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2008年10月28日火曜日

地獄絵図15

 真夜中の爆音は、まる4日続いた。爆音とともに真っ暗な病室は、赤や緑や黄色の色とりどりの光がピラピラ映って、ミラーボールが回るキャバレーの向かいの朽ちたビルの一室にいるような感じだ。時刻は、決まって午前2時。2日目にやってきたキャプテン(「おつかれナース3」)は、となりのババをゆすり起こしているようだった。ババの応答はない。キャプテンは、さとすように「うるさいよ。夜中なんだよ。テレビつけちゃ駄目だよ。みんなに迷惑だよ。」と言っていた。ババはわかった感じでもなく「夜中かぁ?」と一言だけ。

 3日目の爆音がやんだ時、私の耳にJR東海のCM『そうだ京都に行こう』の音楽が流れてきたような気がした。「そうだ個室に行こう」と決心した。堪えてこらえて、耐えてたえて、忍んでしのんできたけれど限界だ。もうラクになりたいと思った。
 4日目もキャプテンは夜勤だったらしく、爆音にやってきて同じように起こして、注意していた。そして朝、キャプテンは「夜中に寝ぼけるから、今日から眠剤やめよう」と言って部屋を出て行った。しかし、私の心は変わらず、その日個室病棟への移動希望を申し出た。

2008年10月21日火曜日

6人部屋の情景

 それは一言で言えば地獄絵図なのだけれど、その情景をおさらいしておくと、こんな具合だ。となりは、始終ピーピーうんこだ。最初にとなりだった、はす向かいの患者も相変わらず、この世の臭いとは思えないうんこ以上にうんこな臭いのおしっこを1日4回ベッドの上でする。先人達が爆弾と名付けていたそれだ。談話室に逃げ込まなければいられない。始末にくる看護師は用意周到にマスクと手袋でやってくることもあるが、取るモノもとりあえずやってきてしまった看護師は、かたづけると一目散に逃げるように帰っていく。
 そしてもう1人、向かいのねーちゃん。ねーちゃんは、ふらふら病室を出て行っては、どっかで倒れてストレッチャーで運ばれて帰ってくる。そんな晩は、医師数人と夜勤看護師3人が軍隊の行進のように『ドッ、ドッ、ドッ』と靴音高くやってきて、バイタルチェックを行う。1時間ごとに。
 私は全く眠れない。朝カーテンを閉めたまま、なんとか眠ろうとしていると、張り切り副師長がやってきてシャーッとカーテンを開けてしまう。「あんこさん、どうしたの暗い顔をして!アッサですよー」
『お願いだー寝かせてくれー』と言いたいけれど疲れて声も出ない。
副師長は昨夜の病室全体の様子はわからないのだ。なぜなら、この病棟では口頭での引き継ぎが全くない。看護師に1人1台のノートパソコンが支給されていて、各看護師は、その日の担当の患者のデータを見るという具合だ。しっかり見てるかどうかは確かではないけれど、その日担当する患者のことしかわからないのだ。
 あとの2床だが、1床は脳梗塞か何かの後遺症かと思われる婦人で、話すことも歩くこともできず、いつもベッドからずるっと下がったままじっと悪臭に耐えている。時々看護師に、「自分でベッドの柵を蹴って自分で(ベッドの上の方に)上がって!」と鬼のようなことを言われている。
 もう1床は検査入院の比較的若い患者が2日程度で回転している。皆口々に2日の辛抱と言いつつ鼻をつまみ、その日の検査が終わると外出許可をもらって、お出かけをしてしまう。
 私は、窓の向こうに見える個室病棟を懐かしく思い、切なくなるのだった。

2008年10月15日水曜日

地獄絵図13

 朝晩下剤を飲み、点滴にも下剤を入れているとなりの患者。1時間に10回近くのおむつ交換。いつまでつづくのだろうピーピーうんこは。その患者の右となりの患者は食事中のおむつ交換の時、「げっー」とむせていた。私も連鎖反応で「げっー」となった。
 その後少しして、ドクター井上がやってきたようだ。声だけ聞いていると井上君はオカマのようなしゃべりだ。「どうしちゃったのかしら、毎日どんどんクレアチニンが上がっているのだけど。」
 私は床の中で手に汗握ってそのセリフを聞いた。そして心の中で叫んだ『井上君、井上君、どんな理由で下剤を沢山使っているか知らないけれど、そして私は素人だけれど、始終ピーピーうんこなんだから、ごくごく単純に考えて脱水だろう!喉が渇いて夜中にビードロ遊びのようにコップをポッコンポッコン吸ったりしているし。カツオの刺身も腎臓を痛めたかもしれないけれど。』
 瞳を閉じると、灼熱の太陽の下、線路が果てしなく続いている光景が浮かんできた。決して列車が通ることがない線路。(登場人物の名前は仮名です)

2008年10月9日木曜日

地獄絵図12

 ある晩、始終ピーピーうんこのとなりの患者のところに息子がやってきた。晩といっても7時ごろで季節は初夏だったのでまだ明るかった。息子は「お袋!明日は、かつおの刺身持ってきてやるからな。」と言って帰って行った。私は気絶しそうになった。