東京新聞5月23日 |
22日、袴田さんの再審で検察は「死刑を求刑」した。
袴田さんは人生を奪われ、心も奪われ、妄想の中でしか生きられなくなってしまっている。47年もの長い間収監され、明日が死刑執行かと怯え続ける中で心が蝕まれてしまったのだ。
2014年3月に静岡地裁が再審を認めるも、検察が抗告し、再審が開始したのは昨年3月21日。再審が開始されるまでに9年もの歳月が流れたのだ。
東京新聞5月23日 |
法廷では、弟の袴田巌さん(88歳)に代わってまた姉のひで子さん(91歳)が最後の無実の訴えを行った。
ひで子さんは、獄中で母親が亡くなっていることを知らずにいた袴田巌さんが母親に宛てた手紙を読み上げたという。東京新聞に掲載された全文は、涙なくしては読みきれなかった。
まだ幼子の子息を思うのだろう、「息子よ、おまえはまだ小さい、分かってくれるか。チャンの気持ちを、もちろん分かりはしないだろう、分からないと知りつつ声の限り叫びたい衝動に駆られてならない・・・」「今朝方、母さんの夢を見ました。夢のように元気でおられたらうれしいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね。」
東京新聞5月23日 |
記者会見で、弁護団のお一人の弁護士が、捏造のオンパレードと言った。本当に、常識では考えられないストーリーに、不自然な証拠品の数々。
決定的で、知られているのは、1966年の事件(1家4人強盗殺人事件)後、1年2ヶ月も経ってから味噌タンクから見つかったという5点の犯行時の衣類とされる物。
○ズボンのサイズが小さ過ぎて袴田さんが履くことができなかったこと。ズボンの裏地の記しBはbold太めのサイズ表示だと検察は主張するも、実はメーカーによれば色の表示であった。○ステテコの方がズボンより血痕が広範に鮮明に付いていること。○1年以上味噌に浸かっていたにもかかわらず血痕が赤いこと。実験では黒くなった。
その他、ほんの一例を挙げると、
検察は、犯人は1人で被害者家族4人が寝静まった深夜1時過ぎに侵入し強盗殺人を犯したとする。しかし、被害者(長男)はワイシャツを着て、ワイシャツのポケットにはシャーペンも刺してあり、被害者(妻)も金属バンドの腕時計に石付きの指輪をして、被害者(二女)も普段着で、被害者(夫)も金属バンドの腕時計をしていたという。入浴後に、腕時計をして石の付いた指輪をはめて就眠するだろうか。
しかも、印鑑と通帳さえあれば銀行で現金が引き出せた時代に多額の預金通帳や印鑑もそのまま、株券、貴金属もタンスに残ったままだった。
くり小刀で刺されたという傷は、二女は左肋骨を切離して肺を貫通、心臓の左心室を貫通した傷は胸椎左側に達している。これは刃体部分13センチのくり小刀ではできないことが二女と似た年齢、体型の女性のCT画像で実証されているという。
被害者4人で大小40箇所の傷を袴田さん1人で負わせて殺害することが、実行可能だろうか。
被害者の夫は柔道2段、長男も中学3年生ながら177センチの大柄であったという。
5点の衣類の発見直後の証拠(カラーネガフィルム93枚)が開示されたのが2014年のこと。
検察に不利となる証拠は開示しなくてもよいという、歪んだ司法制度、再審に抗告がなされ再審開始さえも事実上検察が阻むことができる。それゆえいつまでも袴田さんは死刑囚だ。
記者会見で、弁護団のお一人が、「検察も組織と言うけれど、1人1人の検察官が独立した全ての権限を持っている。だから無罪を主張する権限を検察官の1人1人が持っている。3人のうち1人でも無罪といえば、有効な主張なのだ。」と。
3人の検察官、3人ともに人の血が通っていないと言うことだ。
袴田さんの冤罪ご理解と、拡散をお願いします。
結審控え 56年前に静岡地裁で死刑判決を下した元裁判官の異例の訴えに改めて迫る (7分のYouTube動画です)
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