過去 1 週間のページビュー

2013年6月24日月曜日

日の入りが1番遅い日

今日は1年のうちで1番日の入りが遅い日だ。正確に言えば、今日から7月5日までの間が1番日の入りが遅く7時1分だ。実際に真っ暗になるのは、日の入り時刻の30分ぐらい後になる。
光線過敏の症状が重い私にとっては、苦々しい思いで一杯だ。日の入り時刻が最も遅いのは夏至と思われがちだが、夏至は日の出が最も早く、昼間が一番長く夜間が最も短いということだ。光線過敏の症状が始まったのは、5年前の丁度今頃からだった。この1、2年は諦めの境地にあるけれど、当初は、今日の日を呪い、嘆き、悲しみ、のたうちまわり、7月6日を指折り数えてひたすら待った。

 

2013年6月23日日曜日

コンフェデレーションズカップ、日本全敗

青は散った。
今日、日本時間で3時半から行われたコンフェデレーションズカップ最後のメキシコ戦で、日本は1対2で負けた。
日本は、ブラジル、イタリア、メキシコと全戦で負けたのだ。
今日のメキシコ戦は序盤は日本のペースでボールも保持していた。しかし、前半のおしまいから徐々にメキシコの流れになり、前半は0体0で終わり、後半は初めからメキシコのペースになった。
 選手達は、イタリア戦の疲労からか、どうにも動きが悪かった。メキシコのエルナンデスに先制され、日本の選手交代の直後のコーナーキックでまたエルナンデスにヘッドで追加点を奪われた。
どうにもならん、と諦めていた後半41分、ワールドカップ最終予選のイラク戦の時のように、遠藤がトラップしてパスした玉にシュートを決めたのは岡崎だった。今日岡崎は、いつものように後半もよく動いていた。
 この得点の後、にわかに日本選手達が生き返ったかのように動きだしたが、エルナンデスにPKを献上してしまう。もはやおしまいだと諦めたが、キーパーの川島が止めた。そして、残りわずかな時間に望みをつないだ。しかし、むなしく終了のホイッスルが鳴ってしまった。観戦する側も、イタリア戦の疲労をひきずっているのだから、選手達の疲労は想像を絶するものだ。W杯まで残り1年、強豪相手にもはや真剣勝負の場はない、親善試合で力をつけていくしかないのか。

2013年6月22日土曜日

Mount Fuji

今日、富士山が世界遺産に登録された。心配されていた三保松原も含まれるそうだ。既に巷には、富士山が溢れている。
富士山のお茶碗、その後ろには富士山柄の風呂敷、富士山の杯だ。













富士山のお煎餅は、春夏秋冬の富士が楽しめるようだ。
切り子グラスにも富士山が刻まれたものが並んでいた。








2013年6月20日木曜日

サッカー日本代表、対イタリア戦で悔しい敗戦

勝てる試合だった、と誰もが今も思っているだろう。
コンフェデレーションズカップの1次リーグ、世界ランク第8位のイタリアを必死にさせた今日の日本だったのに。
パスタは当分食べる気持ちになれそうもない。

2013年6月18日火曜日

ゆるゆる組織2

辞めない美学はあるのか。
否が応でもこういう組織とかかわって行かなければならない選手達が気の毒だ。

2013年6月16日日曜日

サッカー日本代表、対ブラジル戦で完敗

試合開始直後、前田選手がいない!と思っているうちに、今、世界注目の21歳、ブラジル代表のネイマール選手がシュートを決めた。開始3分の時だった。各大陸王者が争うコンフェデレーションズカップの開幕戦は日本対ブラジルで日本時間で今日の明け方、ブラジルのブラジリアで行われた。ワールドカップを1年後に控え、まさにW杯の前哨戦だ。
開始早々に得点を許した後、今度は後半早々にパウリーニョに追加点を許し、さらにアディショナルタイムにカウンターからジョーに決定打を打ち込まれた。結果は3対0で日本が完敗した。日本は、終始パスを前に出すことができなかった。1点でも、もぎ取りたいという選手達の意志は十分感じたが、及ばなかった。ブラジルコーヒーを飲み干すように、ブラジルを飲みこむことができず、日本にとって苦い一敗となってしまった。

