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2019年12月31日火曜日

暮れゆく2019年に



日本では、慌ただしくも大晦日という日は、
安堵する時でもある。
そんな隙をついたのか、
カルロスゴーン被告が出国していた。
とにかく驚いた。
弁護団も、日本の司法も、日本も随分と舐められたものだ。


ともあれ、今年もあんこちゃん爆発にご来訪いただきましてありがとうございました。
今日までに34万9157のアクセスをいただきました。
皆様のおかげで、生きる気持ちを絶やさずに暮らすことができております。
心より御礼申し上げます。
来たる2020年が皆様にとって幸多き年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

崎陽軒のシウマイがついに本になった?



崎陽軒のシウマイがついに本になったのか?
初夢の前に、夢みたいな話じゃないかい。
1ページめくるごとにシウマイが一つ転がり出てくる。
読み続けると、ころっ、ころっとシウマイが次々飛び出てきて、
それを食べながらの読書だ。
ついにそんな本をドラえもんがポケットから 出してくれたんだな。


この夢の写真が届いたのは、晦日の夜で、来春のクラス会の幹事長のY氏からだった。
クラス会の進行についてのメールかと思ったら、朱赤の包装紙が眩しいシウマイではありませんか。
びっくりしましたね。



昭和の人気作家獅子文六の『やっさもっさ』と崎陽軒のシウマイのコラボ、つまり仕掛けたのは、筑摩書房と崎陽軒のようです。
この12月に『やっさ もっさ』が文庫化された記念だそうです。
残念ながら限定販売で、神奈川県内の一部書店と、有隣堂のチェーン店(東京、千葉の一部店舗)で取り扱われているようです。
この年の瀬に、故郷横浜に帰りたかったのですが果たせませんでした。
スーパーマーケットの帰省土産コーナーには、期間限定販売のハーバーを発見しました。


カジノのこともあるし、
いすゞも横浜へ移転してしまうし、
横浜を想って 今2019年が暮れようとしています。
こちらはスタンダードなハーバーです。

そして今、横浜駅中央通路にある崎陽軒の売店には、大きな広告があるそうです。記念撮影には最適だと、合わせてY氏が送ってくれました。
横浜駅にお立ち寄りの際は是非とも撮影なさって下さい。

2019年12月30日月曜日

カフェを渡る2



 ついにお蕎麦屋さんでコーヒーを飲んだ。
消費増税と同時に行きつけのカフェの閉店時間が早くなって、
行けなくなったのだ。
そのカフェの向かいのメガネ屋さんのLEDの輝く電子看板の灯りが消えるのを待って、入店していたのだけれど、電子看板の消灯とカフェの閉店が同時刻になってしまったのだ。


春、夏は22時間以上も狭い部屋に籠っていなければならない私にとって、夜のカフェは、解放される大事な空間だ。
太陽光が差し込む部屋の窓は完全に塞いでしまったので、夜も窓を開けることはできないのだ。
カフェなしには、心の健康が保てないだろう。


仕方なしに、10月から二番手のカフェに行った。
すると、 閉店の10分前にカフェのスタッフがやってきて、
腰を屈めて耳元で「閉店の時間ですからお帰りください。」と言う。
なんだか嫌な感じが耳に残って、唖然としていると、そのスタッフは10人以上はいたであろう客の一人一人の耳元で同じ事を言って回っていた。
店内には閉店時間に蛍の光が流れる。
そのカフェでは、それでもなお、残る人が居たことはなかったと思う。
けれど、半年ぐらい前だったか、そのカフェで、閉店の40分前から蛍の光がじゃんじゃん流れてきたこともあった。
会社の方針とは別に、そのカフェのスタッフは、閉店時間を早くしたいのではなかろうか。


以来、そのカフェに行くのはやめにした。
次に、そのカフェと同じく閉店時間が23時のカフェに行った。
トイレだけが綺麗なカフェだけれど、
コーヒーの味も昔よりはだいぶマシになった。
2席ばかり照明が頭上にない席があるのだ。
価格もカフェでは一番安い。
しばらく通って、ある夜カフェラテを飲んでみた。
そうしたら、これは一体何だ?というほどに不味かった。
カルピスみたいに薄くて、 マックのカフェラテの方が100倍美味しいと思った。
ここで改めて、カフェのコーヒーの味の基準はマックだと思った。
マックより不味いカフェに行くなら、マックへ行った方が安上がりだ。
コーヒー一杯でもマックのスタッフは決して嫌な顔はしないし。
そうは言っても、雰囲気というのも大事だ。
次に22時閉店のTコーヒーに 通ってみた。
ほとんど毎晩、一ヶ月以上通い続けたけれど、スタッフは全く客の顔を覚えない。
毎夜、オーダーしようとすると、閉店まで1時間以上あるというのに、閉店時間の案内が始まる。
「当店の閉店時間は、10時までとなっておりますが、よろしいでしょか。」
そして、コーヒーを渡す場所まで毎度案内される。
カフェで顔を覚えてもらえないというのも寂しいものだ。
私の場合、帽子にサングラスにマスクだから、顔と言うのも違うかもしれないけれど。
それはそれで、印象深いはずではないかな。
という訳で、お蕎麦屋、家族亭でコーヒーを飲んだ。
キリマンジャロが美味しかった。
渋い器もお蕎麦屋さんらしくて良かった。
でもコーヒーだけというのはやはり気が引けるので、北海道の地鶏の親子丼の後に注文した。
昨夜は、北海道チーズケーキと共にコーヒーを飲んだ。
それでも、蕎麦をすする人 を隣に何となく肩身が狭い思いがした。


