやらないでいいと言われて、
育ったものだから、
とても羨ましかった。
「勉強がわからなくなったら嫌だ! 」と言ったら、
「そうしたら学校休めばいい。」と言われた。
おかげで、馬鹿が馬鹿のまま大人になってしまって、
今でも親を恨んでいる。
昨夜は、探し求めていた胡蝶蘭が手に入って、
少しばかり嬉しくもあって、二人を見ていた。
しかし、昨夜の二人は静かだった。
父親は国語の長文をずっと読んでいたかと思ったら、
次には外車のカタログを熱心に見ていた。
お嬢さんが御三家に合格したら、
さらにグレードアップした外車に買い替えようと思っているに違いない。
 
多くの問題用紙を後にして、トイレに行った女の子。
戻るや否や、父親であり監督でもある人の、
大きなコーヒーカップを返却口に下げに行った。
その小さな顔にかけられたメガネのレンズは、
牛乳瓶の底のように厚かった。
昨夜の入店は午後9時ギリギリだったので、熱血指導の時を既にすぎていたのかもしれない。
女の子のお片づけが終わると、二人は出て行った。
合格を祈ろう。




2016年10月29日土曜日

恐怖体験で得たもの



おかげで体重は減って、11年前の体重に戻った。
闇夜が早く訪れた雨の昨夜、
区役所の出張所を訪ねた。
雨にもかかわらず、小さな出張所に行列 ができていた。
それでも区の職員のみんなが神対応だった。
自宅でテーブルに封筒を叩きつけられて、
凄まれて、どやされた惨劇からまだ間もないから、
余計にそう感じたのかもしれないけれど。
区役所出張所では、
混み合う中でも職員間でイロイロ話し合ってくれて、
最善であろう書類を出してくれた。
しかし、日暮れの早い秋だから、区役所の出張所にも間に合ったのだ。
そして、普通に昼間に出て歩くことができたなら、
いわゆる「ブラック企業」とかかわらずに済んだのだ。
この度のことは、良人も初めての経験であったに違いない。
熱が出ても三度の食事は平らげる良人が、まる一日食事も取らず寝たきりとなった。
怯えたのか布団をギューと被ってしまって、顔すら出さなかった。
書類を受け取ったら、疲労感に襲われて、
品川で休憩した。
高輪口の駅近くのお店は、
外国人観光客も多く、店側も回転率を上げることに躍起になって、追い立てられるように扱われてしまう。
ゆっくりできた、京品ホテルの経営する飲食店は、
従業員の自主営業などで、存続が訴えられたけれど、
8年前にはついに廃業となってしまった。
思いついたのは、ロイヤルホスト
どこにでもあるけれど、急かされることはなく、
とりあえず寛げる。
あんみつだけのつもりが、
疲労快復にアサイーのジュースも頼んで、
なんだか腰が抜けたように動けなくなって、
   

秋鮭とイクラのピラフ膳も食らった。
お醤油味が効いた和テイストのピラフもいけたし、
付いてきた牡蠣のクリームコロッケやホタテフライも美味しかった。
しかし、ロクに食事を取らない日々が続いて胃袋が小さくなったのか、7時間経った今も、胃が重い。


昼間でも最高気温が15度までしか上がらず、
午後から降り出したという冷たい雨は、夜の歩道にギラギラと水たまりを作っていました。
今日の東京の最高気温は21度、最適気温は13度、晴れのち時々曇りの予報です。
皆様には、穏やかな週末が過ごせますように。







