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2017年12月20日水曜日

カフェにて



 先週、山手線のある駅前のカフェに入った。
一年のうちに、ほんの数回入るお店だ。
サイフォンで一杯一杯丁寧にコーヒーが入れられる。
店内もゆっくりくつろげるので結構気に入っているのだ。


珈琲茶館 集と言うカフェだ。
喫茶マイアミを展開していたところが、経営している。
昨年の今頃は、向かい会って熱心に年賀状を書き続ける男女がいた。
2人は、プリントアウトされた年賀状を持参していた。
なのになぜか男は、30本以上のペンをジャーっとテーブルに置いた。
色が違うのだろうか?
年賀状には写真がプリントされているけれど、さらにイラストでも書くつもりなのだろうかと私は、横目で見ていた。
2人は、誰にどう書こうかと時折話していた。
ある時、女が突然「アンタ、馬鹿じゃないの。なんでこんなにペンを持ってきたのよ。意味ないじゃん。」と言い放った。
私もそう思っていた。
男は、下を向いただけだった。
そんなことを思い出して、入った。
小学生の子供と母親が向かい合っているテーブルの隣に座った。
時刻は午後7時だった。
受験勉強も佳境に入り、塾に迎えに行った母と、朝からみっちり勉強をした女の子だなと思った。
グルテンフリーの掟を破り、ケーキを食べるつもりだった。
真剣に、ケーキを選んだけれど、狙ったケーキはいずれも売り切れだった。
夜のカフェによくあることだけれど、がっくりして、スタンダードなショートケーキを食べた。
ケーキも高いだけのことはあって、美味しかった。
ケーキを食べ終えて、ようやく隣の2人の様子が目に入った。
すると、親子は、受験の話ではなくアルバイトの話をしていた。
よく見ると、小学生の女の子は、幼児語を話す成人女性だったのだ。
なんとも説明のしようもないけれど、甘ったるい声で、喋り方が幼女なのだ。
向かい合うもう1人の母親と思った女性は、幼児語使いより、1歳か2歳年上かもしれない。
しかし、大学生同士のようだった。
幼児語使いの女は、そこそこ可愛かった。
それを女自身も意識している。
「でも、そこそこよ。」と28歳の私は、 言ってやりたいぐらい、幼児語が鼻についた。
 
2人は、これから夕食をどこで食べるか、話し始めた。
2人の話は堂々巡りだった。
イタリアン、ラーメン、油そば、それらの選択肢を言葉にするだけで、決定できないのだ。
2人はランチも共にしていたようで、それはカレーだったから、カレーを止めることは、確認しあっていた。
結局、油そばで決着がついてカフェを出て行った。


2人の後に、7人の高齢者、女5人、男2人が入って来て、
オーダーで大騒動になっているのを見て、私はカフェを出た。
集には、ブレンドコーヒーはメニーにないのだ。
けれど、ブレンド、ブレンドと言い続ける爺、薬を飲むから、
水とケーキだけでいいと言う婆、ご飯が食べたいと言う婆婆もいた。


 帰宅後、夜明け前の真っ暗な、浴室の湯船に浸かって、
幼児語を喋ってみた。
ちょっとは可愛く見えるかもしれないと思ったのだ。
でも、どうにも喋れなかった。
同じ日本語だから、喋ろうと思えばできると思ったのだけれど。
しかし、カフェにいた女子大生は、それこそ母親になっても、40歳になっても、入れ歯の80歳になっても幼児語を続けるのだろうかと疑問に思った。


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