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2018年5月30日水曜日

ヘルプマーク



 ヘルプマークを初めて手にした。
そしてこれをバッグにぶら下げてお通夜に参列したのだ。
お通夜は、帰宅時のラッシュアワーに当たるので、
優先席に座ることは難しいと思ったからだ。
ヘルプマークの存在は昨年知ったけれど、多くの障害のある方たちと同様に私もこれをもらいに行くことができないのだ。
ヘルプマークは、外見からはわからない人工関節の人や難病の人、妊娠初期の人などの援助や配慮が必要な人のサインだ。
 配布しているのは、都営地下鉄のいくつかの駅と都バスのいくつかの営業所だ。都バスの営業所の営業時間に行くことはできないし、都営地下鉄の指定駅まで行くのが厄介だ。
  最近の新聞記事に障害のある人がこのヘルプマークをもらいに出ることができずに、仕方なくネットで購入したとあった。
本来無料で対象者に配布されるものだ。
私は、このヘルプマークは「絵に描いた餅」と思って諦めていた。この赤い札をぶら下げても、優先席に座れるとは限らないとも思ったからだ。私は杖歩行だけれど、優先席に座われることは滅多にないから。
 私が座席に座れないことでの支障は、電車内の低い天井に張り付いた蛍光管やLEDの光だ。立ちんぼだと顔や眼、上腕に光源が 近くて、眼の痛みや皮膚の痛みで乗車がままならないのだ。
だから、電車を利用するのは、外出が可能な夜間のなるべく土日など休日を選ぶのだ。平日夜の場合は、混み合った電車は乗車を見送って優先席が空いていることを確認してから乗車している。


 お通夜は平日だった。
そこで障害者支援センターの担当者にヘルプマークが欲しい旨をを話してみた。
するとセンターのスタッフが都営バスの営業所まで取りに行ってくれて、自宅まで届けてくれて入手することができたのだ。
いざこの目立つマークをぶる下げて乗車したものの、優先席付近は密林の人だ。
 優先席に座る人たちにこのマークが見えるはずもない。
私は、密林の隙間から優先席を覗いて見た。
すると、3人がけの真ん中の女性は、メイク中だった。ファンデーションを塗ることから始めていた。その右の女性はお菓子のタブレットを口に放り込んだかと思ったら、スマホに夢中になった。左の男性はスマホに夢中で顔を上げない。
密林の中の隣の男性が私の杖に気がついて、優先席を覗き混んで、眉を描いている女性を見て、ため息をついていた。
顔をガードするために完全遮光の帽子を出そうとした時、電車が急停車して私は、優先席の前に押し出された。
するとタブレットを食らう女が気がついて席を譲ってくれた。
杖に気がついたのか、ヘルプマークに気がついたのかどちらだかはわからない。

 
 これを機会に、 ヘルプマークをぶら下げようと思う。
そうすることで周知されるかもしれない。
周知されれば、他の誰かが救われるかもしれないのだ。

ピンクのバラ



 思いがけず祭壇はピンクのバラとピンクのゆりの花で埋め尽くされていた。
故人はピンクが好きだったのだろうか。
お世話になったNさんのお通夜に参列した。
Nさんの遺影が切ない表情で、
思わず泣いてしまった。
涙がみっともないぐらい止まらなくなってしまった。
朗らかな方だったのに。
お疲れの時の写真だったのだろうか。
  改めて、Nさんが代表を務める法人の年史を読んだら、
ケアをしてくれる会員の方は、ヘルパーさんではなくワーカーさんだった。
いつもNさんとお呼びしていたけれど、友人に説明するときは、ヘルパーさんと言ってしまっていた。 大いに反省するところだ。
子供たちがそれぞれに独立して、ゆっくり過ごす人も多いシニア時代に、社会貢献の道を選んだNさんには、改めて頭が下がる。
地域で支え合い助け合うというNPO法人の設立趣旨に賛同して、途中から会員になったそうだ。


