タリーズ アイリッシュラテ |
雨の夜の外出がどうにも億劫だった。
身体は鉛が張り付いたように重くてかったるい。
厄介な病気を抱えて年を重ね続けることに、
ほとほと嫌気がさしている。
寒い雨の夜道の水たまりを避けて歩みを進めて入ったカフェは
いつものカフェではなかった。
新しい年を迎えてから、いつものカフェにはまだ足を運んでいない。
いつものカフェは冷えるのだ。
すぼめた傘から雨粒が勢いよく転がり落ちた。
洋酒の風味が楽しめるアイリッシュラテ をオーダーした。
今夜のそれは、きっと美しいに違いないと思った。
アイリッシュラテを作るお姉さんの立ち姿に自信が伺えたのだ。
手元が見えないけれど、クリームをデコレイトしているであろう時には、楽しんでいるような余裕さえ感じた。
蓋に覆われたデコレーションは、開ける時のお楽しみとなった。
そんなカップを大事に席に向かう時、小柄な年配の女性が横切った。
その女に見覚えがあるような気がした。
予想どおり、アイリッシュラテのデコレーションはこれまでの中で一番綺麗だった。
時には、盛りすぎた生クリームが蓋にべっとりと着いて、無残なカルデラのようになってしまったこともある。
琥珀色のラテに溶け落ちることなく残ったクリームをちょっとだけ舐めたくなって、スプーンを取りに行った時、
見覚えのある女と並んでいたのは、赤の女だった。
いつものカフェに姿を現わすことがなくなった赤の女だった。
でも、それを私は何とも思わなくなっていた。
昨年の暑い夏の夜、私の中で赤の女はすでに終わっていたのだ。
あの日、あの夜、いつものカフェで起きたこと、それを私は事細かく文字にすることはできる。
でもそれは、してはいけないことだと私は思っている。
赤の女が法律に触れることをしたわけではない。
けれど、思いもよらないことが起きたのだ。
カフェの店長も気がついていたかもしれない。
若い店長だけれど、その時の店長は、昔の喫茶店のマスターのように、見ざる聞かざると、平静を装っているふうだった。
ファウンドリー |
年配の小柄な女も、抑えた赤色のセーターを着ていた。
赤の女は、前髪を下ろし、切りそろえた前髪が幼女のようだった。
唯一その前髪だけが、赤の女の変わったところだった。
大きな赤の女も、小さな赤の女も元気そうだった。
赤の女が言うことを、小さな赤の女が、メモしていた。
立ったままいつまでも、2人を見てる訳にも行かず、私は席に戻った。
けれど、私の席からは、大きな柱が邪魔をして、2人の様子を見ることはできなかった。
閉店時間が近づいて、私は、席を立った。
ファウンドリー |
自動ドアが開く時、
私は、振り返った。
赤の女は、ロバの耳がついた、ロバ色の耳当てを
丁度頭にかけているところだった。
私は、もう一度振り返ってしまった。
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