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2020年5月31日日曜日

崎陽軒 開港記念日特別包装シウマイ弁当

Photo Ushio

我が家は今夜も崎陽軒のお弁当だった。
包みを開こうとした時、牛男の手が止まった。
いつものシウマイ弁当の掛け紙が開港記念日の特別仕様だったのだ。
第39回横浜開港祭をイメージしてデザインされたそうです。
私が今夜食したのは横浜ピラフです。
ちなみにいつものシウマイ弁当の掛け紙はこちらです。

港祭りというとハマっ子にお馴染みなのは、パレードだ。
子供の頃からパレードを見に出かけたり、テレビ中継を見たりしていたけれど、いつからやっていたのだろうか?
調べてみると昭和28年からだそうだ。
今年は、このパレードもこのコロナで中止だ。
おそらく参加者は昨年のパレードが終わると直ぐに今年のパレードのプランを練って準備をしていただろう。
参加者もハマっ子もガックリしているだろうと思う。
ちなみに昨年の掛け紙の写真はこちらです。
この開港記念日の掛け紙のシウマイ弁当の中身はいつもと同じです。



開港記念日は、おうちでこの開港記念日特別包装のシウマイ弁当をいただきましょう。

2020年5月29日金曜日

崎陽軒 初夏のかながわ味わい弁当



一日置きに崎陽軒のお弁当だ。
私の具合が悪いのでそうしているのだけれど、牛男は大喜びだ。
牛男は無口という病気だから、言葉はないけれど、喜びが身体中から溢れ出ている。
七時閉店となっている商業施設に買いに飛び出るのは牛男だ。


 緊急事態宣言の後、一時は入手困難となった崎陽軒のお弁当も、徐々に購入できるお弁当の種類も増えて、通常に近づいてきている。
今夜は、初夏のかながわ味わい弁当です。
包みを彩るかながわの名所は、故郷を離れて長くなった私には、
知らない所もある。
バックの芦ノ湖と富士山だけは、 何度眺めただろうと懐かしさがこみ上げてきた。
以下、かながわの名所と味わいをご案内しましょう。



まず、昔ながらのシウマイを差し置いてなんですが、
際立つ美味しさは、三崎産マグロのネギ生姜煮です。最初に食べてくれとでも言うように身を乗り出しています。ちょっと生姜が効いた甘辛味でとても美味しかったです。三崎産マグロは、かながわ味わい弁当ではレギュラー選手ですが、季節ごとに味付けが変わっています。
ちなみに、春のかながわ味わい弁当では、利休煮(胡麻を加えて煮る)でした。
マグロの隣の三浦産芽ひじきとわらびと白滝の炒め煮も、甘めの味付けで美味しかったです。
こちらの区域には、 小田原蒲鉾、卵焼き、竹煮も入っています。


昔ながらのシウマイの上方にちょっと覗きみえるのが、あさりつみれ煮です。美味しかったですが、小さかった。
隣に人参、上部に蓮根煮です。
デザートには宇治抹茶のわらびもちです。
白飯の上には上品なお味の小田原産梅干しがのって、
山菜ご飯も楽しめます。
箸休めには胡瓜のお漬物です。

 皆様も今日金曜日には、崎陽軒のお弁当で一息つきましょう。


2020年5月27日水曜日

お詫びの一枚



 体調不良につき今夜はこの一枚でごめんなさい。
蒸し暑い毎日です。
皆様もくれぐれもご自愛ください。

2020年5月25日月曜日

ブルーをどうにか消そう



 目覚める前からブルーでした。
それは、夢が夢だとわかって、そろそろ目が覚めるぞという時に、いやっ凄いブルーだどうしようと思ったのだ。
だから、当然目覚めてブルーで
顔を洗ってブルーで、
日焼け止めを塗ってブルーで、
14年間、365日塗り続けている日焼け止めで、
ブルーはますます濃くなった。
体重計にのることで、腎臓に異変がないか確認して、
白湯を飲んで、甘酒を少し飲んで、
薬を飲んでブルーだ。
ご飯を作ってブルー、
ご飯を食べてブルー、
こうなる数日前にアロマでなんとかしようと思って、
ハッカ油を垂らしてみたりしたけれど、
嗅覚に異常なしと確認した後はまたブルーだった。


ブルー、ブルーで押し潰されそうになった日曜の24時、
ほんの数分の身体を動かす無料動画を発見した。
ちょっとだけ身体をねじってみたら、意外と良かった。
ほんの数分がいい感じだ。
それは白井幸子さんの動画です。
 https://m.youtube.com/channel/UC-RyIKDgSrr8YN6ALXEmeUA
皆様もお試しあれ!