2016年10月27日木曜日

バトルの果てに



夕方帰宅した無口という病気の良人は、玄関に入るなり倒れ込んだ。
口から血を流してはいなかったけれど、
阿婆擦れ女にノックアウトされたのだ。
「ワン、ツー、スリー、・・・テン!」
起き上がれずに、またしてもそのまま寝込んでしまった。
大方、そんなことになるだろうと予想はしていてけれど、
昼間出かけることができないドラキュラに代わって、
用を足してきてくれたのだから責めるわけにも行かなかった。
リングに上がる前に言い聞かせた。
セコンドのように。
「いいか、言葉で攻撃することはできないのだから、完全無視と、得意技のブー攻撃でいけ!」と叱咤激励してリングに送り出した。
良人の欠点の一つに、周囲が不愉快になる嫌なだんまり、
ブーっとした態度がある。
両親にそれを注意もされることもなく、育ってしまったのだろう。
今回その欠点を武器として使うしかないと思ったのだ。
それでも阿婆擦れ女には敵わなかったのだ。
途中で何度か良人からメールが届いた。
「ブリブリ」
「ブリブリしてどっか行った。」
ブリブリすべきは良人だ。
メールを読んで、歯ぎしりして、地団駄踏んで、
昼間出られないことがどれほど悔しかったか。
昼間出られれば、阿婆擦れ女の夫が社長だという会社に乗り込んで、
「アンタラ、ヤクザかね!
凄んで、どやして、それがアンタラのやり方だと、
世間様に知ってもらうしかないね!
出て行くとこ出て行くで!
とっとと、こっちが支払った金返せ、コラっ!」
と怒鳴ることもできるのに。
この度、紹介者に連絡したことで、お金は返金してもらい、良人はそれを間違いなく受け取って帰宅した。
良人も役目は果たしたと言える。
反撃に力添えをくれたハンバーグ屋にお礼に行った。
良人も連れて行くつもりだったけれど、阿婆擦れ女の毒気に当たって夜になっても寝込んだままだ。
それを伝えると、「ご主人も大変だったわね。」と店主。
良人は、自宅に篭るドラキュラ以上の擦れっ枯らしが
この世にいることを知ったのだ。



2016年10月25日火曜日

バトル



パンチを避けることも
こちらが反撃することもできずに
負けた。
昼間に出かけられない弱みがある。
場外でバトルを見つめていただけの良人は、
ストレートを食らったように倒れこんで、
一日経っても寝たまま寝床から出てこない。
かつて、ドラキュラになる前、健康だった時は
頭上についていた角を日々磨いて、
そんなストレート負けなどは、経験したことがなかった。
人生劇場が、もはやずっと場外だから、
試合感もなくなっていたと痛感した。
場内だった時を思い返すと、
頭が悪いのに勢いだけで、
なんとか生きている人っている。
ドラキュラもその手の人間だったのだ。
やり込められて、フラフラになって
夜の街、この事態を夏から予測して心配してくれていた
ハンバーグ屋さんに崩れこむように入った。
「やられた〜」と言うと、
「だから言ったじゃないの!」と店主、
店主が慌てて知人に当たってくれて、
事態を説明して反撃材料を提供してもらった。
「負けるな、反撃だ!」と励ましてくれて、
その勢いで、その場で電話をして、
話を白紙に戻してくれと申し入れた。
そして早朝から電話で試合再開、バトルとなった。
確たる紹介者もいたものだから、そちらも巻き込んで、
こちらも3歩譲歩して、今日のところは落ち着いた。
さて、その対戦相手をうまく表現できないでいた。
海千山千女、 擦れっ枯らし、
とも言える。
けれど、響きが違う。
『阿婆擦れ』がぴったりだ。
 昼間出かけられないことで、電話だけのやり取りで、
会ってびっくりが、ないことはない。
それにしても負けるなんて、情けない。
心身ともに弱くなったことを悟り、
二重の打撃を受けている。