 Nさんは、朗らかで、思いやりが深くて、公平な人だった。
ケアを受ける立場で、注文なんぞ付けられないけれど、
ワーカーさんが朗らかであることは有難いことだ。
私などは、この世の不幸を1人で背負ってしまったと落ち込んで、来る日も来る日も真っ暗闇夜だ。
暗いワーカーさんだったらさらにがっくりしそうだ。
明る過ぎてもよろしくない。
明るさが心に突き刺さって、なんだか白ける気持ちになりそうだ 。
思いやりについては、そもそも思いやりがなければ、こういう仕事を志願しないだろう。
室内の灯を遮るため、広げた傘の元で、横になっていると「大丈夫ですか?」とNさんがそっと覗いてくれた。
そんな時に、
「気合が足りないから、病気になるんだ!さあ、起きろ!」なんて布団を剥ぎ取るスパルタだったら、 私は絶望しただろう。
公平さだって大事だ。
夫婦共働きで高収入だけれど、子育てに支援は必要だという家は羽振りが良かろう。けれど、私などは医療費ばかり高額で、稼ぎがなく、日々財政難なのだから、規定の料金しかお支払いができないのだ。
「富める方には、優しく、そうでない人には、それなりに」をモットーにしている人だったら、私は、落ち込み虫にひがみ虫の根性悪になってしまっただろう。
今はまだ、Nさんに申し訳ないという思いだけで心が埋まってしまっている。



2018年5月28日月曜日

涙活



 涙活というのをテレビで知った。
泣くことで副交感神経が優位に働いて、リラックスできるということだ。
しかも、一回泣けば、その効果は一週間持続するともいう。


活力が乏しい私は日頃から「活」という言葉に憧れていた。
就活、朝活、はしようにもできない。
婚活は、かつては必死だったけれど、必要がなくなった。
笑うことが健康に良いとよく言われる。
こんな難病奇病を患っていて、どうして笑えるかっていうのだ。
考えて見ると、笑うのは一年に一度あるかないかだ。


 一方、泣くことならいつだって泣ける。
闘病生活は13年を超えた。
しかもこの闘病生活には、ゴールがない。
夜しか外出できない不自由な生活。
防ぎようのない家電の稼働ランプの光で、
家の中ですら安泰な場所がない。
負担の大きい医療費。



ところがいざとなると泣けなかった。
過去に泣き続けて涙も枯れたということもある。
私の場合、病の発病が母の亡くなる直前だったのだ。
その時から、股関節の壊死やリウマチ症状による痛みでまる6年毎日毎日泣き続けた。
涙活の実績としては立派なものだ。
ここに来ておいそれ泣けない理由は、
光をプロテクトする大事な日焼け止めが流れ落ちるからだ。
まさに泣くに泣けないとはこのことだ。
真っ暗な浴室で、入浴の時にわぁーわぁーと泣くしかないな。

2018年5月27日日曜日

夏の焼きそば



 良人に、かかる大学病院に行ってもらった。
難病認定更新手続きに必要な書類を出してもらうためだ。
「こっちは毎日働きに行っているんだ。
土曜日ぐらいゆっくり寝ていたいんだ。疲れているんだよ!
もう毎年毎年いいかげんにしてくれよ。」
と良人は思っているかもしれない。
 けれど、
「焼きそばと惣菜パンと・・・」と独り言を言って、
良人は朝から出かけて行った。
良人が何時に戻って来たか定かではない。
私は、帰省の疲れもあって起き上がれないでいた。
「暑い中、どうもありがとうございました。大変感謝しています。」 と私はとって付けたように言った。
日中出かけることができない私は、
昼間の暑さがわからない。
以前入院中の真夏に、まだ乾いていないパンツを持って来た良人をベッドの上で酷く叱責したことがあった。
その時、無口という病気の良人が「外がどんなに暑いと思っているんだ!」と怒ったことがあった。


 眼が覚めると、
 惣菜パンと焼きそばがテーブルに置いてあった。
真っ赤な紅生姜が毒々しくのっている焼きそばは、病院の近くで売っているものだ。
良人は、屋台の焼きそばのようなこれをモチベーションに行ってくれたのか。
良人にも感謝しないといけないな。

