昨夜の大きな揺れには驚いた。
1日が過ぎても、住まう集合住宅のエレベーターは止まったままだ。
落ち着いて顧みた時、これほどの揺れは東日本大震災以来ではなかろうかと言う記憶は正しくて、東京では10年ぶりであった。
千葉県北西部を震源とする昨夜の地震は、都内でも震度5を観測した地域がある。
地震発生から時間経過とともに、水道管の破裂やトラブルでの冠水があちこちで起きて、鉄道が止まり、脱輪した列車では怪我人も出ていること、主要駅では帰宅困難者がタクシー待ちの列を作っていると報じられた。
結局、帰宅困難者用の施設は、その役目を果たせずに、利用したのは7人だったらしい。
こう言う時こその、帰宅困難者一時対応施設は、多くの帰宅困難者が生じた東日本大震災の後に既存の東京都の施設などがその役目を担うために整備されたものだった。
コロナに続いて、東京都の対応に、何だかなと言う思いだ。
東日本大震災を受けての震災対策と言えば、策定されたルールがあった。原発の運転期間を40年とすることだった。正確にいえば、東京電力福島第一原発事故後に出来たルールだ。
昨夜も、揺れと同時に原発は大丈夫かと案ずる日本国民は多かったはずだ。
しかし、その「40年ルール」は形骸化されようとしている。
私は、 地震発生のほんの3時間ほど前に、たまたま通りかかった駅前で、原発のない脱炭素社会を追求する政党のチラシを受け取っていたから、昨夜は改めて考えさせられた。
この6月には日本では初めて運転開始から44年を超えている美浜原発3号機が、再稼働した。美浜3号機については再び点検期間に入るけれど、他の40年超の原発、高浜1号機、高浜2号機については23年に再稼働されることとなっている。
このところ日本では地震が頻発している。
6日未明には青森で、同日夕方には宮崎県で、それぞれ震度5、震度4が観測されている。
さて、利用するエレベーターだけれど、住人には車椅子の人もいる。かつて私も4年余り、歩行が困難で、階段の昇降など全く出来なかった。
不便だし、いつ復旧するかもわからず不安な気持ちで過ごしているだろうな。
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