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2020年1月31日金曜日

大事なのはインバウンド消費だったか



 私などは一溜まりもないだろう。
外から異物が体内に入ると、免疫の暴走で、自らの身体をいためつけてしまう難病だから。
新型コロナウイルスにもしも感染したなら、腎臓もいかれてしまうだろう。
日本では、とかく国民に不安を煽らないようにというメディアの論調だ。
厚労省も流行が認められているわけではない、感染症対策に一人一人が努めるようにという啓発程度のアナウンスだ。


昨日30日の時点で日本国内で感染者は12例目となった。
感染者は武漢渡航歴があったり、ツアーコンダクターであったり、また医療機関を受診しても、経過観察で帰されたりした経緯があるようだ。

 水際対策は果たして、迅速に的確に行われただろうか。
メディアに登場するコメンテーターは、概ね政府の対策は適切であると言う。
私は、後手に回ったという感じがしている。
中国からの渡航者をもっと早い時点で規制できなかったのか。
あたかも人権の問題があるように言われているけれど、本質はむしろインバウンド消費の落ち込みを懸念したのではないだろうか。
今や、日本の消費は弱く、百貨店を始めとする小売店の売り上げや、ホテル、地方の観光地はインバウンド消費に頼っている。
特にこの春節の訪日客の消費が大きい。


 これから、感染者が日本国内に広がるであろう。
特に、ウイルス感染者でも症状が出ない場合があると言うから素人が考えてもその対策は極めて難しいだろうと思う。
感染が広がれば、インバウンドの落ち込みなどと言ってはいられない。経済活動も停滞するのだから。 先には五輪も待っている。
一昨日から、武漢市にいる邦人の帰国が始まった。
当事者の不安や関係者の不安は測りしれない。
リスクに晒されてきた人たちの対応が最優先となるのは当然だろう。


厚労省の感染対策に張り付いているであろう、僅かな人員を想像すると、今や武漢からの帰国者の対応に終われる24時間ではないだろうか。水際対策、国内対策は遅くなるだろうな。
だから、もっと早く経済より、国民の生命健康を優先すべく水際対策を厳しく実施して欲しかったな。



2020年1月28日火曜日

今週の目標



 プータローで、かつ、
篭る生活を余儀なくされている私は、
クラス会が終わった後は、
腑抜けになるだろうと覚悟をしていた。
しかし、先週はいろんなことがあって、
どれにもこれもに動揺して、
酷く疲れてしまった。


今週は、珍しく目標を掲げようと思う。
何事にも動揺しないと。
鉄壁のような壁でバリアするのだ。
でもこれがなかなか難しい。
元来が小心者で、2008年からは光をバリアすることだけに
集中してきた。
他のことは勘弁して欲しいと思うけれど、
生きてるとそうはいかないことがいっぱいある。
光に当たることができないという問題が根本にあるから、逆に増えたとも言える。
皆様は今週の目標、
いやいやまだ1月ですからね、
今年の目標はどのようなものでしょうか。


今日の東京の最高気温は9度、最低気温は2度、雨時々雪の予報です。
皆様、お出かけの際は足元にはお気をつけください。


2020年1月27日月曜日

マスクほぼ完売



 昨夜21時の、国内での4例目となる新型コロナウイルス感染の厚労省の緊急記者会見の模様は、テレビでは放映されず、amebaTVのみで見ることができた。
報じるチャネルを絞って、日本政府も情報を出し渋っている感じがした。


22時近くに外に出て、
直ぐに出くわしたのが中国人ファミリーだ。
子供連れの4人だった。
間も無く別の中国人ファミリーも歩いてきた。
みんな先にあるホテルに帰るところなのだろう。
通り抜けたスーパーマーケットにいたのも、ほとんどが訪日中国人だった。マスクを付けている人もいればいない人もいる。
みんな大きな声で中国語で会話をしているので、直ぐにわかるのだ。
スーパーマーケットでマスクは、3箇所に売り場があるけれど、先週の木曜日には売り場の全てでほぼ完売だった。
次の入荷は月末だとスーパーマーケットのスタッフに言われた。
我が街では、10日ほど前から、訪日中国人が目につくようになっていた。


 とにかく政府は、正しい情報を直ちに広く国民に伝わるように、
伝えて欲しいな。
今日の東京の最高気温は6度、最低気温は2度、曇り後雪の予報です。
お帰りの頃は、雨か雪でしょうか。ちょっと月曜から気が重いですね。
とりあえず、マスクをお忘れなくどうぞ。