2016年10月24日月曜日

不思議な夜

青山フラワーマーケット

不思議な夜だった。
闇に包まれた夕刻、5時20分、
タクシーで高速を飛ばしてもらって北へ北へと向かった。
平日の夜の渋滞に慣れ過ぎていて、
スピードが怖いくらいだった。
帰途もあっという間で、10時過ぎに戻った。
腹ごしらえに、向かったいつものファミレスで、
九州産霜降り黒毛和牛と九条ネギキムチの焼肉丼膳という季節メニューとカキフライを注文した。
最後に、渋皮栗とかぼちゃのプリンサンデーも注文するつもりでいた。
ところが、食べ進まなかった。
美味しいのに。
予想以上のお肉のボリュームが目には嬉しいのに、
途中で休憩となってしまった。
高速のスピードの余韻が残ってか、気分だけは高揚していた。
ファミレス内は、土曜の深夜で、既に人が退けていて、閑散としていた。
向かいの席には、おじさんと青年の間ぐらいの人がパソコンに向かっている。
隣には、栗色の髪を無造作にまとめ上げた、
お姉さんが、赤ワインだけを口に含んで、
夢中で何か作業をしていた。
スマホを叩きながら、次々書き上げていく。
おかわりのデカンタを運んできた、深夜勤務のいつものスタッフが「お冷お持ちしました!」と言った時、
お姉さんが笑って、スタッフも笑った。
おかわりのデカンタが運ばれる度、お姉さんは、
「すみません」と言い
 デカンタからグラスにワインを注いだ後、
デカンタの口に回る赤いワインの輪をそっとナプキンで拭っていた。
そのナプキンは綺麗に折りたたまれている。
女子大生だと思った。
綺麗だし、感じも良かった。
再び、お肉を口に運んだり、
ドリンクを取りに行ったりしながら、
考えていた。
何をしているのか尋ねてみることを。
そしてついに、
「ごめんなさいね。何をなさっているの?」
すると予想どおり、にこやかに答えてくれた。
お姉さんは、プロのドラマーで、明日のライブに向けて、
演奏仲間とスマホでやり取りして、譜面を仕上げているということだった。
そして、今度は、お姉さんから、こんな深夜に一人でファミレスにいる理由を尋ねられた。
気がつくと、お姉さんの清々しさに、心が緩んで、いつもは口にしない病名をあっさり告げていた。
すると、中学時代に同じ病気だったクラスメートがいたと言い、
夜しか外出できない不自由を察して、音楽がきっと良い気分転換になると音楽を楽しむことを勧めてくれた。
この時「お姉さん」と呼んでくれたことは、極上の喜びでもあった。
初めて落ち合う奏者とも楽曲を互いに理解することで、ライブで息の合う演奏ができてしまうと、音楽の魅力を語ってくれた。
そして、近くにジャズピアノーバーがあることを教えてくれた。
再び譜面に向かうお姉さんを後に、ファミレスを出て、ジャズピアノバーが入っているという雑居ビルへと向かった。
古い小さなビルの2階に確かにあって、重い扉を少し開けると、
中から、女性が出てきた。
元々土曜日はお休みだったのか、綺麗な中年の女性はお化粧をしていないように見えた。ジャズライブは水曜と金曜なので、是非お越しくださいと。
ふわっとした気分で、夜道を歩いていると、携帯が鳴った。
午前2時、再び北へ高速を走ってもらって、
それでも夜の長い秋だから、
空が薄明かるくなる前の4時半に帰宅できた。
この夜は、いろんなことがあって、一生忘れない日になるだろうと思う。





2016年10月22日土曜日

無口という病気9

置地廣場 お弁当箱

共に暮らす良人は無口という病気です。
自らの趣味についても語ることはないけれど、
アンプにはこだわりがあるようだ。
良人が嫌々嫁いできたとき、
こだわりのアンプが次々と運び込まれて、
部屋は一気に狭くなった。
ギョロ目の老人の顔が表紙の本も、多数持ち込まれた。
長岡鉄男という人らしい。
半年以上前に、またどこぞのメーカーからアンプを購入したようで、小さなそれは、最初から不備があったみたいだ。
これまた詳しく語らなかったけれど、
良人は、メーカーにメールでその内容を伝えたようだ。
電話で話す、ということは到底できないのだから。
私に放った言葉といえば「宅配業者が、引き取りに来るから送って。」だけだ。
 着払いの宅配便かと尋ねると、そうではないと言う。
??依頼主はあくまでもメーカーだと。
そして、こちらがメーカーに指定した日時に、宅配業者がやって来た。
初めての手続きで、不安があった。メーカーは九州だったし。
インターホンが鳴ったとき、「来た!」 と言うと、
おデブの良人もよっこらしょと、珍しく腰を上げた。
自分の物だから、自分でやるのだなと思った。
問題のアンプは既に玄関に置いてあった。
しかし、ドアを開けて、後ろを振り向くと、
居るはずの良人がいないのだ。
「ちょっと!私にはわからないわよ!」と呼び込むように叫んでも、返事もない。
宅配業者によくわからないものでと言うと、用紙にサインをすればいいのだと言われた。
サインをして、もう一度ふり返って見ると、
良人は、柱の影に隠れるように、
コーナーの壁から大きな顔の十分の一程度を出してこちらを覗いていた。
その表情は、気のせいかニッとしていたように見えた。
最近、良人の山積みの本の一番上に、伊藤喜多男と言う人の「もみくちゃ人生」という本を発見した。
食いしん坊の私は、銀座のグルメ本かと思って読み進んだら、そうではなかったけれど、これは面白かった。
伊藤先生と言われる、これまたアンプの神様みたいな人物らしいけれど、アンプの話は読み飛ばした。
良人との会話は、永遠に実現しないのかもしれない。