2018年5月26日土曜日

心痛む



 私はいろいろな人にサポートしてもらって生きている。
木曜の夜は、
真っ暗になった7時15分に迎えにきてもらって
故郷まで運んでもらった。
再び運んでもらって帰宅したのは深夜11時15分だ。
私を運んでくれるのは、隣の区のNPO法人で、かれこれ10年近くお世話になっている。
きっかけは父の入院に伴って、夜私がその病院に通うためだった。
難病を患う娘に故郷の公立病院は冷たかった。
娘が日中医師の話を聞きに来れないなら、例え紹介状があっても
父を診ることはできないと言うものだった。
戸籍上家族がいなければ 診るとも言われた。
なまじ生きている家族がいる場合、治療方針等の同意に書類だけでは法的に認められなからと言うことだった。
父の治療は急を要して、その時私は気が動転した。
私の抱える難病を理解して父の病の治療をしてれる病院を探すのには苦労した。ようやくにして見つけて、医師も夜に会ってくれるというけれど、そう遅くなるわけにはいかない。夏は多少の薄明かりの夕暮れに、遮光支度で車で運んでもらうしかなかった。
いろいろなところに電話をして、力になるからと言ってくれたのが隣の区のNPO法人だったのだ。


  別のNPO法人にはお掃除などのサポートをしてもらっている。
入退院を繰り返していた13年前に、隣の患者が教えてくれたのだ。
家事をサポートしてくれる助け合いの会があるから入会したらどうかと勧めてくれたのだ。
退院前に、電話で入会をさせてもらって、退院後の生活をサポートしてもらったのだ。以来、私は入院せずに自宅で生活ができている。
その法人が3年前に、 解散した時は、次がなかなか見つからなかった。どこも介護保険事業で手一杯、人手不足なのだ。
民間の家事援助は高額でとても支払えない。
そんな時に、今のNPO法人がなんとか引き受けてくれたのだ。


 木曜の夕方、故郷に帰る支度の途中でメールを見ると、
思いもよらないことが綴られていた。
3年前からずっとお世話になって、つい先週の金曜日もGW中も来てくれたヘルパーさんで、法人の代表も務めていたNさんが逝去したと言うのだ。
「こんにちは」と先週の金曜にも優しい声で、
玄関から声をかけてくれて、掃除をしてくれたのだ。
湖水のように心が綺麗で、思いやりが深くて、立派な人だった。
「こんにちは」に返す私の「すみません。」と言う声で、
その日の私がくたばっているかどうか察してくれていた。
昨年の夏のおしまいにエアコンが壊れて、保冷剤を脇に挟んでフーフーしていた私の異変にNさんは、私の声だけで気がついた のだ。居室の窓は太陽光を遮るため塞がれていて開かない。
慌てて玄関から入って来たNさんは、股にも保冷剤を当てるように言ってくれた。
Nさんの法人では、子育て支援が主な仕事になっているらしい。
保育園や小学校の後、両親のどちらかが帰宅するまで面倒を見るそうだ。子供の塾や習い事に付き添い、夕食を作り、お風呂に入れて、寝かしつけると言うことのようだった。日曜は日曜で独居の高齢者のサポートもあったみたいだ。
先週の金曜日、Nさんに時間が余ったから何かすることがあるかと聞かれて、私は、床のクイックルワイパーがけを頼んでしまった。
それがどうにも悔やまれる。
お加減が悪くなったのはその翌々日だそうだ。
私の方は生き延びていて、Nさんの寿命を縮めてしまった。