これで美味しい物にありつければ、
2、3日は行けそうだ。
テレワークからまた、混み合うであろう電車通勤となる方も心配が尽きないかと存じます。
マスク着用、手洗い励行でくれぐれもお気をつけください。

2020年5月24日日曜日

ドラキュラが見る風景



 東京でも緊急事態宣言解除の足音が聞こえてきそうだ。
しびれを切らしたのか、木曜日には灯りが灯った居酒屋を見つけた。
止む無くお店を畳んだ跡を見たことを思うと、ほっとする光景だ。
けれど、その一軒きりで、どこもまだ固く扉を閉ざしたままだ。
すだち冷酒の短冊が綺麗で目に止まったお店も、五月いっぱいは休業と言う張り紙があった。
縄のれんの向こうに灯りはない。


ビルの中に構える居酒屋なので、お店の外壁に貼られたホッピーの広告もお品書きも冷酒の短冊と同じように、風雨に晒されることなくとても綺麗だ。
こうした広告を自宅の居間に貼り付けたら、居酒屋の臨場感が味わえてお酒が美味しくなるかもしれないな。



「おやじさん、エビスビールね!」
とか「レモンサワーおかわり!」と声に出してみる。

「はいよ!」と冷蔵庫に向かって氷を足して、
一人芝居だ。
そういうおうち居酒屋も来週には閉店となるか?


2020年5月23日土曜日

ガラケイ



 気を落としている中で、
ちょっと嬉しいことがあった。
いやいやちょっとではないな、
やったーと言って拳を突き上げたのだから。
ジャーナリストの反町理さんが、ガラケイを使っていると言うのだ。
私もガラケイだから。
ガラケイを使い続けている理由は違うだろうけれど、
とにかく嬉しかった。
言うまでもないけれど、今でもガラケイを使っている人は滅多にいないのだ。
私がガラケイを使い続けている理由は他でもない、スマホの光がてんでダメだからだ。
顔には当然のように日焼け止めを塗った上で、スマホの画面にUVやブルーライトのシートを貼って、画面を暗くしても鼻の両わきがまずそら豆大に赤くなり、続けて画面を見ていると爛れてくる。光は色が濃くなったところをますます攻撃するから、皮膚が剥けて、ぐちゃぐっちゃになる。
結局1年以上経っても、鼻の両わきのそら豆大の痕は残り、イボまで出来てしまっている。
懲り懲りだ。
だいたい通信料も高くてかなわない。
ここまで綴ってしまうと、嬉しかったことが、ふっと蝋燭の火が消えるように消えてしまいそうだけれど、
反町さんの風体と、鋭い質問とを思い出して、また一人深い夜に
嬉しさを噛み締めようと思う。


2020年5月22日金曜日

ウシオ電機開発のCare222が心配だ2

 ウシオ電機の広報担当者からメール(ブログのお終いに掲載)をもらった。
その中身は、ウシオ電機が最初からPRしている内容と変わらないものだった。
ダメージが生じないと明記しつつも、「本当に何も起こらない」とは言い切れないという内容だ。
私の心配は変わらないな。
安全性の検証は難しいだろうけれど、
 まず光線過敏の症状がある人だと、太陽光はまずもってダメで、比較的軽い人でも蛍光灯がダメだ。
私などは、スマホも使用できないのだ。スマホにUV、ブルーカットシートを貼り付けて、明るさを暗くしても鼻の両脇があっというまに赤くなり画面を見続ければ爛れて皮膚がめくれ上がってくる。
今も、テロリストのように完全遮光布で顔を覆ってPCに向かっている。
 リウマチやベーチットなど膠原病は紫外線で悪化すると記したけれど、それが果たして皮膚のいわゆる表層部分だけだから影響ないと言い切れるのだろうか。
 そしてもう一つ、ステロイドを服用している人への影響はどうなのか。ステロイドを服用している人は、膠原病以外でも意外に多くいるのだ。
ステロイドを服用していると、皮膚が薄くなってしまう。ちょっとしたことで皮膚が切れる。そして皮膚代謝が悪くなると言うのではなく、皮膚代謝がほとんどなくなるのだとかつて医師から言われた。
話がそれるので、今回そのことは言及しないけれど私もステロイド服用中に皮膚が思っていた以上に薄くなってしまったことを実感する様々なトラブルが起きた。
ウシオ電機のCare222によらずとも、新型コロナウイルスが収束して行くことを切に祈るし、ウシオ電機には設置場所について十分配慮して欲しいと強く要望したい。