2013年6月15日土曜日

ドラキュラのはまりもの

あるコンビニのPBブランドの缶コーヒーが意外にも美味しくて、缶コーヒーが飲みたくなった真夜中には、コンビニを訪ねてこれを買うようになった。

2013年6月13日木曜日

ドラキュラ的生活4

ドラキュラは、孤独です。
 蛍だって群れて飛ぶ。
6月4日のサッカーW杯アジア最終予選対オーストラリア戦は、W杯5大会連続出場のかかった大事な試合だった。なので、大勢で観戦したかった。
これより前のJリーグ20周年記念試合(やはり誤審、Jリーグ20周年記念試合)も1人、テレビ画面に向かい、独り「オフサイド、オフサイド」と叫んでいた。
勝利を分かち合い、喜び合いたいと思ったのだ。
日本代表出場試合の時に大盛況になるビストロが、自宅近くにある。その店では、大画面でサッカーの試合を放映しているのだ。そこに混じろう!とドラキュラは考えた。光線過敏の症状の重いドラキュラは、この初夏の折り、まだ7時には外に出ることはできないが、7時20分には出かけることができるだろう。試合は7時からだ。
日がとっぷりと暮れた、ある晩にそのお店を訪ねてみた。事前の下調べの理由は、大画面が蛍光管かどうかだ。蛍光管なら、アウトだ。ドラキュラは、たちまち発疹ができて、目も傷めてしまう。
 先月は、病院待合室で、蛍光灯をよけて座ったのに、顔が痒い。紫外線が入り込む窓のない、ドラキュラには絶好の空間のはずが、どうしてだろう?慌ててお面を顔に当てた。覆いながら考えた。そう、正面上部に医師ごとに受診待ちの患者数が映されている大画面が、設置してあったのだ。お面を手で持ち続けているのも、くたびれる。居場所のないドラキュラは、うろうろと右に左に往復するしかなかった。サッカー観戦のためのビストロで画面を見ずに、うろうろしても意味がない。LEDであって欲しかった。
 しかし、女性店主の答えは、蛍光管だった。店のドアにニンニクが吊る下がっているようなものだ。
ドラキュラは肩を落として、店に背を向けて歩きだした。オーストラリア戦もまた独りだ。公園で闇夜に揺れるキョウチクトウを見つけて、夏の空気を吸った。
気を取り直して、ドラキュラのオアシス、真夜中も営業してくれているファミレスに行ってあんみつを食べた。ドラキュラはあんみつが大好きだ。
そして6月4日の対オーストラリア戦は、「ハンド、ハンド」と解説の松木さんと一緒に吠えた。
試合終了の瞬間、「わー」っと大歓声がビストロから聞こえてきた。

2013年6月12日水曜日

W杯アジア最終予選最後の対イラク戦、日本なんとか勝利

後半44分、遠藤選手の勝利への意地を見た。(どうした遠藤
ボールをトラップさせた遠藤が、岡崎にパスを出し、岡崎がシュートを決めて、これが決勝点となった。
 試合は序盤から日本のシュートが遠く、後半選手交代の後も流れが日本にこない。イラン側に退場選手などが出てばたついていたが、このままドローだろうと諦めていた時だった。
 しかし、予選最後の試合は、相手を圧倒する強さで勝って欲しかった。
ドーハの地、気温33度、湿度27%、風に砂という状態の中では、動くのに相当消耗するのだろう。ソフトクリームも一瞬にして溶けるであろうから仕方ないか。
おしまいに、セルジオさんは、言った。
「点がとりにくいチームになっているのは、確か」と。

2013年6月7日金曜日

W杯アジア最終予選対オーストラリア戦、ハンドがなかったら

W杯進出に酔っていた朝、テレビ番組で、みのさんがアイスピックで刺すようにズバッと言った。もし、相手選手のハンドがなかったらどうなっていたの?と。何度も言った。それを言ってくれるな、おみのさん。確かに、ハンドがあってPKを獲得して、PKが決まり同点となった。ハンドがなかったら、負けていたかもしれない。この日本の試合後オマーンがイラクに勝ったので、W杯進出となったことには違いはないけれど。 
昨日の会見で、本田選手の言葉は重く、厳しかった。名指しで先輩達に、発破をかける、とも苦言ともとれる発言をした。こちらまでぐさっときた。
世界を知る者の発言だろう。あと1年ブラジルの本大会までに、完成度を高めて欲しいと切に願う。ブラジルで輝け侍ブルー!