2018年5月23日水曜日

疲れた日はシウマイ弁当



疲れた時は、シウマイ弁当に限る。
旨し!
ムカつくことも忘れさせてくれる。


日の入り時刻が伸びて、
もはやシウマイ弁当を買いに出ることはできなくなった。
良人に仕事帰りに買ってきてもらった。


難病認定の更新手続きの時期を迎えたのだ。
医療券、
これは難病認定証のようなものなのだけれど、
その写しを2回連続で紛失した薬局が
記載した書類はやはりはちゃめちゃだった。
薬を自宅まで届けてくれる薬局だから、
別の薬局に変えるというわけにはいかないのだ。
昼間ひょこひょこ出て歩くことができれば、
管理の行き届いた薬局にするのだけれど。
それができたなら、そもそもこんな手続きを毎年することもないのだ。
良人は中華弁当だった。


中華弁当はシウマイが2個というのが、
私にはどうも物足りなく感じる。
薬局のお姉ちゃんが、
今日、書類を直して持ってくると言った。
お姉ちゃんは眉毛を剃り上げて、金髪にしていた。
「ありがとうございました!」の一言だけにしておこう。


今日の東京の最高気温は21度、最低気温は16度、
曇り後雨の予報です。
鬱陶しい雨の季節に入りますが、
なるべく疲れないように生きてまいりましょう。

2018年5月21日月曜日

同窓会に向けて



 空想をブログに綴る私に、
同窓会仕掛人から届いたのは、
同窓会のクラス内出欠席の取りまとめ役をやって欲しいというメールだった。
時間はたっぷりある私だ。
太陽に当たることなくできる仕事だし、
断る理由などない。
 クラスメイトのメールリストが早速届いた。
案内メールを一斉に送れば、任務の半分は終了だ。
時間があるがゆえに、
クラスメイトのリストをじっくりと眺めた。
うっ、嫌な奴がいる。
ここから、よからぬことを考え始めた。
しれっと、こいつを外して送信しようか。
別のクラスの友人に、その事をメールしてみた。
すると、青臭いメールが返ってきた。
「それは、よくないだろう。」と。


次に考えたのは、
そいつにだけ文面を変えて送ってやることだ。
「この度の同窓会は席が指定されています。
○○様におかれましては、勝ち組席、左から2番目 となっております。当日お間違えなきようお願いいたします。」
プライドの高い奴は、「何?俺が2番目?」「じゃあ一体誰が1番だっていうんだ!」
引きつった顔が目に浮かんできた。


 ここで、同窓会に招かれざる「同窓生」について考えてみた。
まずはやはり自慢屋だろう。
自らの地位、名誉、財産について語ったり、ちらつかせたりする奴だ。
自らより上はいないと思っている勘違い野郎ともいえよう。
誰かが学生時代に「お前の鼻は団子鼻だぞ!」と言ってやるべきだったのだ。
社会に出ると自信満々の奴に、敢えて「苦言」などしないものなのだ。
次は、「話をへし折る」奴だ。
みんなが、昔のゴシップなどで盛り上げっている時に、
「まあまあ」なんて得意げに、話を止めて、
「しっー」なんて口に人差し指を当てて場をしらけさせる奴だ。
最後に、それ以外にどんな奴が疎まれるか。
これに思い当たるには時間がかかった。
第3の招かれざる同窓生とは
「大して面白くもない自らのブログを読んで読んで〜」と押し売りする奴だ。



 今日の東京の最高気温は25度、最低気温は15度、晴れ時々曇りの予報です。
自分で綴って、落ち込んでしまいましたよ。
皆様におかれましては、今週も充実した一週間になりますように。

2018年5月20日日曜日

ワクワクおみや



高揚して良人が帰宅した。
抱えていたのは、
ゼリーだった。
一昨日も良人は、愛するママの元に帰った。
2人は燃えているな。


西瓜型のゼリーや桃に私もワクワクした。
子供の頃にメロン型の容器に入ったメロンシャーベットがあった。
暑い夏に、公園のブランコに座って、
毎日食べたそれを思い出した。
葡萄は普通のゼリーのカップだった。
「牛男ちゃんこれ見て!」
「ああっ!」
愛し合う2人は楽しいものを見つけてくるものだ。
ケチ嫁は、生の果物より高いその価格を聞いて、
とりあえず見るだけ、撮るだけ。


