飯田商事 |
その夜は、充分に満たされて、
カフェを出ようと自動ドアの扉が開くのを待っていた。
すると、まだ席に座っていたはずの赤の女がドアに向かってきた。
昼夜逆転の暮らしを余儀なくされている私は、
その夜8時閉店のクリーニング屋に滑り込むために、
何も食べずに家を飛び出したのだった。
洗濯物を預けた後、喉を潤すだけのために入ったいつものカフェ。
大きな赤の女を見た日と同じように冷珈ソーダを注文して、湧いてくる泡を見てから、空席に目をやった時に驚いた。
赤の女がすぐそこに座っていたものだから。
そしてその夜は、まさに赤の女を書いた日だったから。
赤の女の隣には、仕事帰りの男性が既にパソコンを広げて座っていた。
私は、その隣のいつもの指定席に座った。
あの暑かった夜と、似た洋服を着た赤の女だった。
一見すれば、同じ洋服だけれど、デザインが少し違った。
生地は同じ、ミリタリーカラーのメリヤスの綿だけれど、身ごろがタンクトップ型ではなく、胸の下で切り替えのあるマタニティードレスのような型だった。
その上にあの時と同じ黒いパーカーを着ていた。
アクセサリーは何一つ付けていなかった。
指輪も、ネックレスもないのだ。
しかし、黒革の大きなバッグに、いつかつけていた黄色い小玉スイカほどの大きな丸いファーがついていた。
赤の女は、頬杖をついて、片手で本を持ち、大きな背中を少しかがめていた。本を読みながらも、スマホを気にして、時々スマホの方も覗いていた。
本は、文庫サイズではなく、ハウツー本によくある大きさの本だった。
何の本を読んでいるのか気になったけれど、お腹が空いていたその夜は、赤の女を根気よく観察するエネルギーがなかった。
おまけに、右隣の女も不思議な感じの若い女だった。
若い女は、スキンヘッドであろうかと思われる頭に、デニムのキャップを被っていた。顔はすっぴんだ。
すっぴんに十分耐えうる小さな顔のパーツは、高い鼻と、つぶらな瞳だった。
若い女のテーブルに広げられた、大きな本は、英文で飢えに苦しむ子供たちかと思われるような写真がいくつも載っていた。
大きなキャリーバッグは 、床には置かず、椅子の上に横たえている。海外で支援活動をする人なのだろうか。
と、その時、赤の女が電話で喋り出した。
「白のを買って。白のをお願いよ。」
私は、今度は左の赤の女 を見る。
赤の女が再び、本を読み出したのを確認して、また右の女を見る。
右の若い女は、黒い薄手のウールのストールを細い身体に羽織っていて、黒い長いプリーツスカートを履いている。
全体的に、若き尼僧という感じなのだ。
若き尼僧を見て、赤の女を見ると、赤の女は、本を覆うように体を傾けて本にラインマーカーを引いていた。
右を見たり左を見たりしているうちに、
私は疲れてきた。
グルテンフリーをしているので、サンドイッチを食べるわけにもいかず、お腹も空き切ってしまった。
そこで、赤の女の本のタイトルだけ確認したら、カフェを出ようと決めたのだ。
すると今度は、「ピンクのにして、白の買っちゃった?やはりピンクが可愛いなと思って。」再び赤の女が電話をかけたのだ。
一体誰に、何を買うことを頼んでいるのだろう。
ビジネスなのか、プライベートなのか。
すると今度は、若き尼僧が立ち上がって、羽織っていたストールを取った。白いシンプルなブラウスに黒い薄手のプリーツのスカートにキャップのスキンヘッドは、コムサのマネキンを見ているようでもあった。
尼僧が閉じた、大きな本にはTOEICと記されていた。
椅子に横たえたキャリーバッグのファスナーが開くと、教材らしき本がぎっしり入っていた。
TOEICの教材本だとわかった時に、何だかホッとした。
若き尼僧は、若き女にありがちな、『とりあえずTOEIC』女にちがいない。
赤の女の謎が解けないまま、既に2年という時が流れようとしている。
この上また、謎の女が現れたなら、私は疲労するであろう。
場合によっては、抱える難病が悪化するかもしれない。
「さあ!」とばかりに
私も、近視が進んでしまった目に、メガネをかけて、席を立った。
そして、トイレに向かう途中で、赤の女の読んでいる本の表紙を覗き込んだのだ。
本から、赤の女が何者かという手がかりがつかめるかもしれないのだ。
席に戻る途中でも、もう一度本のタイトルを確認した。
それは、自己啓発本だった。大きな収穫を得て、私はカフェを出るところだったのだ。
そこに赤の女。
既に私のエネルギーは底を尽きていたけれど、
歩みを抑えて、赤の女を先にして、
後を追った。
すると、赤の女は、駅の自動改札機を通り抜けて行った。
やはり。
この地に住まいはないのだ。
赤の女が真剣に読んでいた自己啓発本は、
赤の女を思い、
赤の女をブログに記す、
するとまた赤の女に出会うというような類の本のようだ。
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