来年も、根無し草のように、
あっちのカフェに行ってみたり、こっちのカフェに行ってみたり
しなければならないのかな。
定まる居場所が欲しいな。
明日の大晦日の東京の最高気温は18度、最低気温は6度、晴れ時々曇りの予報です。
ぽかぽか陽気となるようですね。
日本の皆様におかれましては、年越し蕎麦を食べる前に、あんこちゃん爆発にアクセスをお願いしますね。
海外の皆様もお忘れなく、ブログ来訪をお願いします。

2019年12月29日日曜日

年の瀬を生きる



 年の瀬にすべきことはいっぱいあるのに、
いつものようにこなせるのは一つか二つだ。
昨夜は、いすゞロスの心を刺すように冷たい風が吹きすさぶ中、
歯医者へ行って、お蕎麦屋さんで食事をして、蓮を買いに行って
帰宅したら、もうダウンだった。
蓮を食べても、先の見通しはない闘病生活だけれど、
蓮はアレルギーに良いと言うから無理して出たのだ。


仕方なしに、大事な歯を磨いて一度寝ることにした。
年明けのクラス会の会場などについて恩師に手紙を書かなければならなかった。
1時半に目覚めて、いざ手紙と思ったら、お店のHPの地図が今ひとつだった。おまけにプリンターの接続がおかしくて、結局、牛男が地図とプリンターの接続に奮闘して、なんとか5時過ぎに手紙を投函することができた。


5時の街は、駅に向かう人もなく闇の静寂に包まれていた。
けれど、スーパーマーケットに行ったら、
一つのレジにちょっとした列ができていた。
28日の夜明け前のスーパーマーケット来店客の不思議、
私は、その客のカゴの中に興味津々となった。
30代半ばのもじゃもじゃ頭の男性客のカゴの中には、
一人前のアルミホイルのお鍋に具材が詰まった物が入っていた。
透明の蓋から、美味しそうな具材がうまい具合に詰まっているのが見えた。
スライスされたお肉が3枚、春菊の上に乗っている。他には、椎茸と半丁程度の大きさのお豆腐だ。お豆腐はお水が出るからかパックに入ったまま、逆さに収まっている。長ネギのスライスもちょこっと入っていた。
そのお鍋とは別に、温泉卵が二つ入った卵のパックもカゴの中にあった。一人鍋が煮えたら、温泉卵を落とすのだな。
私は、思わずごくんとなった。
そして大きな焼酎のペットボトルも一本でーんと入っている。
1リットルサイズだろう。
今日で、いや、たった今、今年の仕事が終わったのではないだろうか。
凍える手に息を吹きかけながら、家路を急ぐ。
ドアを無造作に開けて、脱ぎ捨てるように靴を脱いだら、一目散にガス台に近づいて、 火をつける。
「ジャーン」と言って、アルミホイルのお鍋をのせる。
赤いお肉があっという間に出汁色に染まって、お豆腐が小刻みに揺れ出すと、白い湯気が上がる。春菊は、みるみる縮こまって、長ネギが眠気をもよおしたようにトロッとなる。
熱々のお鍋をつつきながら、焼酎をキューっとやるんだろうな。
勤労の疲れが吹っ飛び、一年を終える充実感に浸る瞬間だ。


 この妄想タイムに、私は一瞬だけ病苦のことを忘れることができる。
 再び、現実に戻ると、
今夜は今夜で、夏物の衣類をクリーニング屋さんに取りに行った。
けれど今、まだ引き取っていない夏物衣類があることに気がついて、がっくりしている。
今月初めに出した分だ。引換券をもらい忘れていたので、気が付かなかった。4、5着はある。 
帰宅後に雨降りで溜まっていた洗濯をしたので既にクタクタだ。
年賀状は、大晦日に書くことになるだろう。


