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2021年10月27日水曜日

通院辛苦


愚か者になりたい私でした。

力ある者に、後先考えずにものを申せば、
そういう人を世間では馬鹿という。 

昨年から続く診断書の誤りに、もう私は堪忍袋の緒が切れたのだった。
強い紫外線に晒されて、訂正を求めに出かけるのは何より身体のダメージが大きい。
かつてこの時期の通院で失明リスクのある虹彩炎を発症して、以来眼科医からはこの時期の通院を止めるように指示が出ている。
 
昨年は別の診断書で病名が違っていた。今年は、誤りの箇所が10箇所以上に及んでいた。
今年、訂正してもらうに際しては、暴言も吐かれた。
しかし、訂正してもらわねば、医療券の更新が出来ないのだから、
どんな仕打ちも仕方ないと、怒りをお礼の言葉に変えて診察室を後にしたのだった。
しかし、身体へのダメージは予想以上で、蛋白尿も出てきて、なんとも辛い夏となったのだった。

 
 第一声、
「 患者を見くびるのもいい加減にしろや!」
 
そんな台本が書き換えられたのは、今日が通院だという朝だった。
年長の友人から届いたメールには、
経緯を知る者としてはあんこさんの気持ちは良く分かる。がしかし、ベテラン医師に巡り合うことは、滅多にないし、関係がおかしくなって、次の医師を探すのも大変だから、ここはどうか堪えてというのだ。

 
「先生は私の女神です。」
重苦しい空気の中に女神という私の声が響き渡った。
「こんにち、ここに歩くことができる私がいるのは先生のおかげです。
4年も歩くことができないでいて、突然歩けるようになった2011年6月。街並みはすっかり変わり、近くの駅では切符の自販機も変わって切符を買うのに戸惑ったことを今でも鮮明に思い出します。」
 
「歩けるのと歩けないのでは人生大違いです。」

今や、外見は変わらずとも少しばかり老いた女神は言った。
「そうよ!」

本来、診るべき科の医師は、「治りゃしねえ。」「治りゃしないものは、診たってしょうがない」と私を切って捨てた。
股関節の激痛と光線過敏に苦しむ私は、杖で身体を支えて、ドアの隙間から漏れる太陽光に身をよじって片手で調理していてまだ日の長い9月の初めのある日に結構な火傷を負ってしまった。
赤ピーマンのように真っ赤に膨らんだ掌の火傷を治療してくれた女神が、
抱える自己免疫疾患の「光線過敏も私が診ましょう」と引き受けてくれたのだ。
重い光線過敏の症状が一向に改善しない中で、2年目にトライしたビオチンが思いがけず股関節の炎症に効いて、再び歩けるようになったという事実がある。
しかし、光線過敏の症状は相変わらずというより、一層悪化しているのだ。春に発病した新たな別の自己免疫疾患のおかげで、抗アレルギー薬が服用できなくなったことが大きいかもしれない。
 
そうして、 この頃の女神様は、光線過敏について治らないと言うようになった。
2014年の1月のブログには、ある時期が来たら光線過敏の症状も治るのではないかと思っていると女神が言ったとある。

その事を問うてみた。
女神は、ある時期が来たら、良くなるか、逆に悪くなるかだと。
しかし、また別の薬を試してみようと、噺家が、高座扇で膝を打つように女神は背筋を伸ばして言った。

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