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2019年7月29日月曜日

梅雨明け



 関東甲信地方でやっと梅雨が明けた。
昨年は6月29日に梅雨が明けている。
知らぬ間に盛夏という感じだった昨年。
それでも平年に比べると8日遅いということだから、まあこんなものかとも思う。
東京では、今夜も22時を過ぎても30度近い気温で、やはり暑い。
ハッピーアワーのビールの看板の下には、月曜日から伸びてしまった人を見た。
鞄を脇に、足を投げ出して、座り込んで、うなだれていた。


これからますますやっていられない暑さに襲われる毎日が続くのかぁ。
果たして、梅雨が明けて嬉しいかどうか?
遅い梅雨明けに、
お花屋さんの軒先には早くも秋の花が並んでいました。
明日の東京の最高気温は34度、最低気温は26度、晴れ時々曇りの予報です。

横浜デート



 高校時代の同級生が夜間デートをしてくれると言うので、
電車に乗ってお出かけした。
日曜の夜に、わざわざデートしてくれるなんて言うのは、かつて同じ学び舎で学んだ友か、同じ病棟で入院生活を共にした人ぐらいしかいない。


 食事処は、色気がないけれどジョイナスの一品香にした。
2年ぶりのデートだったけれど、灯りで支障がないと言う確かな経験を優先したのだ。
小食になった私は、先日と同様にレバニラと餃子一皿に小さいご飯にした。
友人は、サンマーメンに春巻きだった。

その後、アンティコカフェへ。
ここで私は、本当に小食になってしまったなとがっくりした。
スィーツがどうにも入りそうになかったのだ。
友人は、おしゃれにスパークリングワインとレモンクリームのエクレアを食べていた。
彼女は、ご飯を食していなかったのだ。
以前の私だったら、レバニラ、ご飯に、餃子程度なら、難なくスイーツもペロリと平らげることができたのに。


 私はアイスコーヒーを飲みながら、
 会社経営者の彼女に、IT企業とはなんぞや、どう言う人が集まってくるかについて、ざっくりとわかり易く教えてもらった。
彼女が経営するのはIT関係の会社ではないけれど、取引先もあるし、経営者の嗅覚を磨くべく人材交流も活発にしている。
日経ウーマンの電子版もちらっと覗かせてもらった。
管理職女性の具体的なビジネスの悩みと、それへの対応などがあって、結構役立ちそうで面白かった。
林真理子さんは、子育てと仕事ではどちらが、人間を成長させるかについて、仕事と言っているけれど、友人は子育てだときっぱりと言った。
子育てについては、その環境によって大きく違うのが見解の相違の一つの要因かもしれないと言う話になった。経済的に、十分に恵まれていれば、やれ地方や海外に出張だと言っても、高額なサポートを受けることもできるわけだし。


さて、次回のデートはいつになるかしら。
私は、プータロー、
友は、経営者、、、
今日の東京の最高気温は34度、最低気温は25度、曇り時々雨の予報です。
未だ東京は梅雨も明けず、蒸し暑い日となりそうですが、今週もバテないように気をつけながらまいりましょう。

2019年7月28日日曜日

テレビ局、参院選挙後に与党問題議員報道

飼い馴らされたワンワンたち

 自民党の石崎議員(衆議院議員比例代表北陸信越ブロック選出)が、元秘書に暴力をふるったと週刊誌に報じられた件について、テレビ各局がそれを報じたのは、参議院選挙が終わってからだった。
 暴力を受けた男性は、警察に被害届を提出しているそうだ。
これが事実だとしても自民党から離党処分が下される程度で、議員は続けるのが慣例というのも疑問だけれど、
テレビ各局の報道姿勢に何も信じられない思いがしている。

2019年7月27日土曜日

土用の丑の日



 湿度93パーセント、体感温度31度の夜、
スーパーマーケットは、キンキンに冷えていた。
昼間は、もっともっと暑かったのだろう。
今年はまた、うなぎの宣伝に一段と力が入っていると思ったら、
夏季の土用の丑の日は今日だけなのだ。


過去、土用の丑の日に向けて、巨大なうなぎが天井から吊る下げられていたこともあったし、生きたうなぎの水槽が置かれていたこともあった。
今年も、なかなか可愛いうなぎが、泳いでいるではありませんか。
我が家は、日曜の夜にパルシステムの幼児の手のひらサイズの鰻の蒲焼をいただくつもりです。


