会うは別れの始めなり。
桜の季節は別れの季節でもあります。
今年は、プータローの私にも人とのお別れがありました。
一つは、長年お世話になったお米屋さんの閉店により、
自宅までお米を運んでくれていた店主とのお別れです。
私が病気になる少し前からお世話になっているから14年はお世話になっただろうか。
実はそれ以前にお世話になっていたお米屋さんも廃業し、その際に紹介されたのがこの度の閉店のお米屋さんだったのです。
どちらも後継する人がいないという。
もう一つは、お掃除でお世話になっているワーカーの富士子さんとのお別れです。
こちらは、こんな別れもあるんだなというもので、
どこかほっとしている。
富士子さんの方も富士子さんで、とりわけ「孫が保育所落ちた、春から来られない。」と宣言してから後は、なんだか嬉しそうにさえ見えた。
ほたるいか酢味噌和え |
富士子さんには3年間お世話になった。
途中、もう1人のワーカーさんがいらした時は、隔週だったけれど、この10ヶ月は富士子さんが毎週来てくれたのだ。
富士子さんとは、お話がぴったりと合って、人柄も良い人で、出会えたことに私は心から感謝している。
けれど、目的のお掃除となると、話は違っていた。
最後の日も、掃除機と何枚かの雑巾を持って、太陽の入る部屋に入った富士子さんは、掃除機をかけただけで、部屋を出てきてしまった。棚などを雑巾で拭くことはすっかり忘れてしまったのだ。
この3年間、お掃除の度にアクシデントが必ずと言って良いぐらいに起きた。
最初は、置き時計の文字盤の下でくるくる回る星の奇跡が、富士子さんのお掃除の後どういう訳か 止まっている。私は、電池切れかと2回ばかり電池を交換したけれど、別の人のお掃除だと動いていることに気が付いた。時計のその仕掛けは、激しい振動などで、止まってしまうのだった。以来、富士子さんの掃除の後は、時計をセットし直すのだ。
物の向きや置き場所が変わるのは日常茶飯事だった。
一番困ったのは、塞いだ窓の下隅に、漏れる太陽光を防ぐために置くB4版の額が無くなったことだった。
どこかにあるはずだと、良人と夜中まで必死で探したけれど、見つからなかった。あれこれ考え続けて、それは思いもよらない所から出てきた。こたつのテーブルをヨイショと外して、掛かっているこたつ布団を剥がしてみると、こたつ台の上に額がのっていたのだ。どこをどう探しても見つからないわけだ。
つい、先週もまた、その額が無くなっていることに明け方近くに気が付いた。
人の思考や行動は、たいてい同じことを繰り返すものだ。こたつテーブルの上にあるものを全てどかして、テーブルを外して、こたつ布団と剥ぎ取ると、大きな額があの時のようにデーンとこたつ台から現れた。
A4版の立て掛ける額の脚がもぎ取れて無くなってしまったことがあった。 掃除の後、倒れている額を見て、ぎょっとなった。
富士子さんも驚いて、富士子さんと2人で額の脚を探した。
すると座布団と座布団の間から出てきたのだ。
おそらく、勢い良く、額を拭いて額の脚が空を飛んで、座布団に落ちて、そうとは気づかずにその上にまた座布団を置いたのだろう。
勿論、無償の奉仕活動と言うわけではなく今では、1時間2500円近く支払っている。
アクシデントの度に、私の目は釣り上がり、法人本部にお掃除マニュアルはないのかと問い合わせたこともあった。
お米屋さんの店主は次のお米屋さんを紹介してくれたけれど、富士子さんの次なる支援者は見つからないまま、4月を迎えることとなってしまった。
冷たい雨となった3月最後の土曜の桜の夜は、
桜肉を生まれて初めて食べました。
脂っけがないけれど、お肉を食したと言う感じです。
今時分のブリは桜ぶりと言うそうで、その身は綺麗な桜色で、旬の冬のものよりあっさりしていました。
ホタルイカの酢味噌和えは、イカアレルギーの私は撮影のみです。
お酒が強い富士子さんもどこかで、乾杯と万歳三唱しているかもしれません。
「物の向きや置き場なんてどこでもおんなじ。
狭い日本のどっかにあればいいのよ。
だいたい部屋がごちゃごちゃし過ぎなんだよ、断捨離しろ!」と言いながら。
止んだかと思った雨でしたが、翌る日の宴の陣取りに敷かれたブルーシートに雨音がドンドンと響き出して、再びの雨に気づいた夜でした。
おおらかな人は、大概いい人です。
これ私がこれまで生きてきて強く思うこと。(登場人物の名前は仮名です。)