置地廣場 |
それは10ヶ月ぶりの偶然であった。
人が激しく行き交う駅の改札近くで、小竹さんを見つけた。
小竹さんは、私が勝手に心の中でつけた名前であって、
本名ではない。
名前も知らなければ、住まいも、連絡先も知らないものだから、
私と小竹さんの出会いはいつも偶然なのだ。
小さな老女である小竹さんを、小竹さんと呼んだところで、振り返るわけもない。仕方なしに、すれ違い際の小竹さんの腕を私はぽんぽんと軽く叩いた。 本来コロナウイルス が流行る中でいけないのだろう。
私を見て驚いたふうな小竹さんは、私を随分と探し回ったと言う。私が行きつけていたチェーンのお蕎麦屋まで行って、私の来店があるかどうか尋ねて、来ていないと言われたとも言った。
小竹さんのりんごほどの小さな顔に、ふわっとのっかたような大きなマスクが、少しずつ下がって行って、小さな鼻が露わになった。
薄っぺらな不織布のマスクは、ウイルスをいらっしゃいと容易に招くであろうし、ウイルスは勝手気ままに踊り出るであろう。
要するに意味がないようなマスクとなっているのだった。
心底小竹さんを心配した私の方も、実はある人に消息を尋ねて元気そうでいることを教えられて安堵していたのであった。
ある人とは、毎日電車に乗って施設で暮らす家族の面会に出かける小竹さんが、買い物の途中で疲れてスーパーマーケットのサービスカウンターの椅子に座ることを許していたスタッフだ。
個人情報に当たるからどうかと思ったけれど、名前すら知らないから個人情報になりようもなかったのだ。
座敷わらしのような老女とは言わないまでも小さなお婆さんをお見かけしないので案じていると伝えると、そのスタッフは、昼間、たまに見かけると言うことだった。でも本当にたまにだと。
それを聞いた私は、ほっとすると同時に、小竹さんがコロナウイルスを相当に警戒して外出を控えているのだなと思っていた。
ところが、この10ヶ月の間に小竹さんにはいろいろなことがあったと知った。
1月に施設で暮らす家族を亡くしたこと、そしてその直後に、自らの体に異変を感じたら、ひどい貧血と肺に水が溜まっていることがわかったと言う。直ぐに入院を勧められたけれど、亡くなった家族の様々な手続きのために、そうはできず、通院を今も続けていると言う。
亡くなった肉親の世話は、小竹さんがずっと1人でしていたのだ。
街の人は、いわゆる老老介護、母親の介護と思っていたであろう。私もそう思っていた。小さな小竹さんが大きな車椅子を押して、街を歩き、買い物をしたり、マックでは、小竹さんが、小竹さんより大きな老女を支えて椅子に座らせたりしている姿を何年もずっと見ていた。
丁度2年くらい前であったか、小竹さんが1人でいるようになったのは。
それが私が小竹さんに声をかけたきっかけだったのだ。
小竹さんを最後に見たのは、今年の2月だったので、肉親を亡くした直後だったのだ。
歯医者へ急ぐ私に、何か言いたそうにしていたのは、そのことだったのかもしれない。
そしてまた、今度の偶然もクリーニング屋さんの閉店時間に急ぐ時であったので
私は「くれぐれもお大事に、コロナには気をつけて」と言いながら、再び人の波の中に飛び込むように入って行った。
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