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2021年7月3日土曜日

文月を迎えて


 

 非常に苦しい初日で文月を迎えました。

私は不本意な通院で始まったのです。
先月末が難病認定更新の手続きの期限でした。
必要書類の診断書の依頼には出向かざるを得ませんでしたが、出来た診断書は私が用意したレターパックで自宅に届いたので、大変な支度で大学病院まで行くことを要しなかったことは病院の手続きも改善です。
ところが、本当に医師が記載したのか、診断書の内容は頓珍漢んな不備だらけのものでした。
私の抱える難病は全身のあちこちが炎症を起こしてしまう病気です。全症状がいっぺんに現れれば、それはもう死んでしまいます。

私のように腎臓が寛解してくると、次は股関節、光線過敏ともぐら叩きのように次から次へと症状が襲ってくる。残念ながらこの春には、もぐら叩きの法則が変わって光線過敏症がありながら、新たな自己免疫疾患を発病してしまった。流石にもう寿命が近いかなと思う次第。

診断書には過去のそういった代表的な症状にチェックを入れる様式が1枚目だ。ところが一切スールされてしまっていた。

16年以上同じ大学病院にかかり続けている。腎臓ではネフローゼで難病認定も受けていた。2年間で200日近く入院していたのだ。股関節では骨頭壊死の疑いと、重い炎症で4年間歩行困難で、トイレまでの歩行もままならず、入浴では浴槽に入ることもできず、洗髪は身体を曲げられずつっぱったまま配偶者にお湯をかけて洗ってもらうか、通院時に美容室を利用した。
着替えは配偶者が行い、当時の助け合いの会の会員の方には、布団の上げ敷き、洗濯物干しなど掃除の他にも随分と支援をしてもらった。
今の主治医に光線過敏が改善しやしないかと処方されたビオチン散が、股関節の炎症に効果を発揮して、突然歩行できるようになった時には、街がすっかり変わっていて驚いた。駅ビルも名前が変わり、駅では切符の自販機もすっかり変わっていて、切符を買う時に戸惑った。

紫外線が強くなった春から初夏に通院が続いた時は、虹採炎という失明リスクの高い眼の病気も罹患した。これは健康な人が罹患する病ではなく私のような自己免疫疾患の人が罹患する病だ。

これを機に夏場の通院は止めることとなったのだ。

しかし、この度の診断書を見直してもらうには、通院を予約して私が出向いて医師に直接説明しなければダメだと言う。

かかる科の看護師長が変わってから、全く融通が聞かなくなってしまった。まあ、こう言うことは良くある話だ。

仕方なしの通院日は、大雨のはずが止み間になって、白い世界がやはり眼に辛かった。

 

来年も生きていれば、同じ時に更新の手続きをしなければならない。
今から気が重い。
病歴も長くなって16年に及んでいる。医師は多忙と承知しているので、主要な症状を時系列でまとめた「私の履歴書」A4一枚も添えて診断書の作成を依頼している。
これら代表的な症状を記していて、カルテで確認もできるのに一切スルーしたのは、少なくとも私の抱える難病の知識がない者が記したのではないかと私は推測している。
残念ながら、診断書はパソコンで出来上がっているので以前のように医師の筆跡かどうか判断がつかないのだ。
ちなみに教授の文字は、中学生の少女がお友達に当てて「マリトッツォ美味しかったね。」と書くような丸いこちょこちょした文字なのです。
 
生き続けるなら、頭脳明晰な友人にこの対策を考えてもらわねば。春は、決まったように容態が悪くなるので冬によろしくお願いね。

 


 


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