「私ごとですが、今日が最後の日となりました。」
通うファーストフード店のカウンターで、カフェラテを前にそう言われた。
清流のごとく澄んだ心、優しさ溢れる桜草さんの言葉に、
唖然となった一瞬にも、サングラスの裏側から涙がつーっと流れてしまった。
学生さんであったのが、就職するということかと力なく尋ねると、桜草さんはこくりと頷いた。
桜草さんには、かれこれ5年もお世話になっていた。
小銭入れに入っていた、小さな金色の招き猫を落として、取り置いてくれたのも桜草さんだった。
2月のおしまいには、突然姿を見せなくなった羊のお婆さんの話をしたばかりだった。羊のお婆さんは、カートにいっぱい本を詰め込んでやってきて、背もたれのない丸い高い椅子に座って読書をしているロングスカートのご婦人だ。姿を見せなくなって、2週間が過ぎたところで、桜草さんに尋ねると、スタッフもみんな心配しているのだと。
お別れはまだ先だと思っていた私は、
蚊の鳴くような声で「健康に気をつけて、ご活躍をお祈りします。」というのがやっとだった。門出を迎えるという若人に、明るく力強く送り出せない私だった。
身体の力が抜け落ちるのが顕だったのか、 桜草さんはみんながいますからと、他のスタッフを見やって、柔らかな手を添えて示した。
私は小さく小さくなっていって、下を向いて「これからもお世話になります」と言い、スタッフが口々によろしくお願いしますと言ってくれる姿は涙で滲んでよく見えなかった。
テーブルに東京新聞は置いたままに、カフェラテを一気に飲み干すと、
涙がどんどん流れ出して、止まらなくなってしまった。
帰り際に、私がいますから、僕たちがいますからと慰められて、よろよろとお店を後にしました。
曇る弥生の夜空は、薄紫色でした。
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