2020年1月25日土曜日

マックにて



老人と、ビジネスパーソンと、受験生とが同じ割合で、
マックを埋めていた。
いざ、綴ってみて焦っている。
私は、どこに、どの分類に入るのだろう。
夜道を行った歯医者の帰りの一休みに、マックに寄った。
今時分のマックにいる受験生は、大学受験と資格試験の両方がいる。2月以降、医療系の国家試験が目白押しなのだ。
火曜日に覗き込んだら、歯科技工士国家試験突破なる文字が目に入った。


夜がどんどん縮まっている。
日の入り時刻は遅くなり、
日の出の時間は早くなっているのだ。
やがて始発列車を見送る時刻や来店客が多い夕方にはマックに出かけることもできなくなる。
悲しき、ドラキュラの宿命だ。


今月4日、まだ闇が深い午前4時に、駅の改札近くのマックで熱過ぎるシナモンメルツを持て余していると、コンコンと小さいけれど音が聞こえて来た。次にカシャと響いた。
音の方に目をやると、二つばかり離れたテーブルに座る男がゆで卵を剥いていた。
つるりとなったゆで卵は、蛇に狙われたように一気に飲み込まれるのだろうと思って見ていた。
すると、男は卵をそっとサランラップの上に置いた。
その時、私は、卵がコンビニやスーパーで売られていたものではなく、自宅から持って来たものだとわかった。
50歳そこそこだろうか、男はショート丈の赤いダウンジャケットに白いパンツを履いていた。
次に男は、脇に置いたセカンドバッグから何かを取り出した。
それは透明な小さな袋のようなもので、卵の上で男は慎重に傾けた。
そのさまは、砂時計のくびれから、砂が落ちるようだった。
卵の上に、降りたのはお塩で、傾けられた透明の袋はジプロックだった。
男は、時々、敷いたサランラップこぼれたお塩をゆで卵に押し付けながら食べて、ホットコーヒーを飲んでいた。
実に美味そうだった。
そして、ジプロックにはまだお塩が残っていた。
そおっとお団子を出して食べているお婆さんを見たのは昨年の師走の夕方だった。
桃色と白と草色のまん丸のお餅が串にささった、昔話の絵本に出てくるような、お団子だった。
お婆さんは、パックに入った3本のお団子のうち、1本だけを出して食べて、マックのコーヒーを飲み干した。
これまた美味しそうだった。


今日の東京の最高気温は10度、最低気温は5度、晴れ時々曇りの予報です。
昨日の日中は確かに暖かかったそうですが、
ドラキュラが歩く夜には、暖かさを享受できませんでした。
今日は昨日の暖かさはないようです。
皆様におかれましては、良い週末をお過ごしください。

2020年1月24日金曜日

暖かな金曜日になりますように



 金曜日の今日は、東京ではぽかぽか陽気になると言う予報ですが、このところの厳しい寒さからは、到底想像できません。
今週月曜日が大寒で、この二日間は正に暦どおりの厳しい寒さとなりました。
お疲れ様のビールの画像をお届けしようかと思いましたが、
深夜の今はやはり寒々しく、今日の春の陽気と言う予報も信じ難いので、華やかなほうじ茶に致しました。


予報どおり暖かい金曜日となりますように。
皆様、何はともあれお疲れ様でした。
今日の東京の最高気温は13度、最低気温は6度、曇り時々晴れの予報です。

2020年1月23日木曜日

真夜中のファミレス最終回の2



どうしてだ、どうしてだ、どうしてだと5時間も考えているうちには、
どうしてだ、どうしてだ、どうしてだが呪文のようになっていって
やがて眠ってしまった。
一昨夜のこと。
目が覚めたら、日付が変わっていた。
もう21時間も窓を潰した部屋に篭っていることになる。
とにかく外に出よう、これでは精神も蝕まれていくだろう。
まだ、ファミレスは営業していた。
深夜営業は残すところあと一週間、言わばラストランだ。
血液検査の結果がさらに悪くなっていた。
悪化は一昨年前の秋からで、その時はこの夏の酷暑による疲労からではないかと医師から言われた。
けれどその後もどんどん悪くなる一方で、昨年の6月から加速度がついたように歯止めなく悪化している。


