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2013年4月20日土曜日

医者の品格2

4年前に、「治りゃしねえ」切って捨てるように、ある有名医師から言われた。
心が折れた。
それまで、こういう言葉を医師から言われたことはなかったのだ。
8年前、最初にネフローゼを発病した時の主治医であった女医は、「今後も繰り返す可能性はあります。」という言葉だった。それは事実で、翌年も同じ季節にネフローゼを再発させた。ネフローゼも難病で治ることはない病気だ。しかし、「治りゃしない」とは言われなかったし、免疫の病気なので、喘息をうまくコントロールすることで、ネフローゼを治めることができるかもしれないとも言われた。
 その後、次々にいろいろな症状が出てきて、6年前に股関節が、壊死の疑いとともに重い炎症を起こし、痛みで眠ることもできなくなった。勿論歩行もできない。その際の、整形外科の教授は、当時テレビによく登場することが多かった有名医師だったけれど、『この先、普通に歩くことはできない』という決定的な事を極めて遠回しに言われた。こちらの気持ちを推し量っての言葉で、でもショックでその時の教授のセリフは全く覚えていない。記憶にあるのは、どうやって通院しているかと聞かれて「タクシー」と答えたら、「良かった」と言われ、続けて直ちに杖を買うようにと言われたことだけだ。呆然として診察室を出て、借用した松葉杖をついてタクシーに乗り、自宅近くのランチタイムのサラリーマンで賑わうマクド○○○で、人目をはばからず涙を流してしまった。その整形外科の教授の診断を、腎臓科の当時の主治医に伝えると、「ステロイドを飲み続けていると、将来的に歩けなくなるという、将来の事ではないのか」と言われた。私はそれを受けて、動揺して、わざわざ「もう普通に歩くことはできない」宣告を二回聞く羽目になってしまった。改めて、予約外に受診して「もう今後、普通に歩くことはできないと言うことですよね」と確認すると、多くの患者を抱える教授は今度はやや面倒くさそうに「ああ」と。隣に居た助手を務める中堅の医師が、私より先に、目を赤くしたのを今でも忘れることができない。何人もの患者のこういう事態を目の当たりにしている医師でさえ、死刑宣告のような「もう歩くことはできない」という言葉を重く感じているのだと思った。
 その後、今度は光線過敏の重い症状が始まった、一番自宅に近いT病院の皮膚科女医は、最初「今の医学では・・・」と言葉を濁した。そしてT病院の詳細な血液検査で今の病気が明らかになった。それより以前に、遠回しに言われた整形外科の教授にその病気は示唆されていたので、ある程度は覚悟はしていたけれど、違っていて欲しいと思い続けていた。T病院の女医は、その厄介な病気の病名を伝えるのも躊躇していて、私から病名を言い、女医は頷いたのだった。患者の気持ちを推し量ってくれる医師は、確かにいる。しかし、一方で、医師である前に人間として、どうなのかという医者も実在するのだ。

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