10年前の東日本大震災とそれによる原発事故、東京で電気を消費する私は申し訳ないという思いと、もう原発は止めて欲しいと切に願い続けている。
10年やそこいらで、放射性物質が淡雪のように消えないことは知っている、わかっていると思っている。
けれど、原発事故被災者への住宅支援は打ち切られ、今や大熊町、双葉町から避難している方たちの支援が延長されているだけだ。
富岡町、浪江町の全域、葛尾村、飯館村の帰還困難区域から避難していた人たちも昨年の3月で住宅支援は打ち切られている。
子供を育てる人はやはり心配で帰れない。賃貸料の支払いに預金を取り崩しての暮らしがいつまで続けられるかという声を聞いて、わかっちゃないことに気づかされる。
東京新聞が昨年12月に富岡町で避難指示が解除された地域の放射線量を測定した動画を見ると、新たに整地、整備された地域で0.1から0.4 マイクロシーベルトの放射線量が観測されている。
外でボールを蹴ったり、泥んこになったりして、長く屋外で遊ぶ子供を思えば、帰還を躊躇うだろう。
先月13日に震度6の大きな地震があった。地震直後には、福島第一原発に異常がないと確認したと政府は発表していた。
けれどそれから5日余り経って、福島第一原発の1号機、3号機の原子炉格納容器内の水位が30センチ以上低下したと見られている。そして水位低下はその後も続いていると見られている。10年前の事故で破傷した部分が広がり原子炉建屋内に水が溢れ出る量が増えていると見られている。
高い放射線量で人が近くことなどできないのは言うまでもない。だから「見られている。」となる。
温度計が下がったから、そう推測すると言うことだ。
一度事故が起きた原発は、もう人がコントロールできないのだ。
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