8月9日の原爆の日、長崎市が開く平和祈念式典にイスラエルを招かないなら、出てやらないと、原爆を投下した米国駐日大使が言い、我も我もとG7とEU大使らも出てやらないと言って、わざわざ文書に記して長崎市に送っていたという。
上等じゃないか。
と思ったけれど、8日の東京新聞に載った被爆者の声「核政策に影響力を持つ米国の駐日トップに、被爆地の悲惨な状況を見てもらう機会がなくなるのは残念だ」や、
東京新聞8月10日 |
川崎さんの発言にあるように、G7やEUからの書簡を受け取っても判断を変えなかった鈴木長崎市長は、イスラエルを招かない理由を、政治的理由ではなく不測の事態発生リスクとしている。
広島市でもロシアとベラルーシを式典に招待していないけれど、それはどうしていつからなのか?
東京新聞8月10日 |
もやっとした思いが続く中で、昨夜配信されたデモクラシータイムスウイークエンドニュースでは、
今回の長崎の平和祈念式典のG7大使欠席問題で、米国駐日大使らが、イスラエルを招待しないことにものを言うというのは内政干渉だと五野井郁夫さんが指摘し、岸田首相が内政干渉だと押し返しても良かったのではないかと発言した。
そもそも主催者が長崎市で、どの国を招待するかは長崎が決めること。原爆で一瞬に命を落としたのは長崎の人々で、被曝して傷めた身体で痛みと不自由と、発症する病への不安、差別の中で生きなければならないのは、被曝した人々なのに、その原爆を投下した国、核を保有することを良しとする国々がやいのやいのと言ってきて、おかしかろう。核爆弾投下の反省もなければ、自衛のためと言って虐殺を今もそろって認めているのだ。
先の戦争で日本も加害国であることも忘れてはならないけれど、火球の中心温度が摂氏100万度を超え、爆心地の地表が3000度から4000度に達する原爆で一瞬のうちに、無惨に命を落としたのは無辜の市民だ。
そしてガザでは昨日も学校が空爆されて100人以上が死亡したことが伝えられた。8月に入ってガザ市民が避難する学校が空爆されたのは、1日に1箇所、3日に2箇所、4日に2箇所、8日に2箇所、そして昨日だ。
東京新聞8月10日 |
本音のコラムの中で、文筆家の師岡カリーマさんが、「原爆投下は必要だった」という米国の主張は正しくないが、人類史上初めて原爆が使われた広島の惨状を見た後で、長崎にも投下した行為は、人を人とも思わぬ蛮行だった。いまだ謝罪しない米国政府は長崎に説教する資格はない。傲慢な三枚舌外交でパレスチナ問題の種を蒔いた英国も同様だ。と綴っている。
広島の惨状を見て知りながら、さらに長崎に、なのだ。
ブログ中、ご紹介した動画を視聴するなどして、どうかこの問題を一緒に考えてください。
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