それにしても堪え難い湿度の夜だった。
汗が出ないようにそろりそろりと歩いてみた。
結果は同じ。
ネグリジェみたいな薄いものを着てスーパーマーケットに入ってくる人もいた。
スーパーの片隅で、一層熱い人もいた。
「俺も頑張っているんだから、支えてくれよ、支えてくれなきゃ、俺・・・」と背広姿の年配の男性は、声を枯らして携帯を握っていた。
生きて行くって大変なこと。
スタミナつけなければやっていけませんね。
台風6号が近づく東京では、最高気温32度、最低気温26度、
雨のち曇りの予報です。
今週もお疲れ様でした。


2019年7月26日金曜日

夜のファミレス



 夜が深まる前に、街の灯りを避けるように歩いて、
久しぶりにファミレスへ行った。
 梅雨が明けない東京の空気は重く、それが身体にまとわりついて汗が流れ出る。
私は、コーヒーよりも冷たくて、甘ったるいソフトクリームが無性に食べたくなっていた。


ファミレスにも1ヶ月以上行っていない。
夜しか外出できない私にとって、ファミレスは数少ない居場所だ。
いやいや、真夜中に30分以上居座れるということでは唯一の場所だな。
そんな所に1ヶ月以上行かなかったというのは珍しいことだ。
行かなかったというより行けなかったのだ。


 6月も身体の具合が良くなかったし、難病認定更新の手続きやそれがための通院で疲れてしまった。
おまけに、夜が最も短いシーズンなのだ。
出迎えてくれたのは、ファミレスで長くお世話になっている細田さんだった。
細田さんは、どんなに忙しくても、平常心で、穏和に接してくれるから癒されるし、立派だなと感心させられる人だ。
注文したのはフレッシュブルーベリーのソフトクリームだ。
この時分には、毎年カナダ産のブルーベリーがメニューに加わる。
ソフトクリームが付いてくるメニューでは、私はいつも、「ソフトクリームは一巻き」と言って、くるりと指で輪を書いてお願いする。
今回はそれを言わなかった。
細田さんが、そのままの量でいいのか?と言わんばかりに私の目を見た。
その一呼吸に私は、黙って頷いた。


なんという呼吸だろう。
かれこれ10年近くお世話になっていると、一ヶ月ぐらい間が空いたって、阿吽の呼吸というものだ。
会計はまた同じように長くお世話になっている青木さんだった。
青木さんは飄々としているけれど、さりげなく親切な人だ。
変わらずに親切なスタッフがいてくれて、ほっとできる空間がファミレスだ。
また、ブルーベリー通いをしよう。
(登場人物の名前は仮名です。)
今日の東京の最高気温は、31度、最低気温は21度、晴れ時々雨の予報です。
今日も暑い1日となりそうです。
皆様はソフトクリームより、キンキンに冷えたビールですかね。




2019年7月24日水曜日

れいわ新選組の躍進



 ノーマライゼイションが声高に叫ばれた時代もあったけれど、
今、私のような難病患者に世間の風は冷たい。
一人ひとりが、自分が生きることに精一杯で、他人どころではないということもあるだろう。
政治家も、病人は怠慢だから病気になるんだとか、自己責任だとか、ひいては、生産性がないなどと発言する。
生産性がないと記した国会議員は謝罪はすれど、ついに撤回はしなかった。
政治家がこういう発信をすると、世間にはそういう空気がまた作られて行く。
私も難病になってから、数えきれないほど嫌な思いをしている。
つい先日の、日本郵便の「難病だからと言って特別扱いはしない」発言、
それより数ヶ月前には、閉店1時間前の駅ビルで買い物をすませた後、光る電子広告を避けて雨宿りをしていたら、事情を伝えた警備員に、罵倒され、なじられると言うこともあった。
飲食店で灯りの向きを変えて欲しいと頼んで、嫌な顔をされることは日常茶飯事だ。


山本太郎氏の国会、委員会での発言を聞いて、よく勉強しているとは感じていた。
今回、重度の障害がある方が当選を果たして、私も気持ちが随分と明るくなった。
お二人を後押ししてくれる人たちがいたという事だし。
難病患者の治療費や薬代は、上限はあるものの、2割の費用負担を強いられている。
難病認定の書類も、簡素になるどころか提出書類が増えて、それすら負担になっている。
どうにか振い落としたいのだ。
今回当選した船後氏と木村氏は、議員活動も身体に負担となって大変だろうけれど、今この国に大きく吹き荒れる、弱者切り捨ての風を吹き飛ばして欲しいと切に願う。
 久しぶりに月が覗きました。
今日の東京の最高気温は31度、最低気温は23度、曇り後晴れの予報です。
暑くなりそうです。水分補給をお忘れなくどうぞ。


