置地廣場 |
私は、小竹さんの小さな肩の左をぽんぽんと叩いた。
小竹さんは見上げて「あつ」と言って微笑んだ。
夜の9時は小竹さんがスーパーマーケットに挑む時間なのだ。
それより前、ヨドバシカメラからの帰途、「スーパーマーケットには小竹さんがいるかもしれない。」と私は良人に言った。すると、良人は、「帰る」とだけ言って先に行ってしまっていた。
小竹さんは、とても小さいので対面しているようであって、
実は対面していないのだ。
小竹さんの視線は、私のお腹のやや上ぐらいなのだ。
「小竹さん!」と言ったって、本当の名前が小竹さんではないであろうから、小竹さんが顔を上げるわけもないのだ。
だから、今のところ私は、小竹さんの肩を叩くしかないのだ。
先週、私は小竹さんにつれなくした。
午後の9時近くの駅ビルのお惣菜店の前で、
多くの人に混じって、小竹さんは値引き商品の争奪戦に挑んでいた。
小さな老女の小竹さんは、大勢の人の中でも弾き飛ばされることもなく、見事な戦いっぷりをしていた。
商品を見極めて、棚に戻したり、手を伸ばしたりを繰り返していた。
そんな小竹さんの小さな背中の右を私は掴むように叩いた。
振り向いた小竹さんが、誇らしげに、安くなった春巻きのパックを見せてくれた。そして「行く?」と私に尋ねてきた。
行く先は、他でもないカフェに決まっている。
けれど、私は翌日が通院だからと断ったのだった。
6時前に真っ暗になるものだから、私は一度外に出ることにしている。
それは心の健康を保つためだ。
窓を塞いだ閉鎖空間に15時間以上居るのは、どうにも辛いのだ。そして向かう先はマックだ。
吹き抜けの天井の先は瞬く星の夜空に届きそうなぐらい高くて、
頭上にはライトがない。今更ながらに、私には絶好の空間だと気が付いたのだ。
そんなロケーションのマックで、私は、小竹さんのことをしばし考えている。それは、クレーマー師範の小竹さんのマックの不届き話の第一話だ。
それは、コーヒーの量だと言う。
私は、いつも蓋をしたまま飲むので、中のコーヒーの量など気にも留めたことがなかった。
なるほど、カップの外側にコーヒー量のラインが記されている。
これより少ないことがあると言うのだろうか?
私はそっと蓋を開けてみると、ラインより上にコーヒーが入っていた。
二回続けて、カフェを断るわけにも行かないと思っていた私は、一昨夜は小竹さんとカフェに行く覚悟があった。
小竹さんは、「貴女、今夜も行くの?」と尋ねてきて、「うん」と言った私に「じゃあ、行こうか。」と小竹さんが言った。
丁度雨が降り始めて、予定のカフェはライトの具合の良い席に先客がいた。それで、2人で近くのマックに入ることにした。
私が小竹さんのコーヒーと自分のとを持って、2人のテーブルに置いて座った。
すると、いきなり小竹さんが「貴女、蓋を開けて御覧なさい!」と言う。
私は調教師に教えられる猿のように、肩をすぼめて言われるがまま蓋を開けて、小竹さんの顔を見上げた。
「ほらあ」と小竹さん。
私のコーヒーは、カップにいっぱい入っていた。
小竹さんは、自分のカップをご覧とばかりに並べた。
私は、小竹さんのカップを覗き込んだ。小竹さんのカップのコーヒーは私より少し少ないけれど、ラインは超えているように見えた。
再び小竹さんの顔を見上げると、小竹さんの眉間に青筋が立って、顔の色がみるみる青くなっていった。
青いその顔に私は心底驚いた。
以前、職場には、怒ると見事なまでに真っ赤になる、タコがいたけれど、青はいなかった。
「誇大広告なのよ。誇大広告の問題なのです!」小竹さんはすでに椅子を引いて、まさに立ち上がろうとしていた。
私は、この先に起こることがわかっているようであって、わからないことを言った。
「待って、私のと交換しましょう。」私は私の馬鹿をこう言う時に思い知らされる。
小竹さんの言い分はこうだ。
もしも、ラインまでのコーヒーの量ならば、メニューをはじめとするマックの広告に偽りがあると言うのだ。
ラインまでだったら、褐色のコーヒーが写らないと言うのだ。
私は、よくよく聞いて三度驚いた。
ラインの上か下ではなく、写真に偽りがあるといのか。
私は、恐れ入って呆然となってしまった。
五分はかからなかったであろうか。
小竹さんは、コーヒーを足してもらって戻ってきた。
どんなふうに小竹さんが言ったのか、私は怖くて聞けなかった。
ただ、誰が対応したのかが気になった。
どうやら、先週の初めの朝の4時に、一番で入店した私に、
マシンの始動に2分程度かかるからと、席までカフェラテを運んできてくれたスタッフに小竹さんはコーヒーを足してもらったようだ。
そのスタッフは、長蛇の列ができても、冷静に迅速にこなして行く師範級の人でもあった。
今日の東京の最高気温は23度、最低気温は13度、晴れの予報です。
世の中、いろいろな人がいますが、週末がすぐそこですからお互い頑張りましょう。
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