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2014年1月19日日曜日

有楽町界隈









今夜は気合いが足りず、出発が真っ暗になって30分以上も過ぎた6時15分となってしまった。
目的は、2つの穴が間もなく空きそうな手袋の購入だ。気合いがない、理由も2つ。
一つは、財政が逼迫していること、二つ目は、通院の日の木曜から喘息が始まっていることだ。財政危機の原因究明を急がなければと思いながら、明白な気がしていて、あやふやにしている。
湿気た百貨店の商品券を探し出して、バッグに詰め込んだ。
喘息対応は、 普段のマスクを、3日前から烏天狗のようなPM2•5対応のマスクに替えた。しかし、今宵は烏天狗は、やはり恥ずかしいので普通のマスクにした。
 三ヶ月間の、痛みを伴う足の指のタコはもう永遠に不滅かと、諦めていたけれど、数日前に何故か突然収束 して、ステッキ片手に心とは裏腹にステップは軽やかだ。土曜夜6時を過ぎた昇り電車はラクに座ることができた。








「新橋、新橋」と聞こえて、思わずはっとする、降りなくちゃ。
おやじ達と混じって昇降を繰り返した新橋には、私の青春と健康があった。
有楽町で下車すると、ブロッコリーのような緑のイルミネーションに、すっかり財政難のことは忘れて、心が躍った。
有楽町と言えば、今月3日に駅に隣接するパチンコ屋の火災で、Uターンラッシュの中、新幹線が106本運休し、238本が遅れ、京浜東北線、山手線、東海道線も125本が運休し、240本の電車が遅れるという大事態になった後だ。

しかし、私の目的は火災現場の検証ではない。今にも穴の空きそうな手袋を替えるべく新しいのを買うことだ。
かつて、今の手袋を購入した先、よく宝くじが当たると言われている西銀座デパートをちらと見るも、ショップはすっかり様変わりしていた。
次なる行き先は、プランタン銀座だ。
プランタンは、ダイエーが鳴り物入りで華々しく開業した(らしい)。しかし、今はどこが経営しているのやら、百貨店商品券は果たして使えるのだろうか?下調べもしなかった。どうやら今は、土地建物の所有者である読売新聞社が経営しているようだ。かつては、この有楽町にはそごうもあった(らしい)。
 プランタンには、ファーや手袋など小物が溢れるようにあった。そうだ!昔から小物は、充実していたな、と思い出した。今回はお江戸の百貨店で、ここもお江戸だけど、思う手袋が、なかったので流れ着いて、それじゃ有楽町となったわけだ。
 なんせショッピングは6年もの永きに渡りブランクがあって、その間の社会環境の変化とともに百貨店の方向性も、何もかもが変わっている。ショッピングなんて、病気が重くて、夢のまた夢だった。入退院を繰り返した後は、股関節のトラブルで狭い自宅のトイレまでの歩行もままならず、化粧品も良人が買い歩くという有様だった。今は重い光線過敏の症状で夜しか外出できないけれど、自らの足で歩いて、夜だけでもショッピングができることが、例えようのない喜びだ。
いくつかの手袋をピックアップして、お客のいないワゴンに広げて、かたっぱしからはめてみた。犬が余る餌を裏庭に掘って仕舞うように、他の誰かに買ってしまわれないようにまずは、「囲う」のだ。かつてのやり方が蘇って来た。迷って二つ買ってしまおうかとも思ったけれど、財政状況を鑑みて一つに留めた。おまに、百貨店の商品券を使うことができた。
 次にプランタンのマルシェで、思いがけず座布団カバーを買うことができた。
今やクッションカバーは数々あれど、座布団カバーなるものは、なかなか売っていないのだ。 この露天のマルシェは昔から、ちょっといいものがあった。





感慨無量で空腹を感じないけれど、何かお腹に入れなくては!プランタンを後にした。つづく

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