行けるうちに行こうじゃないか。
真夜中に、深い闇の底に突き落とされても、
まだかろうじて掬い上げてくれる所があるのだから。
ファミレスの店内は、月曜の深夜より人がいた。
私の指定席には、見慣れないお姉さんが一人座っていた。
さらにその先、二つテーブルを挟んで、またお姉さんがいた。
私もお姉さんたちと同じ空間で同じ空気を吸いたかったけれど、照明が許してくれなかった。
仕方なく衝立の向こう側のドラキュラに安全な席に着いた。
私の並びに、二つテーブルを挟んで、残業の果て、始発を待っているのであろう若い男がテーブルに突っ伏していた。
北海道産インカのめざめ4種チーズのカルボナーラ風ディップ

 注文を取りに来てくれたのは、最近髪をバッサリ切った色白の若い女性スタッフだった。
出来上がった北海道産インカのめざめ4種チーズのカルボナーラ風ディプを熱いから気をつけてと言ってテーブルに置いてくれたのは、男子大学生だ。女性スタッフにはかれこれ3年、男子大学生には4年お世話になっている。
男子大学生は最初の頃に、母親が訪ねて来た。 
テーブルの向こうに座っていた小柄な女性の顔が、男子大学生と瓜二つだったので、私は直ぐに親だとわかった。
母親は、静かに食事をすませた後、テーブルを立って、深夜働く他のスタッフに「ご迷惑をおかけするのではないかと。よろしくお願いします。」と言って頭を下げて帰って行った。


 熱々のインカのめざめは、サツマイモより、栗より甘かった。
それだけでも美味しかったけれど、カルボナーラ風のディップに絡ませて食べると、とろけそうになるほど美味しかった。
美味しさと、半分ヤケになったような気持ちもあって、インカのめざめをさらに注文した。


 満月の夜も、月なき夜も、
どんなに落ち込んでも、もう、私が座ることができる椅子はないのだ。
カルボナーラ風ディップの上に浮かんだ、満月にそんな恨み節を呟いた。


真夜中に、ただひたすらに、落ちてゆくだけになるのだ。
二皿目のインカのめざめを食べながら、自宅からぶら下げて来た新聞を広げた。
皮肉にも、すかいらーく24時間全廃の文字が踊っていた。


私は一人苦笑した。
間も無く私服姿のスタッフ、男子大学生が通る姿が目に止まった。
「お疲れ様」と声をかけた私に、彼はあっと言って微笑んだ。
店内には、テイクアウトのピザやハンバーグを置いたまま、
食事してドリンクを飲み続ける女がいた。
男性客も二人ばかり入って来た。常連のおじいさんも知らぬ間に座っていた。
「ねえ、みんな、知ってるの?もうここは深夜に営業しないのよ!みんなどうするのさぁ。」
ドラキュラである私は、一人、一人のテーブルを叩いて言って回りたい気持ちになった。


インカのめざめは、美味しかった。
ドラキュラがめざめて、 行く先はなくなる。
何年かのちに、昔むかし、ファミレスが夜中に営業していたことがあったと語られるのだろうか。
それは、闇夜に煌々と輝くファミレスが幻の不夜城ごとくに。
今日の東京の最高気温は7度、最低気温は4度、雨時々曇りです。
寒い日となりそうです。皆様も風邪等にお気をつけてマスクをお忘れなくどうぞ。

2020年1月21日火曜日

真夜中のファミレス最終回



水色の紫陽花のような女性スタッフの 薄い唇が、
さよならと動いたように見えた。
私は崩れそうになった。
ついにすかいらーくも展開する全店舗で深夜営業を止めることを発表した。
段階的に止めるという一行に、情けを感じて、冷たい風を頬に受けて夜道を歩んだ。
せめて、丑三つ時までは営業して欲しい。
夜風が冷たい間は、深夜営業を続けて欲しい。
それはドラキュラの切なる思いだった。
しかし、ドラキュラにとって残酷な宣告となった。
営業は0時まで、ラストオーダーは23時半まで。
実施は2月1日からだと言う。


これが、ドラキュラにとって真夜中最後の晩餐になるだろう。
奮発して、ジョナサンの季節メニューの海鮮丼膳にした。


酷い宣告とは裏腹に、付いてきた小鉢は優しい味だった。
思わず眼が涙で滲んだ。
真夜中のファミレスには、いつもドラマがあった
元ダンサーだったであろう女いつも黒い服を着ている女、
残業で帰宅できなくなって始発電車を待ちながらご飯をかき込む男、ハンバーグとグリルソーセージを食べて、ジョッキに入ったスムージーを豪快に飲み干す百貫デブ、
みんなみんな今では愛おしい真夜中を生きる仲間だったのだ。