ウシオ電機広報担当者からのメール
お問い合わせいただきました件につきまして、弊社の開発担当者および安全性確認を継続して行っている外部機関に確認をいたしました。
結論から申し上げると、ダメージが生じる恐れは無いとのことです。
タンパク質の吸収計数の差から、通常の紫外線の場合、人の皮膚内部まで浸透しダメージを与えますが、
222nm紫外線の場合、人の皮膚の表層(垢になる死んだ細胞)である角質層までしか浸透しません。
 ただし、ある程度の紫外線が皮膚にあたるので、果たして「本当に何も起こらない」のかどうかと
いうことについては、可能性は低いと考えているものの、今後検証を進める必要がございます。

2020年5月21日木曜日

ウシオ電機開発のCare222が心配だ



 重い光線過敏の症状で、著しく生活に支障をきたしている私にとってはショッキングな報道があった。
過去、東京五輪に向けてサマータイムの導入を検討するということがあったけれど、これは実現せずにほっとした。
今回は、紫外線が新型コロナウイルスにダメージを与えるということで、紫外線照射装置が開発されたというのだ。
高視聴率を維持する朝の情報テレビ番組羽鳥慎一モーニングショーで報じられた。
人の皮膚や目にダメージはないというけれど、私のような疾患の者でも大丈夫なのだろうか。
この装置を、公共性の高い駅構内や人が集まる場所の天井に設置して行くことを進めたいと当該開発会社は息巻いているようだ。
例えば、広い駅構内の天井のライトが全てこれに変わると、構内を歩いている間じゅう紫外線を全身に浴びることになるのだ。


私は、微量の紫外線を皮膚に20秒照射しただけで熱傷になってしまう。
光線過敏の症状がない場合でも、膠原病が紫外線で悪化するというのは定説だ。
事実、私自身も光線過敏症状が始まる前、屋外に居る時間が長かった時にネフローゼを発病しているし、リウマチ症状は紫外線が強くなる2月の後半から悪化して、6月などは痛みで眠れなかった。
昼も夜も外出できなくなると、どう暮らして行けば良いのだろう。
正直かなり不安だ。
世間的にも影響力がある番組で報道されると普及も早くなるのでは。
また、膠原病の患者は日本にもかなりの数がいる。
それでも、マイノリティーは潰されるのか。


一応、ウシオ電機にも、テレビ朝日にもメールで問い合わせてみました。

2020年5月20日水曜日

ドラキュラが見る風景



まるで寄合所帯のようで、
隣の居酒屋との境目がどこなのかわからなかった通りに
ぽっかりと防空壕のような穴ができていた。
入り口も取っ払われて、ここがどんなお店だったか思い出せない。
私は、通り過ぎるだけの人であったけれど、
この店を必死で切り盛りして店じまいを決心した人がいて、
この店で稼いだ賃金で暮らしていた人がいて、
この店に通って飲食を楽しみ、心の拠り所にしていた人がいたのだ。
ドラキュラである私も心の拠り所を失った。
歩み続けて、カフェの入り口で肩を落とした。
営業を再開したらしいカフェの営業時間は午後5時までだ。
日の入り時刻の早い冬でもドラキュラは行くことはできない。
さらに進むと駅前の立ち食い蕎麦屋が夜の営業を再開していた。
とりあえず、大きな声を控えた注文方法に変えたり、席を一席空けることにしたらしい。


人々が並んで、お蕎麦をすするのが当たり前だった立ち食い蕎麦屋もこの先もずっと、提供スタイルを変えざるを得ないのだろうか。
こちらのお店では、夜の営業と言っても、持ち帰りのみで、同時に出前も始めたと言う。
どちらも、これまでの駅前の立ち食い蕎麦屋では、考えられなかった提供方法だ。



