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2010年12月16日木曜日

医者の品格

「T病院の皮膚科で○○○(病名)と言われたのですが。」と、かかりつけの大学病院のある診療科の有名医師に言った。するとその有名医師は「なに!○○○(病名)だと?素人めが!」素人とは、素人の私のことではない。T病院の医師のことを言ったのである。
 これまでの私の経験では、医師が他の医師の診断や見解と異なることを言う場合、『私はこうだと思う』というように「私」を必ず始めに言われる。それは、暗に『他の見解もあろうけれど』を含ませているように思う。そして言葉のおしまいは「思う」で終わり断定しない。
 あるいは、「○○先生のようなお考えもあるでしょうが」というように一応、相手の医師にも、敬意を払った言葉があったりした。
ところが今回は、医師が他の病院の医師のことを素人と言い、おまけに素人に「め」までつけた。「め」を漢字に当てると「奴」だ。辞書には、人をののしったり、卑しめたりする時に用いるとある。私は、以来その医師の受診をためらっている。

2010年8月9日月曜日

患者心得3

 健康な人に病気の苦労をわかってもらおうとするのは、土台無理な話である。
 4年前サッカーW杯の時、私は重体になってしまった。幸か不幸か、生き返って、数週間して迎えた誕生日に、友人(親友)から携帯にメールが届いた。
『あんこ、お誕生日おめでとう!どこでお祝いしてるのかな♪』と。
 彼女には、入院していることも伝えてある。病名(難病)もずっと以前に伝えてあった。なのにどうしてこんなメールを送ってくるのだろう?文章のおしまいには、ご丁寧に音符までくっついていて、私はがっくりした。
彼女は、カタカナの病名もおいしいスイーツの名前ぐらいにしか、思っていないのだろう。4年前の誕生日から、彼女とのことが、思い出だけになったのだった。

2010年7月15日木曜日

患者心得2

医師に人格者などいない。
腕が良くて、人柄も良い医師に出会うのは、道ばたでダイヤモンドを拾うようなものである。

2010年7月14日水曜日

こんな医者2

 余命を知らせていなかった患者に、いきなり「今度の誕生日まで、もたねぇな!」と吐き捨てるように言う医者がいる。その誕生日は、丁度3ヶ月後の10月だ。

2010年1月18日月曜日

となりの患者3

 これまた正確には、となりのとなりの患者だった。80歳を少し過ぎた感じの老婆が入院してきた。病室は、3人部屋でベッドは2床空いたので、一つベッドを隔てて私と老婆は両端になった。
 老婆は夜更かしだった。11時半にやっとテレビを消したかと思ったら、まもなく、ぼそぼそと声が聞こえてきた。空耳かと思ったそれは、お経だった。
 そっとカーテンを指で開けると、老婆はベッドの上に座っていた。老婆もカーテンを閉めているが、ベッドの灯りで、シルエットが映っているのだ。お経は、10分程度唱えられ、終わると直ちに、「ゴー、ゴー」と猛獣の鳴き声のようなイビキが鳴りやむことなく続いた。
 その後も、お経は、連日連夜続いた。お経を唱え終わると、疲労と満足感でいっぱいいっぱいになるのか、老婆は、ばさーっと倒れ込むように眠り、高いイビキが始まる。0時近くに始まるお経といい、80歳の高齢者のイビキとは思えない猛獣のようなイビキといい私には大迷惑だった。
 老婆の手術が明日に迫った晩は、すさまじかった。お経が始まったかと思うと、ギシギシとベッドのきしむ音が同時にしている。私は、怒りと怖い物見たさから、思わず目の前に垂れるカーテンを指でそっとよけて老婆の方を見た。「ナンマンダー、ナンマンダー、ナンマンダー」繰り返されて、お経も佳境を迎えたようだった。ベッドの灯りでオレンジ色に染まったカーテンに映る老婆の上半身は、上下に激しく揺れている。それと一緒にベッドも揺れている。一心不乱にお経を唱える老婆は、さながら祈祷師だ。
 その日のお経は、いつもより15分の延長戦となった。そして翌日の手術は無事すんだのだった。従って、お経を止めるはずもなく、それどころか、一層気合いが入って、その後もお経といびきは、続いたのだった。