仕方ないな。
年の瀬だからと言って、カラッと病気が良くなるわけでもなく、
ここにきてぐっと悪くなってしまったものだから。
今日の東京の最高気温は11度、最低気温は3度、晴れ時々曇りの予報です。
お忙しい中、本日も当ブログにご来訪いただきましてありがとうございました。

2019年12月27日金曜日

いすゞ移転に涙



 旧年は良いけれど、さる年となる去年は年賀状に使ってはいけませんと朝の情報番組でやっていた。
この頃とみに喪失感に苛まれている私は、こんな話にも敏感になって、肌をヤスリで撫でられた気分になった。


地元のいすゞ自動車が創業のこの地を移転すると言う。
つまり去るのだ。
ずっとあり続けると思っていた老舗企業の移転報道が心底撤回されないかと思うほどショックだった。
調べれば創業は1916年というから100年以上の歴史がある。
移転先は横浜、MM21だ。
横浜は故郷だけれど、もう東京暮らしの方が長くなった私にとっては、悲しく寂しい。

街から企業が消えるってこんなにも寂しいものか。
ぽかんと日野自動車のことが浮かんできた。
でも日野自動車は日野市から工場だけが移転するのであって、本社は変わらず日野市だ。


私は、いすゞのエルフに乗って高速道路をビュンビュン走っていたわけではないけれど、
健康だった時、高い塀が長い間、いすゞの新社屋建設工事を覆っていた。
塀には、工事車両が出入りするいくつものゲートがあった。
そうして完成したビルディングは、当時ため息が出るほどゴージャスだった。
10年以上前だったろうか、既に闘病の身となっていた私を、病院まで運んでくれたタクシーの運転手さんが、昔むかし、いすゞの社員だったと言うのだった。
その運転手さんが言うには、工場でずっと働いていて、本社というのを一度も見たことがなかった。ある時、健康診断で本社に行くことになって、本社を初めて見て驚いた、これが自分の働く会社の本社かと。
あまりにもおんぼろで、塀はトタンで、バラックだったと。
そして「それがやっと立派な建物が建ったよ。」と。


駅改札近くではいすゞのトラックの歌が流れていたこともあった。
会社近くのコンビニでは、いすゞのトラックの図鑑が売られていることもあった。
いすゞのトラックの歌を聴いて涙する年の瀬となりました。
歌 KAZCO
歌詞 ツカダマコト
曲  奥居史生

ドアを開けたら冷たい空気 白い息広がった
ポケットの中 凍える手 昨日の星に さようなら
さぁ 走りだそう 夜明けの街に 朝がはじまる 朝がはじまる
いつまでも いつまでも 走れ走れ いすゞのトラック
どこまでも どこまでも 走れ走れ いすゞのトラック



 朝の街を、私は走ることはできないけれど、
今は、お引越しのその日にこっそりトラックに乗ってくっ付いて行きたい心境だ。
お引越しは2022年春を予定しているそうだ。
荷物はやっぱりいすゞのトラック で運ぶのかしら。

 今日の東京の最高気温は15度、最低気温は6度、晴れ時々曇りの予報です。
今日が仕事納めの方が多いでしょうか。
お疲れ様でした。

2019年12月26日木曜日

そうは言ってもクリスマス



 本当は、小さなものだけれどうなぎの蒲焼の方を食べたかった。
でもチキンの方を食べた。
誰に言われたわけではないけれど、クリスマスにはチキンを食べなければいけないものだと、思っている。
心に染み込んだように。
しかも鶏肉ではなくてチキンというものだ。
置地廣場

ホールケーキは売れないから、今年はあまり作っていないというけれど、駅ビルのケーキ屋さんはどこも長蛇の列ができていた。
みんな予約していた人たちなのだろうか。
本当は、東京タワーに行って
クリスマスカラーのタワーの写真をでーんと載せたかった。
全く身体の方がついていきませんで、ブログに来訪してくださっている皆様には申し訳ないかぎりです。



シクラメンはともかく、
ポインセチアの運命は今日からどうなるのかと案じます。



今日の東京の最高気温は10度、最低気温は4度、曇り時々雨の予報です。
今年も残すところ6日となりました。
どうぞ皆様におかれましては風邪など召されませんように。
今日もブログにご来訪いただきましてありがとうございました。

クリスマスイブの夜に目覚めたら



朽ちるように眠ってしまった
クリスマスイブの夜に。
犬が雪を見て走り回らなくなってしまったように
私はクリスマスに、はしゃがなくなっている。
夜の早いうちに
一歩、二歩と重い足を運ばせた心のうちというのは、
クリスマスで賑わう街を見ることができるのは、
もう何回もないだろうという思いだ。


