私はいろいろな人にサポートしてもらって生きている。
木曜の夜は、
真っ暗になった7時15分に迎えにきてもらって
故郷まで運んでもらった。
再び運んでもらって帰宅したのは深夜11時15分だ。
私を運んでくれるのは、隣の区のNPO法人で、かれこれ10年近くお世話になっている。
きっかけは父の入院に伴って、夜私がその病院に通うためだった。
難病を患う娘に故郷の公立病院は冷たかった。
娘が日中医師の話を聞きに来れないなら、例え紹介状があっても
父を診ることはできないと言うものだった。
戸籍上家族がいなければ 診るとも言われた。
なまじ生きている家族がいる場合、治療方針等の同意に書類だけでは法的に認められなからと言うことだった。
父の治療は急を要して、その時私は気が動転した。
私の抱える難病を理解して父の病の治療をしてれる病院を探すのには苦労した。ようやくにして見つけて、医師も夜に会ってくれるというけれど、そう遅くなるわけにはいかない。夏は多少の薄明かりの夕暮れに、遮光支度で車で運んでもらうしかなかった。
いろいろなところに電話をして、力になるからと言ってくれたのが隣の区のNPO法人だったのだ。
別のNPO法人にはお掃除などのサポートをしてもらっている。
入退院を繰り返していた13年前に、隣の患者が教えてくれたのだ。
家事をサポートしてくれる助け合いの会があるから入会したらどうかと勧めてくれたのだ。
退院前に、電話で入会をさせてもらって、退院後の生活をサポートしてもらったのだ。以来、私は入院せずに自宅で生活ができている。
その法人が3年前に、 解散した時は、次がなかなか見つからなかった。どこも介護保険事業で手一杯、人手不足なのだ。
民間の家事援助は高額でとても支払えない。
そんな時に、今のNPO法人がなんとか引き受けてくれたのだ。
木曜の夕方、故郷に帰る支度の途中でメールを見ると、
思いもよらないことが綴られていた。
3年前からずっとお世話になって、つい先週の金曜日もGW中も来てくれたヘルパーさんで、法人の代表も務めていたNさんが逝去したと言うのだ。
「こんにちは」と先週の金曜にも優しい声で、
玄関から声をかけてくれて、掃除をしてくれたのだ。
湖水のように心が綺麗で、思いやりが深くて、立派な人だった。
「こんにちは」に返す私の「すみません。」と言う声で、
その日の私がくたばっているかどうか察してくれていた。
昨年の夏のおしまいにエアコンが壊れて、保冷剤を脇に挟んでフーフーしていた私の異変にNさんは、私の声だけで気がついた のだ。居室の窓は太陽光を遮るため塞がれていて開かない。
慌てて玄関から入って来たNさんは、股にも保冷剤を当てるように言ってくれた。
Nさんの法人では、子育て支援が主な仕事になっているらしい。
保育園や小学校の後、両親のどちらかが帰宅するまで面倒を見るそうだ。子供の塾や習い事に付き添い、夕食を作り、お風呂に入れて、寝かしつけると言うことのようだった。日曜は日曜で独居の高齢者のサポートもあったみたいだ。
先週の金曜日、Nさんに時間が余ったから何かすることがあるかと聞かれて、私は、床のクイックルワイパーがけを頼んでしまった。
それがどうにも悔やまれる。
お加減が悪くなったのはその翌々日だそうだ。
私の方は生き延びていて、Nさんの寿命を縮めてしまった。
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