置地廣場 |
今年ももう終わった感じがしている。
あと半年残っているけれど、私はここで今年の総括をしたい。
最悪の年となりました。
昨年は、もう一個難病を増やして、
それは治療法も確立していないし、診てくれる医師もいないしで、
悲しみに暮れた。
今年は、次から次に事が起きて苦しめられ続けている。
先ずは3月末にアクシデントを起こして、
それはアドバイスを求めたセコンド達をもやきもきさせる事件であった。
案ずる日々が続いたけれど、先方が良識ある人で、最初は何者かと思った仲介を買って出てくれた人もまともな人だったようで、4月の半ばになって易く解決した。
やれやれと心を休める間もく迎えた通院では、重度の光線過敏症状の治療に尽くしてくれていた医師から、大学を離れることとなったと伝えられたのだ。
この春からは、診療曜日が変更になると年度末に伝えられたばかりだった。その医師の患者の多くは深刻な皮膚疾患を抱える者だ。
どおりでその日、診察を終えた患者が手にチラシを持っていた。
医師の異動先の医療機関のチラシで多くの患者はそこへ移るらしい。
私はと言うと、移りたくとも移れない。
何故なら、タクシーで早くて1時間もかかる他県なのだ。
皮膚科の問題が未解決のままに、
眼科医の急逝という悲しい出来事が起こった。
そして先週、皮膚科最後の受診では、
夕刻だというのに待合に患者がぎっしりと座る中で、
一人の女学生が受付で聞き分けのない子供のようになっていた。
年配の看護師さんが「だからね、K先生は6月でもう大学にはこないの。」を繰り返す。「あなたは、一体どうしたいの?」と看護師さんは語気を強めた。
女学生の気持ちはよくわかる。私だって、行かないでとK先生に泣いてすがりたいのだから。
13年診ていただいたうちには、処方してもらったビオチン散が股関節の炎症に効いて、一生歩行困難と言われていたのが、突如激痛から解放されて歩けるようになって、階段まで昇降できるようになったのだから、あの時の喜びは今でも忘れられない。
そんな過去と今後の不安が心の中を行ったり来たりして、
通院の疲れも取れないまま、
開けた今週は災禍が降って湧いた。
その災禍で身体が更に害される事は明白なので、
なんとか対策が打てないか友人、日頃お世話になる障害者支援センターの相談員、行政に電話をする日が続いている。
障害者支援センターも区との運営委託契約 が解除されて、
秋には遠く新幹線でしか行けない本拠地に帰ることとなってしまった。
その社会福祉法人がセンターを運営した5年間は、相談員が日常生活での困り事に親身に相談にのってくれて大変有り難かった。
お別ればかりの先の見えない年となりました。
最後の写真は涙色の紫陽花です。
7月初日の東京の最高気温は37度、最低気温は26度晴れの予報です。
皆様におかれましては2022年の後半が充実した日々になりますように。
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