1時を回って、黒いニットの帽子をピタリと被った女が入ってきた。女は、コンセントを使いたいからと、前の客のグラスを片付けて欲しいと言って、テーブルを拭くスタッフに「すみません。」と言っていた。
細い身体の女は楚々として、30代だろうと思っていた。
悲しさと、悔しさと、前途の不安で、わーっとなった私は、女には見向きもせずに、ひたすらに食らった。
食べ終わって、椅子の背もたれに力なく寄りかかった時、
改めて、二つ離れた席に座る女を見た。
サングラスを外して、メガネをかけてよくよく女を見ると、
黒いニット帽に抑えられた髪が肩まであって、俳優の天本英世さんにそっくりな女で、私はギョッとなった。
背筋は伸びてキリリとしていたけれど、結構な歳の女で、色黒の肌にシワがくっきり刻まれていた。
オニオングラタンスープを啜っていた。
不気味な女は、ドラキュラの真夜中最後の晩餐にはふさわしい仲間にも思えてきた。


 帰途、丑三つ時の深い闇の上の方で、
カーカーカーと烏の鳴く声が響いた。
行き場を失くしたドラキュラは、烏に行き先を尋ねてみたかった。
今日の東京の最高気温は11度、最低気温は4度、晴れの予報です。
今日も当ブログにご来訪いただきまして有難うございました。

2020年1月19日日曜日

クラス会



 細い糸を丹念に丹念にたぐり寄せてくれたあんこさんのおかげで今日このクラス会を開くことができたのです。
と司会の幹事がクラス会のおしまいに、私に花を持たせてくれたけれど、私がやったことと言えばそれだけなのだ。
昨年から暖冬だと思われる暖かい毎日だったのに、
昨日に限って東京は未明から冷たい雨が降り続き、多摩地域北部に住まう幹事の一人は、吹雪の中を出て来たと言う。
冷たい雨の中、藤沢に集ったクラスメイトは最終的には17人、そして恩師も出席してくれた
会場となったノカテーブルは、野菜にこだわった料理を提供すると言う看板どおり、趣向を凝らした野菜を中心とする料理が美味しく、ゆっくり味わいたい品々だった。


今回は私を含めて幹事は4名だった。
もう日が伸びてきているので、当然のように遅刻した私が着席するとお料理がのった小皿の下に品の良い薄紫色の栞がテーブルにあった。A5サイズのその紙には、出席者の名前とメッセージをくれた欠席者の名前、裏にはクラスメイト全員の名前もあった。この栞と集合写真が納められる気の利いたアルバムタイプの寄せ書きを用意したのは幹事長だった。
 全員の名札を用意したのは、司会を務めた幹事だった。名札作りは、ご子息に委ねたのだろうと思ったら、お偉いさんが自ら、印字して、切って、ネームプレートに差し込んで、製作したと言う。
私の雑な案内文章を、二人はいつも「素晴らしい!名文だ!」と褒めそやす。私はその度に、いつもこうやって部下を使っているんだなと思う。
私のザルのような仕事に、手を加えて、非の打ち所がないものに仕上げてくれるのが、もう一人の幹事だ。
こちらは、ああだ、こうだ、違うだろうと言ってこないけれど、
さらりと手が加わっていたり、メールのやりとりのちょっとした間合いや、短い言葉の中に意を感じることがある。なかなか手厳しい。

さて、93歳になる恩師は、幹事長が同行してタクシー送迎を要したものの、しゃんとしてお元気だった。
生徒の私は杖だと言うのに、先生は杖もなく、二つのテーブルを
ちゃっちゃと歩いて移動した。
恩師は、遅刻常習犯の生徒の自宅に毎朝電話をしたと言う話もあるけれど、毎朝自宅まで迎えに来られたと言う話もあった。
 私も毎日遅刻していたけれど、私が酷く先生に怒られたのは、教室の一番後ろに机を移動させて、一人でポツンと一軒家のように、授業を受けることだった。
「自学自習」をモットーに放任主義の学校なのに、珍しい先生だと当時の私は、思っていた。今では申し訳なかったと思う。そして、昨年11月末の他のクラスの同期生との飲み会で、恩師と年賀状のやりとりが続いていると聞き、今回の卒業以来初めてのクラス会に先生をお招きすることになったのは、偶然ではない何かが働いたのではと思ったりもする。



