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2018年6月30日土曜日

呪われた水無月

置地廣場

 私の6月は惨憺極めて幕を下ろした。
雲が重く垂れ込めたどす黒い曇天や
号泣したかの如き雨模様を
予測して予約していた通院は、
アスファルトが溶け出しそうなほどのかんかん照りの日となった。


それでも、
かかる大学病院では、
夕方の外来枠に入れてもらうことができていたし、
診察室、会計手続きなど様々な場面で、
光への配慮をしてもらえるのだ。
そして受診後、会計を済ませた後は、
窓のない待合い場所に身を沈めて真っ暗になるのをじっと待てば、ドラキュラとしては安泰なのだ。
しかし、6月最後の悲劇は、安堵とともに起きた。
目に見えて 疲労しきっている女医が、
それでも親身に 向かい合ってくれた診察を終え、
会計伝票を提出し、
太陽光が及ばない場所での支払いを確認した。
そして我慢していたトイレに向かった。
トイレは並んで両側に5つほどある。
病院でのトイレ選びの鉄則は、入り口から離れたところだ。
それは昔、病棟にいたお局患者からの教えだ。
しかし、入り口から離れた奥は、夕方の5時であっても
陽の長い季節ゆえ、太陽光が差し込めていた。
私は、入り口の太陽光が一番及ばないトイレを選択するしかなかった。
便座を綺麗に拭いて、ゆっくりと腰を下ろした。
その時私は、
非情にも建物の外、直射日光の中に追い出されることなど起こり得ない大学病院に、
悲しくも「ここが私のホームスタジアム」なんだなと思った。
安堵からか、急に大をもよおした。
便座を拭くために引っ張ったトイレットペーパーを再び引っ張ると、僅か3センチで終わった。
すぐさま隣にあるトイレットペーパーがすっぽり隠れて覆われるタイプのステンレスの予備ホルダーの中をまさぐった。
手を伸ばしても、新たなトイレットペーパーに触ることなく、
指は空回りした。
まさかの予備のトイレットペーパーなしの事態だ。
カフェや居酒屋ではあるまいし、狭いトイレ内を見渡してもトイレットペーパーの予備が入った棚などない。
便座の上で私はひどく動揺した。
歌のセリフのように手で拭けば、もっと厄介な病気になりそうだ。
目に留まったのは非常時の呼び出しボタンだ。
しかし、呼び出しボタンを押すとどうなるのだろうか。
トイレットペーパーがありませんと交信できるものか。
それとも直ちにに医師や看護師など医療スタッフが駆けつけてくるのだろうか。
ドアを激しく叩かれて「どうしましたか?今ドアを取り外します!」と大声で言われて
「トイレットペーパー下さい!」と言う私の微かな声はかき消されて、あっという間に扉が外されてしまうのではないだろうか。
お尻を出したまま座る自らの姿が一瞬で露わになる。
はたまた「トイレットパーパー下さい」に、高々トイレットパーパーで呼び出しボタンを押すなんてと顰蹙を買うのではないだろうか。挙句にトイレットペーパーの不備に、清掃業務のフロア責任者が酷く叱責されると言うこともあろうか。
頭の中では色々な事態が浮んできた。
学生時代の友人の話まで思い出した。
彼氏が突然もよおして、仕方なく一番のお気に入りだったギンガムチェックのハンカチを差し出したと言う話だ。
扉にかけたバッグの中に、6月にしか使わない紫陽花柄のハンカチが一枚入っていることは承知していた。
ティッシュは、遮光グッツなどのお道具と一緒の別の手提げで、待合の椅子に置いたままだ。
渋々、手を伸ばしてバッグを取った。
紫陽花のハンカチの命もここまでだなと取り出した時、
三井のリハウスのポケットティシュが目に飛び込んだ。
一枚も使用していないポケットティッシュだ。
普段5メートル近くトイレットペーパーを使用する私としては心細さも残った。
それでも、鳴り続けていた鼓動は止み、


三井のリハウスのティッシュの柔らかさに涙が出そうになった。
とりあえずそこそこにパンツを上げて、向かいのトイレに移った。
妙な格好でトイレを移ったけれど、
誰に見られることもなかった。
夕方5時を回った大学病院の外来棟に、
人は数えるほど、それも医療スタッフがほとんどだ。
だから、トイレットペーパーも消費尽くされた結果とも言える。
真っ暗になって病院を後にした私は、
良人と待ち合わせて、
良人が提案するままにカレーを食べた。
私は、カレーが喉を通らなかった。







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