2019年7月22日月曜日

参議院議員選挙



 第25回参院選は、改選124議席について、自民公明両党で、過半数の63議席以上となった。両党は、参院全体の議席でも過半数の123議席を超えることとなる。
ため息の数だけ胡蝶蘭

やれやれ、忖度合戦はますますヒートアップして行くのかぁ。

2019年7月18日木曜日

老女たち



 雨は闇夜を早く連れてくる。
それでも7時半を回ってしまった。
なんとか美容部員のいる間にドラッグストアに入りたかったのだ。
でも、もしかしたら、まだいるかもしれない。
リスのように愛らしくて、色気のある彼女が。
予感は的中、瀟洒なパウダーケースや口紅サンプルが並ぶカンターで、おそらく景品となるであろうグッズを、透明なフィルムの袋に詰めているところだった。
置地廣場

美容部員の彼女は、手を止めてすぐさまカウンターから出てきて、私の愛用の化粧水を出してくれた。
小柄な彼女は、触れたら溶け出しそうで、甘い雰囲気が漂っている。子供の頃から、男の子にモテてモテて、困惑してきた様子が浮かぶような魅力ある女性だ。
そんな彼女に見惚れていると、お店の中央から大きな声が聞こえてきた。
「どこにあんのよー!だから大きいカット綿は!」
その図太い声に聞き覚えがあった。
とし子さんの声だった。
それは私が、こんな厄介な病気になる以前、
乳児期に起きた喘息が再び始まった頃ではあったけれど、
忙しく仕事をしていた時分にお世話になった人の声だ。
とし子さんと言う。
お部屋のお掃除をお願いしていたのだ。
今では、お掃除の1時間の料金が1750円から2500円に上がって、卒倒しそうだけれど、当時は、躊躇もなしに1回5千円でお願いしていた。
「あんこさん、慌ただしくてごめんなさいね。」と言って、
美容部員の彼女は血相を変えて怒鳴り声の方に飛んで行った。
その時、とし子さんが、同じメーカーの化粧品を使っていたことを思い出した。
美容部員は、常客の声だから対応しないわけには行かなかったのだ。


ストアのスタッフと美容部員の彼女が対応するレジで、
とし子さんは怒鳴り続けていた。
幾度も値段を聞き直したり、待たされた苦痛を訴えるのだ。
果たして、とし子さんは私より前に入店して、カット綿を求めていたのだろうか。
その辺りが私にはよくわからなかった。
けれど、カードを渡したかどうかわからなくなっているらしいとし子さんは、「私のカードは?渡したかって聞いてんのよ!」また怒鳴る。
見れば、美容部員の彼女の大きな目が真っ赤になっていた。
とし子さんに最後にお世話になったのは、14年前の春、入院中の生検後に安静に横たわる私の口に食べ物を入れてもらった時だ。
その時は、病気がこんなにも厄介な難病で、再び仕事をする日が来なくなるとは思っていなかった。
そして、それがため私ととし子さんとの縁は切れたのだった。
一度、7年ほど前の夜にスーパーマーケットのお花屋さんで偶然に出会ってはいる。その時、私は自らの事情は話さずに、「お元気で、さようなら」と言って別れた。
けれど、その時のとし子さんは、昔、生保レディで大層稼ぎ、営業所では長くナンバーワンの座に君臨し続けたと言っていただけのことはあって、以前お世話になっていた時のように小綺麗にしていた。
とし子さんは、小顔で、美人と言えるほどではないけれど、整った顔立ちの小柄な女性だ。美容院に二週間に一度はセットに行くほど、身嗜みを気にする人だった。そしてとし子さんは独身だった。
私はためらったけれど、怒鳴るとし子さんの後ろから寄って、
「とし子さん、」と肩を触って声をかけた。
「アンタだれ!」振り向いたとし子さんに昔の面影は遠かった。もはやお化粧もしておらず、浅黒い肌をそばかすが覆っていた。
既に80歳を超えたであろうその姿は、大学病院のベッドに横たわる私をよそに、ハンサムな医者はいないかね、とキョロキョロしていた時とは、別人のようだった。
姉妹の盃を交わしたわけではないけれど、
姉さん、ご無沙汰しております。お世話になったあんこでござんす。姉さん相変わらず、お若くて、42、3にしか見えませんよ。
それが声を荒げてどうなさいましたか、美しいお嬢様方が困り果ててるじゃぁござんせんか。
てな調子で私が喋ると、「待たされたんだよ!」ととし子さん。
私が、「それは、私が横入りしたからですよ。ごめんなさい。」と言うと今度は、
矛先が私に向いて、
「アンタと会えなくなってから、ご覧の通りの顔面神経痛になったんだわよ。」ととし子さんが続けた。
確かに、顔の左側、目から下が歪んでいた。
「ヤブにかかったもんだからさ。あそこは藪だよ、藪!」と更に声は大きくなった。
とし子さんは、つい数年前にも私に「ここいらで、会った。」と言い張る。最近はとても忙しいと言うとし子さん。
けれど、その理由は、
年に3回も4回も転んで、腕、今度は脚と言う具合に骨折を繰り返していて大変なんだと、美容部員の彼女の同意を得るように、
「ねえっ」と言う。続けて、今度、私に昼間に電話をくれると言うので、昼間は寝ているからと私は断って、「お元気で」と言って、手を振った。
とし子さんも、耳がつんざけるほどの大きな声で「お元気で」を何度も言った。
転んだばかりの私は、自分のそう遠くはない未来を見たようで、
なんとも言えない重い気分になった。