そうして撮ったのは、ケーキ屋さんにならぶ人々の脚だけだった。
疲れて帰宅してご飯を食べて眠ってしまったのだ。
目覚めた夜のおしまいにスーパーケットに行ったら、
クリスマスツリーと門松の共演、
サンタクロースと助六の共演、
まさに店内は和洋折衷だ。
天井からは、大昔のハエトリ紙のようにおせちのポップ広告が垂れ下がっていた。


このツリーが登場したのは11月2日だったから、
1ヶ月と24日 の間、お疲れさまでした。

2019年12月23日月曜日

お詫びの一枚



体調不良につき、今夜はこの一枚でごめんなさい。


皆様におかれましては、明晩は楽しいひと時をお過ごしください。

2019年12月22日日曜日

藤沢への旅



 40㎞と言う道のりは、今の私には旅であり、
闘病生活となってからは初めてのことだった。
当然ながら真っ暗になった17時を回ってからの出陣だけれど、
長旅の難敵はやはりLEDを始めとする光だ。
通院時の完全遮光帽子の一番つばの広いものと、完全遮光の一番小さな傘を備えた。
東海道線で南に下った。
東海道線に乗るのも2005年以来だ。
通勤で毎日利用していたのはもう遠い昔のこと。
驚いたのは、女性車掌のアナウンスだ。
時代が変わった。
時にけだるそうで、時に素っ気なく、時に気取った男性の声が以前は常だった。
東海道線は必ず各駅の到着時間が案内されて、わかっていても通勤時は改めて時刻を噛み締めたものだ。
通勤の足が京浜東北線に変わった時、到着時間がアナウンスされないことにしばらく慣れなかった。主要駅ぐらいアナウンスして欲しいと思ったけれど、その場合の主要駅ってどこだと言うこともあるかと考えたりした。
この度は、綺麗なのびやかな声で、各駅の到着時刻の案内されて、熱海には7時8分到着とアナウンスされた。
ボックス席の奥の頭上には、幸いにもLEDがなかった。
来春早々に開くクラス会の下見だった。
恩師のお住まいに近い藤沢が開催地となったのだ。
今は、藤沢に「湘南」と言う冠がついて、観光に力を入れているのだろうか。
学生時代、鵠沼に住まう友人が、藤沢在住の彼氏が地方出身の友人に「私は、湘南に住んでいる。」と言うのは、誤りだ、ハッタリだと非難していたことがあった。
ともあれ、藤沢に一度住んだら離れられないと聞くから、住み心地の良い、魅力ある街なのだろう。
駅からの通路で売られていたのは、小田原のみかん。
藤沢だと小田原がぐっと近くなるのだな。


 そして、今、時の人であるノーベル賞を受賞された吉野彰さんも藤沢市在住なのだ。
藤沢に来たのは、社会人1年生のおしまいの冬だったことを思いだした。早くに着いたので駅の改札近くで、キングジムファイルごと持って来たような資料をそっと鞄から出そうとした時に、上司がやって来たのだった。
そんな大量の資料持参なんて、仕事ができない奴の標本のようだ。
大昔のことは思い出したけれど、駅から徒歩2分の目的のお店に行き着かなかった。
牛男に、再三言い聞かされて出たのに。スマホを持たない、持てない私は、仕方なしに交番へ行った。まだおまわりさんが居る時代で良かった。
 目的のお店、ノカテーブルは、ドラキュラには最適な照明だった。天井近くのいくつかのライトが点くだけで、しかもそのライトの向きは変えられる。壁にも最悪となるパネルのような照明もなかったのだ。落ち着いた大人の雰囲気のお店で、スタッフの感じもとても良かった。
幹事の一人が、お店の人の対応の良さと言うのは、催しの場合ことに大事だとメールに記していた。
駅に戻って、この度待たせてしまった幹事長と二人互いに体調が今ひとつなのでドトールでコーヒーを飲んで、再び東海道線で帰りました。
ドトールも、天井に埋め込まれた小さなライトが点在するだけで、誠にいい具合に座ることができました。
藤沢駅南口
藤沢駅北口

歳末の藤沢駅はとても賑わっていました。
川崎では姿を消してしまったさいか屋の看板が一入嬉しかった。
ゆっくり来たいけれど、日の入り時刻がずんずん伸びて来て、やはり時間的に厳しいものがある。


 今日の東京の最高気温は9度、最低気温は4度、晴れ後雨の予報です。 東京は寒くなりますが、藤沢はどうかと言うと、
最高気温は10度、最低気温は6度、晴れのち雨の予報でやはり東京より少し暖かいですね。


お忙しい中、今日も当ブログにご来訪いただきましてありがとうございました。