雨粒が大きくなったり小さくなったり
雨降る宵に一の酉に行ってまいりました。
私は、端から今年は酉の市はなかろうと思っていた。
酉の市には、屋台が並んで、福をかき集めるべく熊手が売られる。
大勢の人が押し寄せてその賑わいや活気を楽しむようでもある。
言わずと密だ。
今ある熊手は持ち越しだなと。
ところが、意外にも良人(りょうじん)の期待が大きかったようで、ネットで調べた上に、どこかで貼り紙まで確認してきて「酉の市はある」と言い張る。
あいにくの雨は傘を広げればソーシャルディスタンス、自ずと距離が保てるかと思って出かけた。
やはり人出は例年よりぐっと少なかった。
思い切りはしゃぐ小学生や、中学生、高校生が多かった。
偶然にも、青春の微笑ましい一枚が撮れたことが、久々に「嬉しい」という気持ちを私にもたらしてくれた。
中学生だったある夏の日に、美しい友人と熟れた一つのトマトを齧りあった遠い昔を思い出した。 トマトを差し出された時のときめきと、私がかじったそれを臆せずかじった彼女を見た時の心のざわめきが蘇ったのだ。
例年なら、参拝する人の列で全景は撮ることができない熊手屋さんが金色に輝いて実に美しくありました。
長蛇の列に並ぶこともなく、直ちに参拝できましたが、賽銭箱の上には鈴緒に吊る下げられた鈴がありませんでした。
多くの人が鈴緒を握って揺らして鳴らす鈴はコロナウイルスのリスクがあるからでしょう。
神楽殿には、笛や太鼓の奏者の姿がなく、音色がスピーカーから流れて、映像が映されていました。
これまた奏者同士と観客へのウイルスリスクを考えてのことでしょう。
屋台は、思ったよりは多くが並びましたが、
屋台の出店場所が 例年と異なっていました。
だいたい、ここには七味のお店、その隣には佃煮屋さんの屋台、
向かいはハムという具合に場所が決まっていたのですが。
やはり数を減らして、陣地を変えたのでしょうかね。
お馴染みになったケバブのお店はありました。
クレープが焼けるのを待っているのでしょう。
今年が初お目見えでしょうか、わかさぎの天ぷらの屋台が登場です。「FISH TEMPURA」と屋根のひらひらにあります。
例年、天にも届くがごとく、香ばしい匂いが立っていたイカ焼きの屋台が露天には見当たりませんでした。アーケードの方に移ったのかもしれませんが、近年のイカの高騰が影響しているかと考えたりしています。
昔からの定番の綿菓子、パイプ、ヨーヨーの屋台は健在です。
人生を占う御神籤には傘がさしてありました。
私の心に深く刺さった2枚目の写真です。
私には人生を占う必要はありません。
「私の人生は15年前から土砂降りの雨の中にあるからです。
そして、その雨は止まないとわかっています!」
気を取り直して、お面を眺めて、いつもの熊手屋さんの岡庭さんへ。かれこれ10年、岡庭さんで熊手を買っている。
手締めは、ウイルス飛散防止のためにやってもらえないかと思ったら、マスクにフェイスガードで、切り火に二本締めを控えめながらやってもらえて、来年に祈りを込める気持ちになった。
岡庭さんで初めて熊手を買って迎えた年に、私はもう歩行は一生困難と言われていたのが、歩けるようになったのだ。
参拝客もマスク、屋台の店主もマスク、熊手屋さんのスタッフもマスク姿の今年の一の酉でした。
熊手に収まるおかめさんはマスクをしていません。
どうか来年は皆んなの顔からマスクが取れて、幸福がいっぱいかき集められますように。
2 件のコメント:
来年こそ、といつも願うばかりですが、今年は特に、来年こそ!と思う気持ちが強いね。
滅茶苦茶だった1年も、間もなく終わるよ。
Unknownさん
コメント有難うございました。
世の中も、バタバタとコロナに始まって、コロナに終わりますね。
そしてアメリカの大統領選、、、視界不良
とりあえず年が明ける時は心穏やかにいたいものです。
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