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2019年7月10日水曜日

深淵に沈みゆく



 ずぶずぶと自ら真っ逆さまに深い海の底に落ちて行く。
近頃毎夜のことだ。
ここが底なんだなという所では不思議と涙が出てこない。
いよいよ夜が怖くなってきた。


光に当たることができなくなってからは、
夜が心落ち着く時であったのに。
光に当たることができなくなって、11年となったけれど、
それ以前に抱える難病の別の症状、腎臓が故障したり、歩行が困難だった時代もあって、闘病生活は、15年目に突入した。
治らないという重い現実が突き刺さるようになった。
一生歩行は困難だと医師から言われていたのが、突然、再び歩けるようになった時は、
良人が「歩けるようになった方が良かった。」と言った。
トイレ歩行もままならず、24時間の痛みから解放されて、その時は私も確かにそう思った。
歩けない方がいいか、光に当たれない方がいいか、言わば究極の選択のようなものだ。
 勿論、私には選択権などなく、光線過敏の症状が軽減されないかと医師からビオチン散(ビタミンH)が処方されたら、突如、股関節の重い炎症が治って、歩けるようになったのだった。
でも今はその時の喜びはすっかり忘れて、光に当たれないことの不自由さにほとほと打ちのめされている。
そうして迎えた朝に、高校の同期生からメールが届いた。近況とともに、ニュースで度々取り上げられている同級生の研究者の話題に及んだ。その女性研究者と昨年コンタクトをとった同期生ではただ一人の私は、得意げに知ったふりをして、彼女の経歴をメールで返す。
そんな時、深淵でじっとうずくまっていた私は、ひらっと動くのだ。
15時になって、ヘルパーさんがやってきてくれて、ちょっと身体が浮かんで来る。超深海の6000メートルから上がって、水深200メートルのボタンエビになった感じ。


 20時を過ぎて、
水面に浮かび上がるべくもがいた。
電車に乗って、蒲田の和蘭豆(ランズ)へ行ったのだ。
 20時半の電車は座ることができた。
そしてファッション雑誌を読みふけった。
亡くなった兼高かおるさんの記事を目にした。
31年間の旅で購入したトランクは85個に及んだこと。機内持ち込みのグッチのバッグには、地図、歴史の本、辞書が入っていたという。エレガンスをモットーにする彼女は、砂漠へ行くにもハイヒールで、ワンピースを必ず着ていたそうだ。「フラット(靴)だと疲れてしまいますの」 と言ったとか。


和蘭豆に蛍の光が流れて、
帰宅すると、良人が、「(同級生のこと)報道ステーションでやってたよ。」と言った。
私は飛び魚になった。

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