世間は休日だったけれど、
いつもと同じ日だった。
朝6時に良人が仕事に出て行き、夕方決まった時間にヘルパーさんがきてくれた。
昼夜逆転の生活を余儀なくされている私は、ヘルパーさんが来る少なくとも1時間前には起きなければならない。
寝過ごしてしまうことを心配して眠ったら、夢の中に亡くなった母が出てきた。
大橋陶器 |
「来てくれたの」と私は言った。
うつつと思っている私は、母と一緒に美味しい物を食べようと思ったところで、良人が崎陽軒の幕内弁当を買って帰ることを思い出す。
「 ああ、今日は崎陽軒のお弁当を頼んだんだわ」と言うと母は、
お弁当で良いと言うようなことを言った。
けれど、幕内弁当は二つしか入荷しないので、私は思案する。
「やっぱり折角だから、銀座にでも美味しい物を食べに行きましょうよ。」と言った。
ところが飛び込んだ銀座の洋食屋さんでは、レジの前でスタッフが小銭を数えていた。コロナの影響で営業時間を短縮しているのだった。夢はそこでふわっと消えてしまった。
母の夢のことが、ずっと気になる一日だった。
深夜になって、あるテレビ番組を見ていたら、多摩市のあるところが映った。
私は、急に元気だった昔にその近くに出張に行ったことを思い出した。
7月の暑い日だった。
出張先が都内だったので、いつもより遅い時間の身支度だった。
鏡台に向かってお化粧をしていても直ぐに汗が滲んできた。
ふっーと一呼吸置いて、ドアを開けると、母が立っていた。
重い荷物を両手に下げた母の顔の鼻の下には汗が玉になっていた。
部屋の掃除と食事を作りに来てくれたのだ。
私が、いつもの時間に出ていたら、落ち合うこともなく置き手紙の一枚だったであろう。
私は、一瞬だけれど出張に行きたくないと思った。
その時の思いは今も鮮明に覚えている。
何となく母に甘えて一緒に居たい衝動に駆られたのだ。
夜になって帰宅すると、母はもう居なかった。
綺麗に掃除をしてくれて、洗濯をしてくれて、ハンカチにアイロンがかかっていて、トンカツが揚げてあって、大好物のおいなりさんも作ってあった。
やって来てくれた母と鉢合わせになったのは、その7月の暑い日一度きりで、何度となく私の居ない間に、母は掃除をしたり食事を作ってくれたりしていた。
今になって、思うとその時の買い物の代金も支払わなければ、
交通費も支払わず、実家で暮らしている時でさえも私は一銭もお金を入れたことがなかった。
今夜も母が座っているかもしれない御膳に、好物の大福や葡萄を供えて、今になって償っている。
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