ほっとした時にパフェ
スタミナをつけたい時にタスマニアビーフハンバーグ
小腹が空いた時にきびなごのサラダ、北海道コーンのポタージュ
弱っている時にカニ雑炊
15年の闘病生活のうち10年間の長きに渡り私の暮らしに彩りをくれていた我が街のジョナサンがついに 閉店してしまった。
昨年の1月に24時間営業をやめた時に、一度さよならをしたのだけれど、そこにジョナサンがあるならば、時間のやりくりをして浅い夜のうちに行ける日もあるだろうと思っていた。
しかし、その直後のコロナで、怯えた私はさよならのままに一年が過ぎていた。
改めて、10年間、ざっと3000の夜をドラキュラである私はジョナサンに通ったのだ。
営業時間なんて、また延びる日が来ると密かに思っていたのに。
閉店はないだろう。
平成の時代には外食文化が花開いた時でありましたというふうに、
外食産業がこのまま萎んで行ってしまうのだろうか。
閉店の知らせに随分と悩み迷ったけれど、閉店の一日前に思い切って訪ねてみた。
悩む理由は他でもない、コロナの感染が心配だからだ。
ドリンクバーは多くの人が利用する。トイレだって。
それらは、利用しないと決めて、食事だけぱっと済ませて、長くお世話になったスタッフにお礼を言って出てこようと。
残念なことに、10年間お世話になった紫陽花のようなスタッフは
お休みだった。
真夜中にお世話になった馴染みの若い女性スタッフが教えてくれた。
まる一年のご無沙汰だったけれど、彼女は覚えていてくれた。
チョコレートパフェは、丁度今時分に確定申告の医療費還付請求の作業が終わって、ほっとして食べたのだった。
パフェに詰まったアイスクリームにソフトクリームを食べれば確実に太ることはわかっているので、ブラウンの貴婦人のようなその姿をメニューに見つけては常に我慢していたのだ。
ある時、スーパーのデニム売り場でお世話になったスタッフが、向こうの席で思い切りこのチョコレートパフェを食べているのを見ていつか、いつかと心に誓っていたのだ。
パフェよりは、太ることを気にせず食せるのがあんみつだ。
もっぱらクリームあんみつだったけれど、たまにソフトクリームの量を少なくしてもらって白玉ソフトクリームあんみつも食べた。
晩秋から冬の間のお汁粉も大好きだった。北海道産の大納言小豆にこだわったお汁粉だった。ある冬、4年前だったか、メニューから消えた時はがっくりした。
10年前は結構大きなお椀に盛られたお汁粉だったけれど、
器が小さくなっていった。そしてメニューから消えたのだった。
お汁粉が終わる季節には、あまおうのパフェがメニューに登場する。
チョコレートパフェがブラウンの貴婦人なら、あまおうと自家製プリンのパフェは、ストロベリーガールだ。
下のプリンがないものは2014年2月6日撮影でまだキャノンのパワーショットで撮影していた頃のもの。
パフェは季節ごとに装いを変えて楽しませてくれた。
秋が深まる頃から冬にかけては、
浅い夜に一度、買い物の帰りに一息お茶をして、
深い夜に食事をしに出かけたこともよくあった。
季節メニューにはフレッシュフルーツがシンプルに盛られることもあって、夏季にカナダ産のフレッシュブルーベリーは毎晩ダブルで食べることもあった。
グルテンフリーを誓いながらもつい食してしまったのがフレンチトーストだ。
デコレーションされたフレンチトーストも美味しかったなぁ〜
温かいデニッシュに冷たいアイスクリームという誘惑のメニューもあった。
太ることを気にせず食せたのがシャーベットだ。
アイスクリームよりはずっとカロリーが低い。
今頃はいちごのシャーベットだけれど、桃、カシス、ぶどうもあってとりわけカシスやぶどうが好きだった。
こちらは栗のアイスクリーム。
桃のシャーベットも30は食しているだろう。
ドリンクバーのダージリンティーは1万杯は飲んだだろう。
美味しかった。
店舗は、バーミヤンに変わって、スタッフはほとんどがそのまま続けるそうだ。
それだけはほっとしている。
ドラキュラの孤独な夜に寄り添ってくれたジョナサン。
ありがとう。きっとまた復活してくれると信じている。
食事の思い出が綴れなかったので、また後日。
どうか読者の皆様、太い大木にしがみついて、おいおいと泣きたいような寂しさをわかってくださいな。
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