疲れたなと思う時、私は病気のせいにしている。
20分働いて、薄い灯りを消して30分横になる。
そうして次の20分働く。
調子が良い時はこう言う感じで暮らす。
こんなふうに暮らせない日もいっぱいあるけれど、
昨夜の明る過ぎるドラッグストアが障ったなと考えて、自称28歳は曲げないで生きている。
それでも時々、ぞっとすることがある。
もしかして、私は年をとったのかと。
昨年、行政に苦情の電話を入れた時のこと。
初めて接する部署だけれど、一応「お世話になっています。」と私は最初に言った。
電話の向こうの職員は、一切何も言わなかった。
最初が こうだから先は知れたもので、こちらの話には一切聞く耳を持たない態度だった。職員の声はすこぶる若い。察するところ、区に入職して2年経つかどうかと言う感じだ。
聞く耳すらないから、話は解決に向かわない。
こう言うこともストレスで身体に障るので取り敢えず私は電話を切った。
電話を切って思った。
知らない区の職員にお世話になっていますと言って、知らない区の職員が「ああ、お世話してやってるよ。」と言わなかっただけマシだなと。
こう考えた時、私はもしかして歳をとったのか?
えっ、と思った。
年初に帰省した牛男さんが、義母から和菓子の箱を持たされて帰った。
木箱に入っていたのは、甘納豆だった。
賞味期限が迫って、箱を開けて食べてみたら美味しかった。
大納言しぼりなどは、一晩中食べていたいような気がした。
私は、甘納豆は「おばあさまの食べ物」だと思っていた。
思い返すと母は若い時分から甘納豆が好物で、お雛あられも甘納豆だけを食べていた。
私は、まあるく膨らんだあられが好きだったので、うまい具合だった。
それでも私は、甘納豆を食べる大人にならないと決めていた。
今、甘納豆が美味い。やっぱり歳をとったのだろうか。
この度、いただいたのは創業1951年の銀座鈴屋の甘納豆でした。
住まう地にも、甘納豆屋さんがあったけれど、4年前に閉店してしまった。遠方からも買いにくる人がいると聞いていた。こちらは創業1927年(昭和2年)だった。お団子や最中は食したけれど、肝心の甘納豆を食べず仕舞いだった。今になって惜しんでいる。
こちらの可愛い最中の写真は、新春早々にS子さんから送られてきた写真です。
調べたところ、横浜元町香炉庵の花元町という一口最中のようです。
香炉庵という店舗名に聞き覚えがなく、小洒落た店の名はおそらく老舗ではなく新しい和菓子屋さんだなと私は推測した。
やはりの2016年創業の若いお店だった。
花元町は、港の浮き玉を、鈴最中は東京駅の銀の鈴を表して、横浜土産に、東京土産にという売込みだ。
なんだか、私のこの書き方も自分で書いていやらしいと思う。
若いお店かと思った時にどこかしらけている感じが私の中にあるのだ。
やはり、私は歳をとったのではないだろうか?
老舗に価値があるように、和菓子を絶やさずつないで行く若いお店にも価値があるのだ。
老舗に価値があるように、和菓子を絶やさずつないで行く若いお店にも価値があるのだ。
今夜は歳の数だけ甘納豆を食べよう。
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