2016年10月21日金曜日

栄光の花道

置地廣場

つい先日も通院だった。
その日の主治医にはかれこれ10年診ていただいている。
若かった医師は着実に出世の階段を一段一段上って、
お偉くなってしまった。
今では予約を入れるのもままならない。
温厚な人柄で、その階段を強く望んで、
蹴上がったという感じではない人物だ。
かつて病棟の師長が「癒しの先生」とまで言っていた。
待合の廊下でこんな場面を見たこともある。
ストレッチャーで患者が運ばれてきたときのこと。
患者は、透析の後、血圧が急降下して、近くのクリニックから運ばれてきたようだった。
主治医は別の患者の診察中で、ドアを開けて、若い医師に「ルートをとって!すぐ行くから。」と離れたところから指示を出した。
ところが研修医なのか若い医師は、口を開けたまま、その意味がわからずに呆然としていた。
素人だって、その状況から、点滴をするために血管に針を刺してくれということだろうと察した。
「わからないのかアホ!もたもたするな! 」
などとは言わずに、少しだけ大きな声で補足していた。
 
闘病11年の我が身を振り返れば、
途中から夜道しか歩けなくなり、
病名も長い長い舌を噛みそうな病名に変わった。
これもステップアップと言うのだろうか。
夜空の漆黒も深くなってまいりました。
昨日は東京では、日中の気温が28度まで上がったそうですが、夜道には、山茶花が既に咲いていました。
今日の東京は最高気温20度、最低気温16度、晴れ時々曇りの予報です。
なんだか、お先真っ暗と言う感じになってしまいましたので、
病院の売店で見つけたお勧めドリンクをご紹介します。
守山乳業の喫茶店の味ココアです。
このチルドカップのココアは無香料、無着色です。
ガーナ産カカオ豆100パーセントのココアパウダー 使用だそうです。甘さ控えめで、美味です。
明日もお仕事の方は、疲労快復に召し上がってみてください。



2016年10月20日木曜日

断捨離しないを思う



今から一週間ほど前に、郡山のゴミ屋敷が全焼し、遺体が発見され、家主と連絡がつかないと報じられた。
その後、このニュースは消えていった。
だから、家主が亡くなったのかどうかは、わからないけれど、
「みんな宝なんだ。」というこの家の家主の言葉は、
断捨離ができない者の生きるモットーだ。
生きていてくれればなぁ。


2016年10月17日月曜日

アドバイスいろいろ



十人十色
困った時に、
アドバイスを求めれば、
そのアドバイスも人によっていろいろだ。
かつて、キッチンの上の灯を、
高い工事費用を支払って、
UVカット蛍光管からLED直管へ変えた。
首の後ろに光が当たり続け、
強烈な痒みと炎症が続き火傷状態も遂にはコブのような
シコリなってしまたのだ。
そこで、UVが極めて微量だというLEDに変えれば、
問題は解決されると思ったからだ。
franc franc
しかし、結果は失敗し、返って酷くなったのだ。
その直後、たまたま友人たちと会うことになっていた。
この件について相談すると。
「灯、取っちゃえばいいじゃん。」
取ったら、見えないから指を切っちまうわいと言うと、
「ロウソク立てればいいだけだろ。」
がO君のアドバイスだ。
我が自宅は太陽光を防ぐために、
窓を完全に塞ぎ、開閉ができない為、換気もろくにできない状態だし、ロウソクを名案だとは思えなかった。
O君は永年、新興国で和平問題やインフラ支援に尽力している。
自身も現地で、停電など当たり前の生活だ。
衣食住の確保に苦労する際には、的確なアドバイスがなされるのだろうけれど・・・だ。
「天井をどんどん上にあげればいいじゃん。」
「どんどんどんどんさー上に上に、LEDと頭の距離が離れればいいんだろ。」
これは友人の中で一番の良識人だと思っていたK君のアドバイスだ。
住まいは、一軒家ではなく集合住宅だ。
天井裏には配管が張り巡らされていて、天井を高くすることなどできない。
K君は単身赴任生活が長くなる中で、登山が趣味となっている。
今は、限りなく広がる青い空を山頂で仰ぐことを生きがいにしている。
自宅は同様に集合住宅なのに、心はいつも無限大の自然の中なのか、とにかくそのアドバイスにはショックを受けた。


この度のインターホンの24時間点きっぱなしの稼働ランプの問題では、途方にくれていたところ、同期会幹事夫妻が親身に相談にのってくれた。
設置業者も誠実に対応してくれているけれど、何分初めてのケースで対策も思考錯誤だ。
当初の対策では、光を防ぐことができず、事態が進展しないので、遂には幹事が自宅に来て、業者と対策について話を進めてくれた。
幹事様の極めて現実的な問題解決力に改めて感謝している。

