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2015年1月23日金曜日

となりの患者14

昨日の通院は完全に出遅れた。
体は重いし、手がこわばって思うように動かない。
連休前に起きた問題の対応に追われて、疲れきってしまってる。
病院に到着すると既に受診機は作動していて、列もない。諦めムードで最初の眼科に向かうと、寒さのせいか思ったより患者は少なかった。
同じ担当医でいつも一番争いをしている竹原さんの姿もない。一番争いといっても、先方は私のことなど眼中になく、勝手に私がライバル視しているのだ。70歳に近い女性で、私と同類の疾患ではないかと思ったりしている。同類というのは、光線過敏の症状がではなく免疫の病気ということだ。この手の病は髪が薄くなるのだ。竹原さんは、昨年11月にもお見かけしなかった。ところが、受付開始から20分ぐらいして、車椅子を押してもらって現れた。そして、大きな声をはりあげている。静かな人だったのに。感じが変わってしまっていた。
 8時過ぎには少なかった患者も、8時半を回ると結構な数になっていた。すると、私の前列の空席には、息子とおぼしき人に連れられた70過ぎの女性がやって来た。しかし、なかなか座らない。「ラララ〜ラララ♪」と歌っている。連れの男性が制止してもきかない。「ラララ〜」手はタクトを振っているようだ。大勢の患者に、観客を連想し、ここがステージと思ったか。なんとか座ったけれど。「ラララ」が続く。そう大きな声ではなく美声で、耳障りではなかった。連れの男性は、困りきっていた。何度も何度も制止している。ご本人は気持ち良さそうだった。『いいのよ、歌って。』私は心の中で思った。人の親には寛容だ。ラララは何の歌か、ドレミの歌の旋律のような時もあった。
ふと、ラララでいいなぁと思った。私だったら、周囲の人々の耳を劈くほどの大声で、みっちゃんの歌を歌ってしまうに違いない。特に「み」に思い切り力を込めて。何故みっちゃんの歌かと言えば、カラオケの十八番などは、結局のところ同席した人の年齢に応じて、受ける曲を選択していると思う。そこに本来の自分はないわけで、素に戻ったとき、伸び伸びと、自分らしく歌えるのは、恐ろしくも「みっちゃんの歌」になるような気がするのだ。
 どうかどうか製薬会社様におかれましては、私が公衆の面前で、みっちゃんの歌をご披露する前に、認知症の進行を遅らせる薬から進行を止める薬を1日も早く開発して欲しい。 切に思った昨日の通院でした。 (登場人物の名前は仮称です)

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