2013年6月5日水曜日

祝!サッカー日本代表5大会連続ワールドカップ出場決定

もう昨夜になる、ワールドカップ出場のかかった対オーストラリア戦。後半37分に先制を許した時、呆然とした。日本は、これより前のヨルダン戦は負けているし、つい先日の親善試合では格下のブルガリアにも負けている。今日は、序盤から良い動きで何度となくゴールに迫っていたのに。やはり駄目かと、落胆した。しかし、PKを奪った本田がアディショナルタイムに、ど真ん中に蹴り、同点ゴール決めて、W杯出場を決めた。
 よくわからなかったのは、後半の監督の采配だ。守備も良かったのに、メンバーチェンジでディフェンスをいじった。本田、長友を上げたいのはわかるのだが。失点はそのメンバーチェンジの直後だった。
同点を得て、試合が終了した時に、解説の松木さんが言った。監督の采配ミスを本田が消してくれたと。ご尤もだと思った。
 そして、改めて本田の存在の大きさを痛感した。PKを奪うことができたのも本田の突破からだった。審判のPKの判定に、本田はボールを抱えて迷いなくスポットに向かった。今日の試合の責任は自分が取るという強い意志を感じた。キーパーは今日もファインセーブ連発のベテラン40歳のシュオーツアーだ。本田のキックにW杯の出場がかかったのだ。日本中のサッカーファンが固唾を呑んで見つめている。怯まない本田の姿に胸を打たれた。そして、いつかのように、ど真ん中に蹴り決めた。ほっとした。

2013年6月1日土曜日

私の通院3

一昨日水曜日に東京も梅雨入りした。平年より10日早く、1951年の観測以来3番目に早い梅雨入りだそうだ。
 私の通院は、これから3ヶ月休業となる。安堵と開放感でいっぱいだ。試験が終わって夏休みを迎えるような、胃の痛むやっかいな会議が終わったような、そんな感じだ。お酒が飲めたなら、朝までどんちゃん騒ぎの宴会だ。
休業の理由は、今後、紫外線は、ますます強くなる。光線過敏の症状が重く、通院で紫外線にさらされて、肌や目がダメージを受けるからだ。3年前には、真夏も歯を食いしばり通院したけれど、目がやられてしまい、虹彩炎を起し、眼圧が上がってしまうという事態になってしまった。完全遮光の上着も全く通気性がない為、滝のように汗が吹き出てきて、タクシーの中で、熱さで朦朧としてくる始末だ。5月が限界だ。
 3月は、タオルに保冷剤を4個ばかりくるみ、首に巻き付けて、完全遮光(100%の遮光)の上着を着て出陣 するも、タクシーの冷房はマックスにしてもらいやっとだった。4月は、懲りて、涼感タンクトップと保冷剤作戦で臨んだが、院内で完全遮光上着を着ているのも熱くて辛い。今月は、ついに病院内の着替えを持参した。院内では遮光率97%程度の上着に着替えたのだ。
 紫外線遮光率90%台の遮光上着は多少通気性があるけれど、その分紫外線は入り込んでくるわけで、タクシーの中では全く無意味で、腕やすね、胸が蚊にゲリラ的に刺されたような発疹が出て数日間かゆみで悩まされ、ひどい痕を残すのだ。完全遮光とそうでない物の違いは、病人には大きいのだ。
昨日の通院は、着替えの遮光上着もあって大荷物になった。その他、帰り用の保冷剤を詰めた保冷バック、顔を覆う完全遮光布を貼ったお面、膝、脚に巻き付ける完全遮光布、革の手袋、扇、完全遮光傘を詰めたバッグは、1泊旅行のようだった。幸いだったのは、梅雨入りの恩恵に与り、曇りでタクシー内の熱さがなんとか耐えられるものだったこと。とは言え、上着を脱げば汗でびっしょりだった。もう、うんざりだ、通院は。3ヶ月の休業がなければやってられない。待望の通院休業、万歳!