2016年10月16日日曜日

ルヴァン杯 浦和優勝

青山フラワーマーケット

本戦1対1で延長戦、
そしてPK戦に及んで敗れたガンバ。
優勝したのは赤の浦和だ。
今月初めのJリーグ戦でガンバは0対4で浦和に惨敗している。
それを立て直せたのに。
PK戦の最初に蹴ったのはガンバは藤本選手だった。
良く考えた選考だと思った。
両チームとも3人目までベテランが蹴って、全員ゴールネットを揺らした。
「両チームともここまでベテランが成功しています。」という言葉が少々気になった。
先行するガンバの4人目が若い呉屋選手だった。
PK開始前に、笑みまで漏らしていた浦和キーパー西川選手が呉屋選手の球をガッシッと止めた。
5人目、浦和の遠藤選手が成功して試合は終わった。
青と赤の因縁の対戦で、年初の天皇杯ではガンバが優勝している。
また天皇杯に期待を寄せるしかない。
浦和のタイトル獲得は、実は久しぶりだ。
リーグタイトルを獲得したのは10年前、同カップタイトルは13年ぶりだ。
獲得していそうで、いなかった。
いつもスルリと逃していたのだな。
今回、MVPに選ばれたのは、本戦後半のお終いに投入されて同点弾を奪った李選手だった。
李選手が、試合後のインタビューで「ヒーローになってやる!と思った 。」と言った。
その言葉を聞いたのは、2011年AFCアジアカップのオーストラリアとの決勝戦で、あのボレーシュートを決めた時以来だ。
おめでとう。



2016年10月14日金曜日

打ち上げ



吉田類さんがヒョイっと暖簾を上げて
入ってきそうな大井町の路地裏の居酒屋で宴会だった。
8月に久々に帰国した友人との宴の幹事打ち上げということだったけれど、食って、飲んで、酒一つ注がず、片付けもせず、
写真を撮ってブログに載っけただけだから、
参加に当たっては、かなり気が引けた。
しかし、そんな遠慮も吹っ飛ぶほど、爆笑し続けた。
高校時代の伝説の人物も、
新たな名セリフを次々と、
まさに大きな打ち上げ花火のように連発するものだから。
どこぞのお笑いタレントの二番煎じではなく、どれもオリジナルで、その才能に驚くばかりだった。
今でも上向きのベクトルは健在だ。
よくよく考えてみると、参加者6人のうち、
高校在学中は私は誰とも話をしたことがなかったように思う。
顔は知っていたけれど。
それでも、盛り上がれるって凄いことだ。
たった3年間で、10代の青い時を同じ学舎で過ごしたことの深さを知ったような気がした。
様々な人物のちょっとした話題の数々、校舎の脇にあった焼却炉の話などネタは尽きなかった。
イワシの酢じめ
「焼却炉からはダイオキシンなどの有害物質がモクモクと出ていたに違いない。」という幹事夫人の発言には、
吹き出しそうにもなった。
今は、豊洲の土壌汚染問題に怒り、
当時の高校では、日本の環境問題を考えよう!と、
公害訴訟等の詳細内容が記されているビラが文責○○と記載されて机に載っていたりしたのだ。
まず訴えるべきは、日本の環境政策ではなく、自校の校舎の焼却炉の廃止だったのだろう。
逗子マリーナもどきのオレンジカウンティーに住む友人が、骨を折ってくれた幹事に送ったという赤ワインをお店で開けた。
個人経営の居酒屋さんならではのお許しだ。
お店は、その8月の宴と同じお店(和柚庵)で、
お造りのネタの新鮮さもさることながら、
煮物も丁寧に作られて、いいお味に仕上がっていた。
松茸土瓶蒸しの写真を撮り忘れたことを深く後悔している。
電灯には、巻物のご配慮をいただいた上、
黄金色の色づきを待つ稲穂が載っていた。
実りある、いいことありそう!
今日は、この1ヶ月の懸案事項、
インターホンの24時間稼働ランプの問題で業者がやってくる。
未だに抜本的な対策がないままだ。
眼の方は深刻だ。
医師からは「一体どこが責任をとるのか。」 と言われた。
最近、脳も衰えて、
こちらは打ち上げ花火のようにポンポン言葉が出てこない。
幹事が援軍に行ってやるとまで言ってくれて、感謝この上ない夜でした。