2018年5月19日土曜日

品川ナイト



ぼやっと出かけて、
カメラの電池を入れ忘れていたことに気がついたのは、
目的地の品川駅に着いた時だった。
数日前から、
憂鬱の虫が背中に貼っ着いている。
ついに来たか、
闘病13年目にして、
鬱病の始まりかという感じだ。
大抵の人は、こうした闘病生活10年で陥るらしいけれど。


いつものカフェでは、
憂鬱の虫が剥がれそうにもないので、
品川まで出かけることにしたのだ。
ブログを遡ると品川も半年ぶりだ。


じめっとした金曜の夜の電車は、
疲れきった人々でいっぱいだった。
そんな電車を一台見送って、
少し空いている電車に乗った。
思いがけず、席を譲ってくれる人がいた。
雑踏に紛れて、交差点を渡って、
3着ばかり洋服を試着してみたりすると気が紛れていった。

閉店間際にふらっと入ったブティックでワンピースを買った。
いつになく迷いがなかった。
すると気分がかなり上向いて来て、ウイング品川ウエストにある玉寿司に初めて入った。
ウイングウエストの食事処は、忙しくて、追い立てられるようで全く寛げなかったという印象が強く残っていて、倦厭していた。
昨夜は、お寿司が食べたかったので、玉寿司をちょっと覗いて見たのだ。
店内は静かだったし、案内された席の頭上には、ライトもなかった。


会計は極めて明朗で、
ネタ別の値段がそれぞれ明記されていた。
だいたい一貫200円、300円といった感じだ。
安心のお値段に、好みのネタ、
漬鮪、鰤、鰯、鯵、手巻きの鮪を注文した。
とても美味しかった。
電池のないカメラが悔やまれた。

僅か8貫と手巻き1本でぽんぽこりんになって、
その後、スィーツどころかコーヒーも入らない感じだった。
気に入った物を買って、美味しい物を食べて、
気分上々になるのは、
28歳にしては少々古いかもしれない。
今は「コトで」だろう。
まあ、こうやって背中に貼りつく憂鬱の虫を剥がしては、
捨て、また剥がしては捨てて
やっていくしかないのかな。

今日の東京の最高気温は28度、最低気温は21度、雨のち晴れの予報です。
皆さまにおかれましては、素敵な週末をお過ごしください。


2018年5月17日木曜日

カフェにて



しばらく前からカフェのゆで卵にはまっている。
黄身の中心だけがほんのちょっと半熟で、
かすかに感じられる程度の塩味があって、
一つ食べると止められなくなる美味しさなのだ。
試しに、スーパーマーケットやコンビニでゆで卵を買って食べてみたけれど、どちらも塩味が出しゃばっている。


カフェでこのゆで卵を連日食べることもあるけれど、
1個だけにしている。
コレステロールを気にして、1週間止めたこともある。
昨夜のカフェは、いつもの席に先客があって、
奥の席に座った。
コンコン、コンコン、カフェに音が響いた。
私が、ゆで卵をトレーに当てる音が響き渡った。
音は響いたけれど、肝心の卵の殻には傷ひとつ入らなかった。
私の前にはゆったりとフランス刺繍をする夫人、
私の斜め前には、 グラニータを飲みながら仕事をしている男性、
私の後ろには紺色のスーツをパリッと着込んで仕事をしている女性、
その隣には沈黙の女性、黒の女がいた。
昨夜のカフェは全く雑音がなく、不気味なほど静かだった。
フランス刺繍の夫人が鼻歌でも歌ってくれたなら、
仕事をする人達がパソコンのキーボードを激しく叩いてくれたら、
私はどんなに気楽に卵の殻を割ることができただろう。
このままゆで卵を持って帰ろうかとも思った。
でもお腹も空いていた。
私は仕方なく、今度はテーブルに卵を当てた。
卵の殻に小さなひびが入ったのが確認できた時、私はほっとした。


