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2019年12月27日金曜日

いすゞ移転に涙



 旧年は良いけれど、さる年となる去年は年賀状に使ってはいけませんと朝の情報番組でやっていた。
この頃とみに喪失感に苛まれている私は、こんな話にも敏感になって、肌をヤスリで撫でられた気分になった。


地元のいすゞ自動車が創業のこの地を移転すると言う。
つまり去るのだ。
ずっとあり続けると思っていた老舗企業の移転報道が心底撤回されないかと思うほどショックだった。
調べれば創業は1916年というから100年以上の歴史がある。
移転先は横浜、MM21だ。
横浜は故郷だけれど、もう東京暮らしの方が長くなった私にとっては、悲しく寂しい。

街から企業が消えるってこんなにも寂しいものか。
ぽかんと日野自動車のことが浮かんできた。
でも日野自動車は日野市から工場だけが移転するのであって、本社は変わらず日野市だ。


私は、いすゞのエルフに乗って高速道路をビュンビュン走っていたわけではないけれど、
健康だった時、高い塀が長い間、いすゞの新社屋建設工事を覆っていた。
塀には、工事車両が出入りするいくつものゲートがあった。
そうして完成したビルディングは、当時ため息が出るほどゴージャスだった。
10年以上前だったろうか、既に闘病の身となっていた私を、病院まで運んでくれたタクシーの運転手さんが、昔むかし、いすゞの社員だったと言うのだった。
その運転手さんが言うには、工場でずっと働いていて、本社というのを一度も見たことがなかった。ある時、健康診断で本社に行くことになって、本社を初めて見て驚いた、これが自分の働く会社の本社かと。
あまりにもおんぼろで、塀はトタンで、バラックだったと。
そして「それがやっと立派な建物が建ったよ。」と。


駅改札近くではいすゞのトラックの歌が流れていたこともあった。
会社近くのコンビニでは、いすゞのトラックの図鑑が売られていることもあった。
いすゞのトラックの歌を聴いて涙する年の瀬となりました。
歌 KAZCO
歌詞 ツカダマコト
曲  奥居史生

ドアを開けたら冷たい空気 白い息広がった
ポケットの中 凍える手 昨日の星に さようなら
さぁ 走りだそう 夜明けの街に 朝がはじまる 朝がはじまる
いつまでも いつまでも 走れ走れ いすゞのトラック
どこまでも どこまでも 走れ走れ いすゞのトラック



 朝の街を、私は走ることはできないけれど、
今は、お引越しのその日にこっそりトラックに乗ってくっ付いて行きたい心境だ。
お引越しは2022年春を予定しているそうだ。
荷物はやっぱりいすゞのトラック で運ぶのかしら。

 今日の東京の最高気温は15度、最低気温は6度、晴れ時々曇りの予報です。
今日が仕事納めの方が多いでしょうか。
お疲れ様でした。

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