頭まで布団を被って悲しみをこらえていた。
悲しいことが重なって、寂しくていられない日が続いている。
悲しみの一つ、いすゞのお引越しの日をついに迎えてしまった。
私などは言わばよそ者で、この地に住まうようになったのは20代の半ばだ。
生まれ育ち、今もこの地で暮らす人はもっと寂しさを募らせているだろう。
いすゞのお引越しは、ゴールデンウィークの間と囁かれていたけれど、その前のつつじが燃えるように美しい時から始まっていた。
何千人の人々が働いていたのだろう。
コカコーラの自販機が10台近くトラックに積み込まれているのも目にした。
お引越しの事業者も1社ではなかった。
掛け声とともに、荷が積まれる光景も寂しくて目で追うこともできなかった。
それでも駐車場にエルフが一列に並んで、荷物の運び入れが行われている時はまだ良かった。
昨夜はもうトラックの姿もなく、そこには雨に打たれたつつじが落ちていただけだった。
昨夜、冷たい雨と強風がようやく止んだ9時半に重い身体を起こして 駅に向かった。駅改札口には、いすゞ移転の横断幕が掛けられたと言うので撮影に出たのだ。
10度の気温は身体と心を冷やし、
深い夜に3年ぶりに灯りが灯る居酒屋の暖簾が風で揺れるのを見ても、もういすゞの人が居酒屋に立ち寄ることもなくなるのだなと思った。
駅改札口の横断幕は、エルフのように大きな迫力あるものかと思ったら、そうでもなかった。
それでも最初にシャッターを押したその瞬間に、涙が溢れてきてしまった。
撮り終えると、決まったように心の中で馬鹿野郎と叫んでいた。
なんでこう言う時に、馬鹿野郎が心の中で木霊するのだろうな。
真夜中に残業している人がいるのであろう、ビルの灯りを見て嬉しかったこと。
夜食を買いにコンビニに出て行く人の姿もあったりした。
一昨夜は、ジェミニやアスカのことをふいに思い出した。
いつだったか、ビル駐車場にアスカを見つけて、まだ走っているのだなと思った。それが10年ぐらい前だったろうか。
お引越しのトラックはいすゞのトラックだったけれど、終盤に日野のもあった。
けれど、調べると日野自動車は元はいすゞ自動車の前身から別れたようだ。
こちらいすゞ自動車の歴史と沿革をご覧ください。
いすゞの移転先はMM21だ。
なんだか私も横浜に帰りたくなってしまいましたよ。
いすゞのますますのご発展を心よりお祈り致します。
いつまでも、どこまでも創業の地を忘れないでいてください。
ベルクレール 2021年6月29日撮影 |
関連ブログ いすゞ移転に涙
2 件のコメント:
叔父がいすゞに勤めていたこともあり、我が家は親父がずっといすゞを乗り続けていました。ジェミニ、アスカ、ビッグホーン。。。親父が車を買い替えるたびに、私にはそのお下がりが与えられました。おかげで、いすゞの車には、沢山の思い出があります。いすゞが普通乗用車生産から撤退してしまって久しいですが、今でもたまーにアスカやビッグホーンが街中を走っているのを見かけるたびに、亡き親父を思い出します。
匿名さん
コメント有難うございます。
街中を走るアスカやビッグホーンを見かけることがありますか!
亡くなった父上様の運転する姿なども思い出されるのでしょう。
車は人とその人の人生を乗せて走るものですから。
叔父様がいすゞマンだったとのことですが、私の高校同級生の父上様も
いすゞマンだったそうです。
まさに日本経済を牽引している自動車産業は、その就労者数も全就労者の1割に及ぶので身近にいすゞ社員や関連会社の人がいても不思議ではないわけですね。
5月1日のブログでは、ジェミニの写真を掲載しました。是非ご覧ください。
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