2020年5月18日月曜日

怒りと哀しみは積もる



 喜怒哀楽のうち、怒りと哀しみは積もるものであり、
喜びと楽しさは積もらない。
これは新聞に掲載された、有富健さんの言葉だ。
私は、全くだという以上にこの言葉が心に深く刺さった。
発病してから15年の私の人生がこの言葉に尽きると思ったときに涙が出てきた。
有富さんもまた難病患者であった。
私は、発病から最初の2年間は、ほとんどが入院生活だった。
3度目の入院生活で他の患者さんから、家事サポートなど支援をしてくれるという助け合いの会を紹介してもらって、やっと自宅療養がかなった。
ところが、次々と違った奇怪な症状が始まる。
自宅と言えども4年間近く歩行が困難となった。
股関節の炎症に加えて、骨頭の壊死の疑いがあった。
私の着替えや、私の洗髪や、買い物でくたびれ果てた良人は、休日に車椅子を押して私を外に連れ出す元気すらなかった。
私もまた、車椅子に座っているのも痛みで苦痛だった。
そしてその後、重い光線過敏の症状が始まったのだ。
皮肉にもこの光線過敏の重い症状に驚いた、別の病院の医師が、
通院する大学病院の血液検査よりスクリーニングを上げて、
今の難病固有の抗体を発見して病名が確定した。
股関節の炎症の段階で整形外科の医師は、今の難病を示唆したし、素人ながらにそうではないかと私も思ったけれど、肝心の当時若かった主治医が否定し続けた。今の病名が確定したのは発病から4年ほど経ってからだった。
退院後10年近くサポートをしてくれた助け合いの会が解散となった時には、真っ暗になった。
サポートなしでは、再びの入院生活になってしまうと。
最後までサポートしてくれた方は、法人の解散手続きでいっぱいいっぱいで、次を探してあげられないと言う。
私は、支援してくれる先を必死で探した。
移送サービスで入会しているNPO法人にかけ合ったけれど、けんもほろろだった。3月の雨が降る夜に傘をさして訪ねたのだった。
そんな難病知ったこっちゃないという感じで、「人手がないからどうにもなりません。」とぴしゃりと言われた。
会費だって収めているのに。
この時のことも、忘れたくとも忘れられない哀しい出来事だった。

2020年5月17日日曜日

やんややんや



昨夜の続きを言わせてもらおう。
もしも、隣の部屋から
良人(りょうじん)の電話での仕事の話が聞こえて来たならば、
私は横槍を入れたりはしないつもりだ。
私は床の中から、
「牛男頑張れ!頑張れ!」
電話の相手も思い遣って
「みんなコロナに負けるな」
「前を向いて進もう」
「よし!行け!」
という声援を送るのだ。
ただそれだけなのに。

2020年5月16日土曜日

無口という病気24

置地廣場

 おはようもこんばんはも言わない無口という病気の良人(りょうじん)は、テレワークが続いている。
そんな中で気になることがある。
良人は、毎朝6時には、日の当たる部屋に閉じ篭って仕事をしている。
私は太陽光に全く当たることができないドラキュラなので、良人が仕事をしている日中は、太陽光を完全に遮断した居間で眠っている。


そして、ある昼間、良人がわざわざベランダに出て電話をしてることに気が付いた。
私は、ベランダのドアの開閉の音で目が覚めたのだった。
私はその電話の様子を覗き見ることはできない。
何故なら、私の眠る居間の窓は完全に塞いでしまっているし、そもそも太陽光が降り注ぐ景色など見ることはできないのだ。
私は半分夢の中で、「なんだ仕事だと喋るじゃないか。」 と思った。
思い返せば、「喋れ!」と私が言うと、それでは金をくれとばかりに良人は無言で手を差し出したことがあった。


 しかし、何故、わざわざベランダに出て電話をするのだろう。
私は良人に切り出した。
「私が隣の部屋で寝ているからといって、気を遣ってわざわざベランダに出て仕事の電話をかけなくても大丈夫よ。 私は、話し声で起きやしないから。」
すると無口という病気の良人が一言だけ喋った。
「いいえ、横槍を入れられるのが嫌だから、ベランダで電話しているのです。」


私には返す言葉がなかった。