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2020年12月6日日曜日

誰かの親切が

                  伊藤園


夜道を小走りで進むと、
手指を氷水に浸けているように冷たくなった。
電車の中は、ガラガラだったっものの、ドラキュラである私は照明が強くて焦った。
車両の端が、車壁でかろうじて照明が途切れていることに気がついて、腰を下ろして、光から手を守るために手袋をはめた。
身体は光から守るために革のコートを羽織っている。
ドラキュラは、夜とて移動が容易ではないのだ。
                                                  Loft

 
とある駅で、人と落ち合うことになった。
初めて降りる駅で、先方は既に待っていた。
コロナ禍にあって、用事は改札口でほんの5分程度だった。
その間に先方のK子さんが「飾りが片方ない!」と私のパンプスを指した。
それは、随分と昔のパンプスだけれど、私は酷く落胆した。
私の落胆の理由は、飾りを取れたことにも気が付かずに歩いた愚鈍な己が許せないことが一番だ。
その次に、 このコロナ禍にあって、おいそれと靴を買いに遠出でもできないからだ。
それと、出費が痛いことだ。つい一昨日には、牛男の部屋となっている所の照明が点かなくなってしまった。照明器具を買い換えねばならない。

 
 「さようなら」と振った手を下ろした時、来た道を忠実にたどることを私は心に誓った。
かつて落とした片方の手袋がちゃんと手元に戻ったこと、かつて落としたカメラの小さな部品も見つけ出したことなどを思い出して、折れそうな心をなんとか保った。
念のためと、出発駅の行きのホームも探してみようと、再びのエスカレーターに乗ってみた。降りる時にちょっと脇に目をやると光るまあるいものを見つけた。
アルコールで湿らせたティッシュでそっと拾って見ると、まあるいゴールドの網目に黒い革の紐が綺麗に編み込まれている。
信じられないような思いで、私はぼんやりとそれを見つめた。
 バブリーな時代のパンプスの飾りは、まるでブローチのようだ。おまけに接着剤ではなくナイロン糸で革の台に縫うように付けられたものだ。
正気に戻って、自分の足元の花を無くした台を改めて見つめた。
ありがとう。
誰かが、エスカレーターで見つけて、踏まれないように隅に置いてくれたのだ。
ありがとう。
K子さんが教えてくれなければ、気が付かずに自宅に帰って、その時には入場券を買ってまで駅のホームには行かなかっただろう。
靴の飾りが見つからなかったその時の、自らの落胆を想像すると怖い。
たかが、靴の飾りが、地球上で一番ついていない、私になるに違いないから。
最近、アレもイかれたこれもイかれた、ついていないな。
だいたい、なんでこんな奇病になるんだ、ついてないったらありゃしない。
暗黒の、ブラックホールに自ら落ちて行くのが見えるようだ。
でも、落とした手袋も、青の洞窟の大勢の人の中でボランティアの警備の人が拾ってくれていた。 
そういう誰かの親切が飛び石連休のようにあって、私は生きる勇気を繋ぐことができている。

 

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