高校三年生の青いあの時、教室で、
親しかったクラスメイトは、日本を出て海外で生きて行くと豪語した。
そして、
「貴女はこの地元にしがみついて暮らすだろうから、みんなの連絡委員をやりなさいよ。」と私に言った。
彼女は、有言実行、早くに日本を脱出してアメリカで生きている。
私は、早くに地元を離れたけれど、今、それが定められた運命かのように連絡委員をしている。


今回、溢れ話が一つある。
北海道で教員をしているクラスメイトが、消息不明のクラスメイトの一人をたぐり寄せてくれた。
掻い摘んで言えば、「定期試験がない、制服もないと言う高校だった」と誰かに話たところが、あれあれ、誰かもそう言う高校を卒業したと言っていた、その人の名前は?となって、
その名前がクラスメイトだったと言うことのようだ。
所在がわかったクラスメイトは、北海道からは、遠い本州関東にいて、今回出てきてくれた。
そして、北海道からはるばる上京して来た友人は、土曜日の夜だと言うのに急な仕事の連絡が入って、二次会には参加できなくなった。
今、教員の働き方も問題になっているけれど、やはり大変なんだな。



2020年1月18日土曜日

明日クラス会



群集の中に飛び込むのは、覚悟を要する。
恐怖や緊張感に苛まれた後、ごくんと唾を飲み込んで、えいっやーと飛び込むのだ。
それは100人以上集う同期会の時で、迫り来る同期会と言う感じになる。
それに比べると、20人程度が集うクラス会は近づくと言う感じで、恐怖感は全くない。
あえて言えば、「照れ」があるだろうか。


 正確に言えば、もう今日になるクラス会は高校の三年生の時のクラスメイトが集う。
高校卒業後初めてのクラス会だ。
これより前、2013年と2018年に開かれた有志同期会で我がクラスの出席者は10人と少しだったので、この度のクラス会で卒業後初めての再会となるクラスメイトもいるのだ。
あまりにも長い時が経って、
93歳になる恩師が電話で「みなさん、ずいぶんと大きくなったのでしょうね。」とおっしゃったけれど、
もう縮み出しているのだから、この点では再会は恐ろしくもある。



 フーフーと衣装合わせをした。
衣装は新調できなかったので、大昔のスーツをひっぱりだして、
着たり脱いだり、帽子を合わせたりした。
スーツは健康で働いていた時のものだからもう15年以上も前のものだ。
明日、クラス会に向かう電車の中で、揺られながら、
やっぱり断捨離しないで良かったと考える自分の姿が浮かんでくる。


 とりあえず衣装が決まって、さてブログの更新と構えたら、
他の幹事からメールが届いていた。
急遽、欠席になるかもしれないクラスメイトがいるのだ。
ご本人もとても楽しみに卒業アルバムを眺めていたと言う。
幹事代表は、この件でお店に連絡 したと言うメールも届いていた。
「衣装合わせをしていてメールに気がつくのが遅くなりました。・・・」という私のメールに返信はない。

2020年1月16日木曜日

ゴーン被告の逃亡劇が映画化?



 アメリカCBSテレビのインタビューで、
ゴーン被告は、この度の逃亡劇の映画化の提案がハリウッドからあったことを認めたと言う。
そして、この映画化にゴーン被告は前向きだと報じられている。


日本には「悪乗り」と言う言葉がある。
置地廣場

 今日の東京の最高気温は10度、最低気温は4度、晴れ時々曇りの予報です。
本日もブログにご来訪いただきまして有難うございました。


2020年1月15日水曜日

通院辛苦



ずしっと辛さが重くなりました。
闘病も15年になります。
後に明らかになる検査結果が、
少しでもマシになっていれば、
トゲトゲと突き刺さってきているいろんなことが、
なんと言うこともないように思えたりするのでしょうけれど。
今は大きなサボテンを背中に背負って歩いている感じです。


同じような思いで暮らしている人もきっといるでしょう。
今日の東京の最高気温は12度、最低気温は5度、曇り時々雨の予報です。
皆様のご来訪に感謝して眠ります。