一昨日、ネットで人工透析を止める選択をした女性が、
家族にあてたラインメッセージにやはり生きたいと思ったのではないかと思われるものを残して亡くなっていたという記事を読んで酷くショックを受けた。
今や透析が必要になった段階で、医療機関(医師)から、透析をするか、死を選ぶか選択を迫られる時代になったのかと思ったのだ。
昨日になって、女性はこれから透析を要すると言う状態ではなく、既に透析を受けている患者で、シャントが取れなくなったと言う状況だったと知った。
しかし、初めて、透析を受けるにしても、透析を続けるかにしても今回の問題の本質は変わらないだろう。
難病を発病して、ゴールの見えない闘病生活を続けている私には今回の件は他人事ではない。
闘病生活が13年を超えて14年目に突入して、「生きるのやになっちゃたな」と思う日が多くなってしまった。
光に当たれない生活はとても不自由だし、誤って当たった場合の、酷い痒み、炎症、腫れ、そして、このところまたリウマチ症状も出て痛みが続いている。
おそらく、闘病生活を送っている人は、皆んな、
今日は死にたくなって、明日に悩んで、明後日、まあ生きているかと言う思いを繰り返していると思う。
私の抱える自己免疫疾患の代表的な症状の一つには腎臓のトラブル炎症もある。
私がこの病気を最初に発病した14年前は、腎臓が壊れて、2年間入退院を繰り返した。
その時は、右のベッドも左のベッドも皆んな腎臓病を患う人だった。
本人の不摂生で腎臓が悪くなると、いい加減なことを言っている人もいるようだけれど、私のように自己免疫疾患でもその原因はわからないし、海にダイビングに行って、初めて潜って一発で腎臓が壊れて、透析になったと言う人もいた。
入院中には、やはりシャント(血液を入れ替える為の 血管の入り口)がダメになって入院してきた人もいた。
その時、カーテン越しに聞こえてきた言葉を忘れることができない。
「どうしよう、お父さん、私死んじゃうのかな。」と今にも泣き出しそうな声で、入院に付き添ってきた配偶者に言っていた。
大好きな歌手のいわゆる追っかけをしている人で、地方にも宿泊したりしているようだった。あらかじめ透析を受けるクリニックを予約しておくのだと。
私死んじゃうのかな、と言う言葉には、まだ生きていたいと言う思いを感じた。
今回、透析が中止された後に、本人が透析を再開して欲しいと周囲にも漏らしていたと言う話もある。
東京都が今回の件で調査に入ると言うことで、
まだ全容が明らかになってはいないけれど、
病院側は、医師と患者、家族も含め話し合いをし、記録もあり密室での(病院側の)独断専行ではないと主張しているようだ。
けれど、医療機関から、選択肢として、透析を続けるか、
止めて死を選ぶかと言う選択肢を示されたら、どうだろう。
とかく気が弱くなっている 患者は、「私は生きていてはいけないのだろうか」と思ってしまう人が少なくないような気がする。
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