思いがけず祭壇はピンクのバラとピンクのゆりの花で埋め尽くされていた。
故人はピンクが好きだったのだろうか。
お世話になったNさんのお通夜に参列した。
Nさんの遺影が切ない表情で、
思わず泣いてしまった。
涙がみっともないぐらい止まらなくなってしまった。
朗らかな方だったのに。
お疲れの時の写真だったのだろうか。
改めて、Nさんが代表を務める法人の年史を読んだら、
ケアをしてくれる会員の方は、ヘルパーさんではなくワーカーさんだった。
いつもNさんとお呼びしていたけれど、友人に説明するときは、ヘルパーさんと言ってしまっていた。 大いに反省するところだ。
子供たちがそれぞれに独立して、ゆっくり過ごす人も多いシニア時代に、社会貢献の道を選んだNさんには、改めて頭が下がる。
地域で支え合い助け合うというNPO法人の設立趣旨に賛同して、途中から会員になったそうだ。
Nさんは、朗らかで、思いやりが深くて、公平な人だった。
ケアを受ける立場で、注文なんぞ付けられないけれど、
ワーカーさんが朗らかであることは有難いことだ。
私などは、この世の不幸を1人で背負ってしまったと落ち込んで、来る日も来る日も真っ暗闇夜だ。
暗いワーカーさんだったらさらにがっくりしそうだ。
明る過ぎてもよろしくない。
明るさが心に突き刺さって、なんだか白ける気持ちになりそうだ 。
思いやりについては、そもそも思いやりがなければ、こういう仕事を志願しないだろう。
室内の灯を遮るため、広げた傘の元で、横になっていると「大丈夫ですか?」とNさんがそっと覗いてくれた。
そんな時に、
「気合が足りないから、病気になるんだ!さあ、起きろ!」なんて布団を剥ぎ取るスパルタだったら、 私は絶望しただろう。
公平さだって大事だ。
夫婦共働きで高収入だけれど、子育てに支援は必要だという家は羽振りが良かろう。けれど、私などは医療費ばかり高額で、稼ぎがなく、日々財政難なのだから、規定の料金しかお支払いができないのだ。
「富める方には、優しく、そうでない人には、それなりに」をモットーにしている人だったら、私は、落ち込み虫にひがみ虫の根性悪になってしまっただろう。
今はまだ、Nさんに申し訳ないという思いだけで心が埋まってしまっている。
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