なんとか気持ちを立て直して、
ブログの更新を終えた時、
無口という病気の良人が 言った。
「とんかつさぼてん閉店だってよ。」
良人が帰宅してから6時間余りが経っていただろうか。
その間良人は、一言も言葉を発しないでいて、
ようやく放った良人の一言は残酷なものだった。
私は、崩れそうになった。
そして泣いて、泣いて泣いた。
なんという喪失感だろう。
小学生の時、
親友が引っ越して、転校することになった時の感じだと思った。
「なんで、なんで引っ越ししちゃうの!」
友人を責めたって、おうちの事情なのだ。
後で事情は母から聞かされた。
父親の生家に戻って、
家業の工場に力を入れるのだと。
20年以上も萎える気持ちを上向きにしてくれていた
とんかつだった。
昨晩が最後になるかもしれないとんかつとなった。
注文したのは健美豚のとんかつだ。
改めて健康で美しい、とは素晴らしいネーミングだ。
私もそんな豚になりたい。
遠慮なくおかわりのできるキャベツを
涙をこらえてムシャムシャと3回お代わりして食べた。
お決まりのごま摺りは、私は得意な方だ。
おソースの入った壺を撮る時、
これが最後かという思いが募って腕が震えた。
赤出汁は、なめこだ。
こちらもお代わりできるけれど、
塩分を気にする私は、お代わりをしたことはない。
長崎産の鯵のフライは良人が食したもの。
良人はこれと山形豚のとんかつを食べた。
時にお代わりをする白飯だけれど、昨晩は珍しく最後の一口が入らなかった。
店舗の撤退は会社の方針だろうけれど、
やはりなんでと思う。
夜だって、残業のサラリーマンが入って来ていたし、
お弁当の注文だって結構あったじゃないのと。
少し事情を話してくれたアルバイトの青年が、
「今後は、〇〇○店の方へお越しください。あちらもとてもいい店ですから。」と言った。
○○店には電車に乗らなければ行けない。
お別れの日、親友は、遊びに来てねと言った。
しばらくして私は、他のお友達と電車を乗り換えて引っ越した友人の家に遊びに行った。
広い畳部屋の居間に通されると、
真ん中に大きな座卓があってその周りに座布団が3枚並んでいた。
友人の御祖父がどこからか現れて、
「皆さん、良く来てくれました。○子がお世話になりましたね。ごゆっくりしていって下さい。」とおっしゃって居なくなった。
笠智衆に良く似た御祖父で、今思い出すと小津映画のワンシーンのようだった。
母上が、中華の出前をとってくれて中華丼を食べた。
その時、親友とどんな話をしたかは覚えていないけれど、
中華丼のあんかけの中のうずらの卵のことだけは良く覚えている。
親友の家を訪ねたのはその一度きりだった。
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