新春の光降り注ぐ中の通院となった、昨日。
一昨日は雪の予報で、どんよりとした空だったそうなのだが。
光線過敏の症状が重い私には、「今日は日差しが戻ってきます。」という天気アナウンスが、耳障りで実にうっとおしい。
出発前の7時になってなお、学生時代のように「さぼれない」ものかと往生際悪くあれこれ考えた。
学生時代は授業をさぼって、ゆとり教育のカリキュラムを自ら勝手に作ったようなものだ。結果、今になってテレビで高校日本史や世界史を見ている。
通院をエスケープするとどうなるのか?やはり自分に返ってくる。足りなくなった薬を誰が取りに行ってくれようか?
先ず、委任状を作成しなければならない。そして、いま時「タダ」で薬を取りに行ってくれる人などいない。お世話になっているNPO 法人に料金を支払ってお願いするしかない。交通費も含めてざっと3千円はかかるだろう。
しかし、今回だけは、案ずるより産むが易しだった。光線過敏の症状が始まってからの通院は5年半余、ざっと40回を迎えたろうか。初めての、通院ベストパフォーマンスだった。見事なまでに、無難に通院を終えることができたのだ。
第一の要因は、やはり「冬」によるところが大だ。一番辛いのは、完全遮光の防御服を着てのタクシー内の熱さだから。そして寒さのせいか通院患者が少なく、スムーズに受診をこなせたので太陽が昇りつめる前に帰途につけたからだ。
迎えのタクシーは、自宅前に病院の方向を向いてぴったりと付けてくれた。これがなかなか、無線局にお願いしても実際は、うまく行かないのだ。離れたところで待たれたり、反対を向いていたり。運転手さんに聞けば、やはり「4年前にも一度迎えに来ています。」とのことだった。4年前は既に光線過敏の症状が始まっていたので運転手さんは、この光ダメダメ人間をご存知だったのだ。
道は、いつくもの信号で止まることもなく、あっという間に病院に到着。受診機が作動する前の7時50分に到着し太陽光を1番避けられる列に並んだ。全体的にも患者の数が少ないような気がした。最初の受診科の眼科の受付では、担当医の1番となった。おかげで、次の皮膚科も、いつもより30分早く受診できた。帰途のタクシーも、半年ぶりに再会できた親切なボランティアさんが、早くから私の姿を見つけてくれていたようで、お願いする前に寒い中、タクシーを呼びに出かけてくれた。帰途のタクシーでは、冷房を入れていただいたので、汗まみれになることもなく、従って、帰宅後シャワーを浴びることもなく、完全遮光の防御服を洗い流す必要もなく、病院地下売店で購入した、パンやおにぎりを次から次へと腹に納めて眠りについた。
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