 次に、スーパーマーケットに入った私は、再び驚かされた。
カートを押す行く手に、この2年ほどお見かけしなくなっていた富美子さんがいたのだ。
富美子さんは昔、お部屋を借りていた時の大家さんだ。
いつか弱ってきたら、人知れず、東京を離れると言っていたので、
ついにそんな時になったのか、と案じてはいた。
富美子さんと向かい合った私は、提灯のように膨らみきった富美子さんの顔に、言葉を失っていた。
面の皮が薄く伸びきって、今にもはち切れんばかりだった。身体もやや太った感はあったけれど、顔の膨らみがそれにはそぐわなかったのだ。
適切な言葉が出てこない私は「富美子さん、お綺麗ね。」を3回も連呼してしまった。
富美子さんは会いたかったと言ってくれて、いつも電話しよかと迷っていたのだという。私もよ、と返して、8月になったら、お茶をしようと言った私はとにもかくにも、独りになりたくなっていた。スーパーマーケットを後にした私は、ドラキュラのくせに生き血を抜かれたように目眩を感じた。
そして、小竹さんのいないであろうカフェに入って、座った。
そのカフェには、ぽつんぽつんと、同世代の二十代の女性が座っていた。私は、肩をなでおろした。



2019年7月16日火曜日

海の日だった



いつものカフェに入って
注文カウンターに立つと、
店長から営業時間が短いことを伝えられた。
その時、今夜が祝日だと気が付いたのだった。


仕事から帰った良人が「もう働くのが嫌になった。」と言うのを聞いて、下を向いて歩き続けていた私は、
すっかりいつもの月曜日だと思ってしまっていた。
もう一つのカフェはお休みだった。
さらに別のカフェは、しばらく前に灯りが強いものに変わったのでためらった。
結局、ハンバーガーショップで、迷いながらもアイスコーヒーを飲んだ。
ホットコーヒーでも良かったかな。
半袖のUVカットTシャツに長いスカートの私は、
腕に日焼け止めクリームを塗っている。
まるで海水浴にでも出かけるように、
夜の街に出るのだ。


帰途、自宅近くに空色の観光バスが停まっているのを見つけた。
厚い棉布団に覆われたような灰色の夜空に、空色のバスが映えていた。
こんな病気でなくても、今日は海には行かなかっただろうな。
今日火曜日の東京の最高気温は24度、最低気温は19度、曇り後雨の予報です。
月のない夜は、寂しいものです。
皆様におかれましては太陽が恋しいと存じます。
その分、涼しいので今週もお互い頑張りましょう。

2019年7月14日日曜日

夜道で転んだ



雨降る夜道で私は転んだ。
私が、道で転ぶとしたら、夜しかない。
夜しか外出できないのだから。
いつかのようにバタンと倒れ込んで、
なぜだか私は、起き上がれないで倒れたままだった。
いつかのように。
なぜ、直ぐに起き上がれないのだろう。
一言で言えば、鈍いからだろう。
雨で濡れた黒い道路にぴったりとくっついたままだった。
またやってしまったな。
カメラが壊れてないといいけれど。
傘が壊れてないといいけれど。
ワンピースは、クリーニングだな。
およそこういうことを考えていたと思う。
こういう時に、人間の性根がわかる気がする。
物欲強いんだな。
傘にもカメラにもワンピースにも愛着というか、
執着があるのは事実だ。


