22歳の時以来の、再会は銀座8丁目ということになった。
照明の問題もあって、ようやく決着したのは、博品館近くのインドカレーのお店だ。
銀座と言いつつ、8丁目は新橋のようなもので、馴染みのある地域だ。
けれど、新橋駅銀座口の横断歩道を渡れば、目に入ってきたアマンドの屋根のテントのピンクとブルーのビラビラも、美容外科の赤と白のビラビラもなく、すっかり様変わりだ。
田舎から出てきて、社会人となって、どこまでも美容外科の赤と白のビラビラが続いていて、『東京の人は皆整形するんじゃろうか?』と思ったのが昨日のようだ。
当時と大きく変わったのは、健康と体重だ。健康は失って、今やサンサンと太陽が照りつける海に行くことなど、死をもってしても果たせないし、洗濯板のように薄っぺらだった体は、ぽっちゃりをはるかに超えてしまった。
8丁目でも、銀座は銀座、むせるように美しい夜の蝶の お出ましだ。
追いかけて追いかけて、
やや、変態だな。
目黒と新橋を結ぶ都バスがあって、金曜の夜には、夜の蝶で満員になることがあった。
その時の幸福感と言ったら、例えようもなく、都バスが官能的な花園となって疲れも吹っ飛んだものだ。
で、ちょっと遅刻となってしまった。
お待せした2人は、面影も充分あるし、変わらないといえばそうだけれど、やはりお偉いさんの風態、匂いがプンプンだった。
静かな人が「スキー」を強調したので、忙しい中ブログは読んでいてくれているんだなと感謝です。
2人の愛車は、ポルシェとフォレスターだそうだ。車とステイタスって一致してしまうものなんだな。愛犬の種類も聞けばよかった。
食事は、予想以上の美味しさだった。
スパイスの調合が上品で、雑味がない感じなのだ。
赤い風船のパンフをチベットの地区センターに持ち込んできて、神津島への旅を提案して、段取りをつけた人物の消息は不明だ。
現役で大岡山の工業大学に進んだので、上手く生きていいるに違いない。
その大学に固執して、人にも強要したことを白状すると、2人ともが口々にフェイスブックにその強要された話があったというのだ。
「えー、(強要したのは)あんこさんだったの?文系志望だったんじゃないの?」ととんだ赤っ恥をかいた。
生きていたら、30年後にまた会おうと、お別れした。
0 件のコメント:
コメントを投稿