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2023年3月21日火曜日

袴田さん57年無実を訴え、やっと開いた再審の扉


「やっていません」の袴田巌さんの声が57年もの長き歳月を経て昨日届いた。

弁護団の会見は、涙の会見となった。

検察が特別抗告を断念したのだ。

 

袴田巌さん、姉のひで子さんの死闘を支え、

袴田さんに、まさに着せられた濡れ衣を晴らすために力を尽くし続ける弁護団、支援者、日本ボクシング協会の皆様にも昨日は長年のご苦労が報われた思いであったことと存じます。

 

18日土曜日には、2014年に静岡地裁で再審決定と袴田さんの釈放を決めた村山浩昭元裁判長が、公の場で検察に特別抗告をするなと検察を牽制した。

 しかし、2007年の「無罪を主張した」と告白した当時の裁判官の熊本さん以外に、警察、検察、裁判所に袴田さんを犯人とすることに疑義を感ずる人はいなかったのだろうか。

 もしも、組織の面子やら沽券に関わるといったようなものなら、腐っている。
 

 
再審はこれから。
袴田さんは87歳、共に闘う姉の ひで子さんは90歳、
袴田さんは今だに死刑囚だ。
1日も早く無罪判決を願います。
 
 
事件をもっと詳しく知りたい方、支援したい方へ
 
 
 
 

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

57年諦めない人生もあり?

あんこちゃん さんのコメント...

いただいたコメントが受け止め難く、悩ましいです。
やってもいない4人の殺人強盗の犯人とされ、明日死刑執行かと怯える50年以上もの長い年月の袴田さんの気持ちは私は想像もできません。
2014年に再審決定された時に、釈放されましたが、その時の姉のひで子さんが、それ以前に面会に行っても、袴田さんに面会を拒否されたり、おかしなことを言うようになっていたと言っておられました。
あまり詳細は報道されませんが、長い拘束で拘禁症状が出ているのです。今回それは死刑が確定した1980年ごろからだと報じられています。別の自分を作り出さなければ生きていられなかったのではないでしょうか。狭山事件で犯人とされてしまった石川さんは拘置所で袴田さんと一緒だった時期があり、裁判で証拠となった衣類のズボンが小さくて袴田さんが履くことができなかった時、そのことを履けなかったと嬉しそうに言っていたと言っています。ところが、袴田さんに死刑判決が下ったわけです。その後に心が壊れてしまったと言うことでは。
諦めるとか諦めないとか言う言葉をこの袴田さんのことで用いるのはどうかと思うのですが。