 巷は、昨日から三連休だったのだ。
良人は祝日も出勤のため、3連休の感覚が全くなかった。
夜の10時近くでも、居酒屋もファミレスも、いっぱいだったのだ。
次のなる候補のフェミレスに移動する途中で、気力も体力も失せた時、坂内喜多方ラーメンがあった。
ゆるくもグルテンフリーをしているので、ためらったけれど、
起床してから甘酒一杯を飲んでいただけの私は、「もうラーメンだ!」と腹の声を聞いたようだった。


注文したのは、冷たいラーメンと餃子だ。
昔、冷たいラーメンは、スープに出汁が効いていなくて、
美味しくなかった。
20年以上ぶりに食べたら、スープがとても美味しくなっていた。
「麺を食べる」を止めるというのは、人生の3割をつまらないものにしているなと思った。
けれど、最近の血液検査で小麦アレルギーが出てしまったので、麺は半分にしておいた。
よくよくメニューを見れば、チャーシュー飯もあった。
今度は、シャーシュー飯と餃子にしようと思う。


派手に転んだのは、帰途、
疲れきった友人から届いたメールに返信をしようとした時だった。
曇りや雨だと、マシか?という何回目かの問いに、
「曇りや雨でも紫外線は出ているので外に出られるわけではありません。部屋は窓をつぶしたので、晴れの日も雨の日も同じです。」と返信するつもりだった。
2年前に転んだ時は、デニムのパンツを履いていたけれど、今回はストッキングだけだったので、膝の傷が大きくて、ちょっと重い。消毒をしてリバガーゼをつけて、絆創膏5枚を筏のように貼って止めた。


2019年7月12日金曜日

カフェにて



 ひとしきり降った雨が止んだ夜の9時、
カフェへ行った。
私の指定席の隣には、アップルパイマンがいた。
お盆のお花をテーブルに置いたその時に、
私はアップルパイマンのテーブルをそっと覗いた。
アイスコーヒーとケーキ皿がのっていた。
ケーキ皿には銀紙とフォークだけが残されていた。
既にアップルパイは、彼のお腹の中に違いない。
久しぶりに見たアップルパイマンは、顔がふっくらしていた。
下ろし立てのような、濃紺の半袖のワイシャツは弾けそうにピチピチだ。
一時、まあるいマドレーヌにかぶりついていたアップルパイマンだったけれど、原点に返ったのか。


いつもは、本を読んでいるアップルパイマンは、昨夜はずっとスマホを手鏡のように覗いていた。
私は、熱いコーヒーを飲んだのち、かちゃかちゃとスプーンを回した。
飲み終わったコーヒーカップに蜂蜜を垂らして、冷たいお水を注いだのだ。
病気になった初めの頃、免疫の病気には蜂蜜が良いと、みのもんたさんのお昼の番組でやっていたことを思い出してのこと。
蜂蜜の入ったポットから、蜜はなかなか落ちてこない。
私は、歳の数を数えてそれを待つ。
25、26、27、28と。
お水に蜂蜜が溶けないので、
私はスプーンを回し続けるのだ。
静かな店内に、その金属音が響く。
今度は、切りっぱなしのスーパーマーケットで買った、カサブランカの切り花が、気になってきた。
自分だけ潤って、お花は乾いているではないか。
トイレに行って、お手拭きのペーパーを濡らして、席に戻って花の切り口に巻きつけた。
私は、立ったり座ったり、スプーンをかき混ぜたり、まるで落ち着きのない子供のようだ。
右となりの、すね毛がもじゃもじゃの男もじっと静かに本を読んでいる。
静かな空間に、みんなは、はめ込まれたようなのに、私だけ収まりが悪いパーツみたいだった。
神経質そうなアップルパイマンに、怒られはしないかと、気になって私は、ちらっとアップルパイマンを見た。


幸いアップルパイマンはスマホに夢中だった。
すると、程なく窓際の女性客二人が、沸き出した。
30代だろうか、二人の女性の声は高い声ではなかったけれど、
肩を寄せ合って、美術館を検索している。
その実況中継が始まったのだ。
まるでグーグルのCMのように。
「あった、あった、橋を渡って、」
「これ地下鉄のマーク?」
どうやら二人は、夏休みに海外旅行に出かけるらしい。