やはりゆで卵は美味しかった。
静寂の中で私は葛藤した。
二個目が食べたい。
二個目は控えるべきか。
悩んだ挙句に初めて二個目を食べた。
小皿に載せられた二個目は、
「コン!」とテーブルに当てて一発勝負だ。
勝負あり。
美味しかった。

2018年5月15日火曜日

和蘭豆(ランズ)ナイト



 やばい、声に出せない言葉が心の中を駆け巡った。
気がつくと、枕元にスーツ姿の良人が仁王立ちだったのだ。
昼夜逆転の暮らしのドラキュラだけれど、
それでも遅い目覚めとなった昨夜は、
完全な寝坊だった。
良人は無口という病気だから、怒鳴ったり説教を垂れたりはしない。
でもそれが重圧でもある。
まともに目を合わせることができず、そそくさと着替えた。
多少とも私に面目があったのは、
昨夜は義母に遅ればせながらの母の日のプレゼントを
私が買いに出かけることにしていたからだ。
顔に塗り壁のように日焼け止めを塗ったくって、
パルシステムの食料をチンチンして、
20時の電車に乗り込んだ。


夜の街に飛び出せば、こっちのものだ。
行き先は蒲田、目的は林フルーツというのは大義であって
本当の狙いは、和蘭豆だ。
林フルーツでは今が旬の茂木のびわを義母に送った。

和蘭豆に入ると、
スレンダーでモデルのように美しい女性スタッフが、
灯の具合を配慮して、どの席にするか尋ねてくれた。
前回も感じたのだけれど、この美しいスタッフは、
帽子にマスクにサングラスに杖という不気味な乙女を覚えていてくれているのだろう。
綺麗な女性に優しい声をかけられると、
頭を撫でられた犬のように、
私は、メロメロになってしまうのだ。


 昨夜、鰻鰻亭のイートインはすでに終了だった。
それで、空腹を満たすためにまずは、サンドイッチを注文した。
光線過敏の症状が重くなるレタスやキュウリは抜いてもらった。
たっぷりのケチャップが嬉しかった。
ケチャップは、チューブのを一本飲みたいぐらい好きだから。
真っ赤なケチャップの下には、ハムと卵に胡椒が効いて、トマトも入っていて予想以上に美味しかった。
最初に用意されたピンクのお皿は、溢れ出るほどの具を受けるのに必要だったのだ。
ちなみに、ピンクのお皿は可愛いニッコーのお皿。
ニッコーNIKKOは子供の頃から、結構好きなのだ。
中学生の時は、唐草模様(ミングトゥリー)のデミタスカップ&ソーサーでインスタントコーヒーを飲んでいた。
サイフォンで淹れられたコーヒーは、
サンドイッチやケーキにぴったりの苦味と少々の酸味がある深い味だ。
ソーサーには和蘭豆の文字が刻まれている。
お伝えし忘れていたか、和蘭豆はおしぼりが出される。


そして、前回美味しかった
チョコレートナッツケーキをまた食べた。


このガナッシュクリームの布団をかけて寝たいという感じだ。
店内に蛍に光が流れて、閉店まで過ごしてしまった。
いやいや和蘭豆では、やはりほっとできた。
私は、コーヒー一杯500円以上のお店は、それなりのサービスと味を求めてしまう。
実はGW中に入ったカフェでがっくりしてしまった。
そのカフェを以前私は、結構持ち上げ、絶賛してしまった。
ところが今年は、酷かった。
向こう様にしてみれば、勝手に誉めそやしたのは「てめえ」だろと言うかもしれない。
それはそうだ。
でも今度はひどかったとはブログに綴るわけにはいかないのだ。
私の過去のブログをたまたま読んで行った人がガッカリするのは申し訳ないなと思ったり、
あの時のカフェのホールスタッフも厨房スタッフも良かったのは事実だしなと悩むこの頃なのだ。


今日の東京の最高気温は27度、最低気温は16度、晴れの予報です。
暑くなるようで、
美味しいアイスコーヒーが恋しくなりそうですね。