私の人生は、毎日が夏休みのようになってしまったけれど、
この夏も、カフェに私の座る椅子があるならば、
それで良しとしますかね。
今日の東京の最高気温は22度、最低気温は18度、雨後曇りの予報です。
皆様におかれましては、良い週末をお過ごしください。

2019年7月11日木曜日

真夜中のスーパーマーケット



 午前3時に飛び出した。
電話代の支払いや、お世話になっている介護事業者のアンケートの投函をするために。
ついでにスーパーマーケットにも寄った。
腹ごしらえのため、冷たいコーヒー牛乳とあんぱんを買った。
まだやらなければならない事も残っている。
時刻を気にしながら、レジを待つ間、何気なく見た前のご婦人の姿に、驚いた。
グレーのふかふかの厚いカーディガンのファスナーを首まで閉めて、ウールの黒い手袋をはめている。
よく見ると首にはマフラーも巻いていてカーディガンに入れているではないか。
カゴには、おでんだねでも入っているのだろうか。
気になったけれど、紫外線が降り注いで来る時間が気になって、
猛ダッシュで帰宅した。
確かに気温は19度だった。
けれど、 ここは東京、
小暑を過ぎて、盛夏の候。
今週の土曜日には、お盆の迎え火だ。
お盆にお正月の人を見た感じ。


今日の東京の最高気温は24度、最低気温は19度、 曇り時々雨の予報です。
東京では、26年ぶりに気温が低い夏で、いわゆる冷夏だそうで、凌ぎやすくて助かりますね。
今週も後半戦となりました。
お互い頑張りましょう。


2019年7月10日水曜日

深淵に沈みゆく



 ずぶずぶと自ら真っ逆さまに深い海の底に落ちて行く。
近頃毎夜のことだ。
ここが底なんだなという所では不思議と涙が出てこない。
いよいよ夜が怖くなってきた。


光に当たることができなくなってからは、
夜が心落ち着く時であったのに。
光に当たることができなくなって、11年となったけれど、
それ以前に抱える難病の別の症状、腎臓が故障したり、歩行が困難だった時代もあって、闘病生活は、15年目に突入した。
治らないという重い現実が突き刺さるようになった。
一生歩行は困難だと医師から言われていたのが、突然、再び歩けるようになった時は、
良人が「歩けるようになった方が良かった。」と言った。
トイレ歩行もままならず、24時間の痛みから解放されて、その時は私も確かにそう思った。
歩けない方がいいか、光に当たれない方がいいか、言わば究極の選択のようなものだ。
 勿論、私には選択権などなく、光線過敏の症状が軽減されないかと医師からビオチン散(ビタミンH)が処方されたら、突如、股関節の重い炎症が治って、歩けるようになったのだった。
でも今はその時の喜びはすっかり忘れて、光に当たれないことの不自由さにほとほと打ちのめされている。
そうして迎えた朝に、高校の同期生からメールが届いた。近況とともに、ニュースで度々取り上げられている同級生の研究者の話題に及んだ。その女性研究者と昨年コンタクトをとった同期生ではただ一人の私は、得意げに知ったふりをして、彼女の経歴をメールで返す。
そんな時、深淵でじっとうずくまっていた私は、ひらっと動くのだ。
15時になって、ヘルパーさんがやってきてくれて、ちょっと身体が浮かんで来る。超深海の6000メートルから上がって、水深200メートルのボタンエビになった感じ。


 20時を過ぎて、
水面に浮かび上がるべくもがいた。
電車に乗って、蒲田の和蘭豆(ランズ)へ行ったのだ。
 20時半の電車は座ることができた。
そしてファッション雑誌を読みふけった。
亡くなった兼高かおるさんの記事を目にした。
31年間の旅で購入したトランクは85個に及んだこと。機内持ち込みのグッチのバッグには、地図、歴史の本、辞書が入っていたという。エレガンスをモットーにする彼女は、砂漠へ行くにもハイヒールで、ワンピースを必ず着ていたそうだ。「フラット(靴)だと疲れてしまいますの」 と言ったとか。


和蘭豆に蛍の光が流れて、
帰宅すると、良人が、「(同級生のこと)報道ステーションでやってたよ。」と言った。
私は飛び魚になった。